私の死ぬまで日記 130日目

こんばんは。

本当にお久しぶりです。

なんだかんだ前回に書いたのは一ヶ月ぐらい前になってしまいました。

一か月前の私と今の私で変わったことといえば、過食嘔吐が酷くなりました。本当にそれぐらい。それ以外はキャバクラを二週間休んだ。二週間休んで心を落ち着かせるはずだったのに気付いたら日雇いのバイトをしていた。何かしないとダメみたい。練習をしてくれればいい所なのだがそうとはいかず全くと言っていいほどピアノを弾かずに働き働いたお金を全て過食嘔吐に回した。生産性、はて?何のために働き、いや、なんのために生きているのかよく分からなくなってきている。

今は公園のベンチでタバコを吸っている。今日は昔から大好きで録音などもよく聞いていたピアニストのコンサートに行ってきた。ベートーヴェン周年なので、オールベートーヴェンのプログラム。中期から後期にかけてのベートーヴェンとリストが大好きな私にとっては堪らないプログラムだった。緻密に作り込まれてて生で聴いたことがないのに何故か懐かしくなるような音色で自然と引き込まれた。気分転換になるはずだったのに、終わると喪失感でいっぱいになり希死念慮に襲われた。

最近の私はなんだが本来のなりたい自分像とは逆の行動を取ってしまっているように思える。心のリストカット、とはこのことなのだろうか、と思うような、そんな生活。何をやってもなんだが心が入らない。好きだったはずのことが億劫になる。こんなに中身のない人間だっただろうか。悪い意味で全く周りを気にしなくなって来た気がする。周りを気にする余裕すらも無くなってきた、というのが正しいかもしれない。

意味もなく泣いてしまうし、常に脱力。脱力すべきところで上手く脱力できずに本来力を入れるべきところに力が入らない。言葉や行動で嘘はつかないが自分自身には永遠に嘘をつき続けている気がする。

ひたすら目の前にある事をやり続けやり遂げることが正義なのだろうか?と考えることが増えた。逃げ、なのだと思うがそれを考えている時は本気でそう思う。周りに死にたい、と騒ぎ立てられるうちは大丈夫だよ、と言われたことがある。今なら何となくわかる。死にたいわけではないから騒ぎ立てることもなく病むことも無いが、心のどこかで希死念慮がウロウロしている。本当の意味で希死念慮を感じたのはここ最近が初めてかもしれないと思う。

就職することが正義なのか、就職して安定することが幸せなのか、その先に結婚することが幸せなのか真剣に考える。今の私は自分の利益のために好きでもない人に好きだといい、好きでもない人に身体を委ねて、結局利益なはずだったのに利益はお金だけであり心はそれ以上にすり減っている。早く辞めればいいと思うが借金がある。いつからこんなにお金に執着するようになったのだろう。昨年は人間に執着していた私だったが今年はお金に執着をしている。自立とは。自分で立つとは。難しい。

おやすみ。

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