私の死ぬまで日記 132日目
こんばんは。
今日は昼に起きて急いで学校に向かいそのまま閉館まで練習をした。
しっかりと行動した日は日記を書く気になる。しっかりと行動した日は多少メンタルが安定する。帰宅したら鬱になりがちなので即座に風呂に入りオンデマンドの授業を受けたり、課題を消費したり、ひたすら動き続けた。
寝る前になると、希死念慮に襲われる。私は「死ぬ」ことに対してとても興味があるのだが、改めて今日「死にたい理由があるから死にたい」のではなく「死にたい理由を考えている」と思った。本当に突発的に自殺する人って恐らく前者だと思う。耐えても耐えても耐えきれなくなって死ぬのだと思う。恐らく自殺する人に「なんで死ぬのか」考えている人って少ないと思う。(これは自論です)
毎日毎日死ぬ理由を考えている。死ぬに至るまで、なんで死にたいと思うのか、死にたいと思うに至った経緯はなんだろう。何が原因だろう。私の病気とは?色々考えると軽率に死にたい、とは言えなくなる。薬を飲んでお酒を飲んでタバコを吸いながら薬が回るのをひたすら待つ。お前は「死ぬまでの中間報告をし続ければいい」と言われた。この日記がまさに中間報告。私の死ぬまで日記。中学生ながらによくつけた名前だな、と思う。思い返せば中学生の時から鬱だった。鬱、という名前がついている。それだけで安心する場面もある。診断書が出る。私のこの状態は病気であり、診断書が出る。この状態の人は他にもいる。自分だけではないという事実に安堵する。
音楽も整形も死ぬまでの過程。全てそうだと思う。そんなことを考えながら趣味や勉強に打ち込んでいる人はあまりいないと思うが、皆深く考えれば最後に行き着く先は「死」だと思う。
病んでいる訳では無いのだと思う。私にとって死ぬことについて考えることが趣味みたいなものだと思う。ただ、決定的なことがないし恐らくこれからもないのでひたすら考え続け、考え続けているうちにすっと死ぬのだと思う。こんなことを毎日考え続け、数人が見えるツイッターやこの場で「中間報告」をしている。
あまり考えすぎない方がいいよ、とよく言われる。そんなことは分かっている。こんなことを考えてまともな精神状態を保てるわけはない。だが、これが趣味だしこれが生きる糧だし理由だと思う。何も考えなくなった時が怖い。明日もきっと考える。忙しい時間は何も考えずに済むが、帰宅し全てのやることを終えた時、これを考える。今日もきっと眠りにつくまで永遠に考え続ける。めんどくさい性格なのだと思う。でもそれが私だと思う。以前までは他人にこんな私を認めて欲しい、という欲求が強かったが最近はそんな自分を自分で認めてあげたい、という気持ちの方が上回っている。認めてあげられるまで、すなわち死ぬまで考える。とても痛い文章になってしまった。おやすみ。