私の死ぬまで日記 90日目

おはようございます。

もはや朝になってしまいました。酷い昼夜逆転。今日は午前中に通院して午後にピアノスタジオで練習する予定なのでオールです。

今日はガールズバーを終電で上がってしっかり睡眠する予定だったが翌日朝早いこともあり起きれるか不安で睡眠薬を服用せずに眠りにつこうと思ったが失敗してしまった。服用したら眠れるけど一日中眠気に襲われて、服用しないと目を閉じても全く眠れない。眠気を我慢して一日中生活するしかないのだろうか。今も尚眠気は全くなくその代わりに酷い頭痛がしている。

7月31日分の日記だがもう実質8月。早い。めちゃくちゃ早い。コロナで学校が始まるのが延期になる〜と言っていたのはもう4ヶ月も前なのか。4ヶ月前から私は空虚なのか。本気で自殺を考え自分とより向き合うようになってから3ヶ月以上経つのか。なんだかんだ春学期の授業もそろそろ終わりに差し掛かっているのか。この春学期、私は何を学べたのだろうか。半期100万円の学費を払ってもらって何を得ただろう。ずっとメンタルを理由にして学費を無駄遣いしてしまった気がする。

何となく、春学期を振り返ろうと思う。大きな変化としては彼氏と別れ、気付けば整形欲が再び湧いてしまい夜職を再開したこと。オンライン授業による鬱の加速。うーん。ごめんなさい以外の言葉が出ない。私にとって彼氏と別れたのはかなり大きかった気がする。自分を全て知ってもらうことと受け入れてもらうことはまた勝手が違い、人には人の器の大きさがあり、言葉では示していても行動ではなかなか示せないものがあると知った。全て言葉を鵜呑みにして疑う心を持たずに信じきって、でもどこかで信じきれなくて人のことを試すような行動を取ってしまう節があると知った。彼氏と別れたから、ではなく別れ方が私の死に対する意識やモチベーションを変えたと思う。これが彼氏ではなく友人であったり家族であっても私はきっと同じ状況になっていた気がする。

「大丈夫だよ」とか「支えるよ」という言葉は自分が窮地に追い込まれている時何も疑わずに鵜呑みにしやすい言葉であり、また「こうやって言ってたのにどうして!」と元はと言えば自分が悪いことも他人のせいにしやすい言葉だと思う。この春学期、軽はずみに他人の拠り所になるような言葉を発することが出来なくなった。そんなに状況に追い込まれることは多くなかったが何か相談された時に、今までも軽はずみではなかったがより一層言葉選びに慎重になってしまい同意することしかできなくなった。女性が相談をもちかける時は同意して欲しい時だと言われるがプラスに捉えるのであれば私は相談しやすい人間になった気がする。ただ相談というか悩みをぶつけるだけなら楽な相手、になったと思う。

この先生きていても同じ失敗ばかり繰り返しその度に「また生きていても同じなんだろうな」と思い生きているのが怖くなる。幸せを感じた時も同じ行動をとってしまい壊してしまったり、不幸だと感じた時の行動が幸せの邪魔をしたり、心の中では正しくないとわかっていても良くない方に逃げたり、自分を下げることによって自分に期待しないようにしたり。なんで上手に生きれないんだろう。みんなは上手に生きているのだろうか。上手ではなくても普通なのだろうか。普通とはなんだろうか。春学期だけで何度考えただろう。オンライン授業という一人の時間を増やすもののせいで沢山沢山考えた。考えなくてもいいようなことに気持ちがいった。一人の時間は割と好きなほうだったのに一人でいることが怖くなった。寂しい、とかではなく考える時間ができるのが怖くなった。自分に与えられるものの価値で自分のことを図るようになった。そんなの正義ではないのに裏切らないものは努力とお金だと思った。お金を稼ぐ方法も努力だと自分を正当化した。きっと心の底ではそんなに悪い事だと思っていない。将来きっとこの事で後悔するだろうが、あんなに沢山失敗して後悔してきたのにまだ分かっていないみたい。分かってたらきっとやらない。自分の意志はハッキリとしている方だと思っていたが誰よりもズルズルだと思った。今期、たくさん自分のことが嫌いになった。頑張らなくていい所で頑張ってしまい本来頑張るべきところで逃げてしまった。

今期のたくさんの考えた時間はなにか将来糧になるのだろうか。無駄に考えた時間、何も学ばない経験になってしまわないだろうか。今週末のコンクールで本来やるべき事に気付く気がする。遅すぎるけど。頑張るべきことを頑張った上でプラスアルファで頑張る、ということを再実感する気がする。気がするだけだけど。プラシーボ効果などというものを期待してみたりする。思い込み療法、病は気から。躁鬱病で摂食障害、それで許されようとしている自分もいるのだろうか。

相変わらずぐちゃぐちゃの文章だが自分の感情を一方的に描き殴れ、且つ一人で溜め込んで終わりにならないこの場を見つけられたことは今期最大の喜びであった。普段から日記は書いていたが「死んだら出版してもらう笑」などと言って見せたことはほとんどなかった。見たい人は見る、見たくない人は見ない。何だかとても楽な感情表現の場な気がする。感謝。生きていてよかった、とはまだ思えないけど、8月は本来大切なものに気付けられればいいな、と思う。どの立場だよって話だけど(笑)。もうほとんど眠る時間はないが、もう少しだけ寝る努力をしてみようと思う。長々とすいません。何となくそういう気分だった。おやすみ。

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