私の死ぬまで日記 100日目
こんばんは。
遂に100日目に突入しました。自分のことが嫌で嫌でしょうがなくて本当に死のうと思って自殺未遂して失敗してしまって全てが嫌になってでもタスクはどんどん溜まって行ってどうしようもなかった日からもう100日も経ったのか。
時間が解決するってあんまり信用していなかったしこの先のことにひたすら絶望していたが、この言葉はあながち間違えではなかった。
時間が解決したというよりは他のことに熱中してみたり単純に忙しかったりしたのが勝因だったのかもしれないが。
絶対にこの人しか信用してはいけないし、他の人のことをはなから目に入れずにひたすら信仰に近いような関わりをして、それが正しいと思っていたが、自分が思ってるより他人は自分に興味がないし、興味はないけど助けてくれるとこの100日間で学んだ。自分の周りには自分が思っているより沢山の人間がいるように思える。
何気なく毎日(最近はそうとはいっていないが) 自分の感情をぶちまけられていたこの場もとても自分にとって安心して物事を発言できる場になった。いろんなことがあったし死ななくてよかったとまでは思えなくても少しだけ前向きになった。
生きるのがとても下手で、何回後悔してもまた同じことを繰り返してしまうし、今後も幸せになれないから死にたい。と思っていた100日前だが、今は他人に幸せのベクトルを100委ねるのではなく、自立した上での他人との関わりであり幸せ、と考えられるようになった。依存していなくても、一人でも違った種類の幸せを感じられる余裕ができた。
100日、長いようで本当にあっという間だった。中学生の時からほぼ毎日つけている日記を公開するようになるだなんて思いもしなかった。一方的で返事や意見を求めるわけではなく、反応したい人だけが反応する。とても心地の良い場所だな、と思った。私が心地よさを感じる人間関係も、みんな自由でいい意味でも悪い意味でも他人にほどよく無関心で、でもいざという時に一番頼りになる存在だ。うーん。感情を文字に起こすのはとても難しいな。
いつまで公開し続けるか分からないけど、日記はこれからもずっと書き続けます。100日ありがとう。おやすみ。