わたしの死ぬまで日記 49日目

こんばんは。

今日は本当に何もしませんでした。起きたらゼミのはじまっている時間でした。接続不良を言い訳にして遅れて繋ぎ、そのまま眠ったらいつの間にか終わっていた。その後の4限と室内楽はおやすみした。また課題を貯めてしまった。また休んでしまった。夜、父親が家きた。ひたすらピンポンも無視したが合鍵で開けられた。話し合いたかったみたいだが私は訳もわからず泣いてしまいベッドに顔を埋めながら話を聞いた。

どうしたいのか、何で頑張れないのか、色々聞かれた。そんなの分からないし私にとって生きていることそれ自体が何よりも辛い努力なのだ。授業に出ろよ、弟は出て頑張っているぞ、そんなの聞かされたらプレッシャーでしかない。子供が弟だけではなくてごめんね。変な姉がいてごめん。出来のいい長男一人だったらよかったのにね。生まれてきてごめん。卑屈なことばかり考えてしまいひたすら泣いた。入院に関しては協力が得られた。早かったら今週末に入院する。吉と出るのか凶と出るのか。しばらくピアノを弾かないかもしれない罪悪感には勝てるのだろうか。怖いけど躁鬱も境界性も摂食障害も一人ではどうしようもなかった。どうにか私の人生が少しでもマシになってくれるのであれば、それが一瞬でも構わないから。マイナスからゼロに近づけたらいいな。

昨日のレッスンで先生に大学院への進学を勧められた。ピアノへの関心や音楽に対する愛情を買われての提案だった。いきたいかいきたくないかで言われれば行きたい。もっと学びたい。躁鬱がなければもっと学びたい。色々なことを経験したい。悩んだ。高い学費を払っていただいている以上わがままは言いづらい。また、音楽だけでなく心理学について学びたい気持ちもある。悩む。悩んでも悩んでも後悔しないであろう結論にありつけない。躁鬱で2年少しを無駄に過ごしてしまった私は学び足りなくてたくさん後悔すると思う。そう考えたら大学院にはもちろん進学したいよ。自分で論文も書いてみたい。たくさんやりたいことはあるのに体調やメンタル、キャパの心配が優先されてしまう。私が私でなかったらもっとたくさんのことに挑戦できたのかな。“精神疾患がある“その事実でどれだけたくさんのことを諦めなくてはならないのだろう。学業もそうだし、恋愛面もそう。私のような不安定な人を心から愛してくれる人はいるのだろうか。自分が今後好きになった人は私のことを心から愛してくれるのだろうか。私は結婚できるのだろうか。一般的な幸せ、という状態にはなれるのだろうか。

躁鬱は完治しない。波が緩くなるだけ。生きているのって怖い。明日はやる気はあるのかな。やる気がなくとも最低限のことはできるのだろうか。もうこれを書き始めて明日で50日だ。50日生きた。褒めたい。人生で一番濃い50日だったし一番生きている心地のしない50日だった。辛かったな。でも生きてしまった。情けない。自分の人生を諦めきれない。50日前の出来事をずっと引きずってしまう。自分が否定された瞬間。これから生きていても信じていた人に否定される瞬間は訪れると思う。認めてもらいたかった人に認めてもらえない、自分自身を否定される。どれだけ辛かったか。社会に出たらそんなの日常茶飯事なのだろう。怖いな。この辛かったし今も辛くて辛くて涙が止まらない50日間の感情を絶対無駄にしたくない。文字という形で残せてよかったな。

明日はどんな1日だろう。与えられたタスクを全てこなすのであればとても多忙な一日になると思う。何もせず今週半ばを迎えてしまったのでできれば明日は頑張って自分のこと褒めてあげたいな。そして早く死にたい。今日のbgmはリヒャルトシュトラウスにしよう。おやすみ。

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