私の死ぬまで日記 151日目

こんにちは。
久々に感情を文字に起こしたい衝動に駆られたのでこの場に書き殴っていきたいと思う。

私は高校二年生の時から摂食障害を患っている、というのは以前にも何度も書いているが、もちろん未だに摂食障害と闘っている。摂食障害しかり躁鬱しかり「完治」ではなく「安定」もしくは「頻度を減らす」が治療のゴールなのではないかと考えている。もちろん完治するに越したことはない。

キャバクラでのアルバイトを辞め、居酒屋でアルバイトをし始めた私だが、もちろん収入はどっと減った。学食で350円の丼物を買うのがキツく、200円の麺類を買って節約するような日々。過食嘔吐だってしたくても出来ない。なんとか過食嘔吐をしたい衝動を抑えるようにストレスと付き合ったり無駄に動いたりしている。それでもやはり衝動に負けてしまうことがある。正確には負けてしまうというより気付いたらカゴいっぱいに普段なら絶対に避けるようなカロリーの高い弁当、菓子パンを詰め込みまくっている。収入はないので値引きシールが貼られているものから攻めて目安として1回1000円以内に抑えるようにしている。もちろんスイッチが入ってしまうと1回じゃ済まなくなり電車を途中下車してはスーパーに駆け込んで食料を買い込んで、その足で公衆トイレに行き全て食べてできるだけ吐く。こんな生活が異常なのなんてとっくの昔から分かっている。「汚い」って思う人もいるだろうし「この世の中には食べたくても食べれない人だっているのに勿体ない」と思う人もいると思う。母親は最初に私が吐いてると気付いた時私の前で泣いた。人に批判されても泣かれても私にはどうしようも出来ない衝動であり、病院に連れて行かれたところで「そんなことは分かってるんだよ!」って思うようなありきたりの言葉しかかけてもらえない。薬を飲んで収まるものでもない。時にその薬を全て飲んで死のう、なんて馬鹿なことを考えてしまう。

今は自殺したい、とは思わない。この状況より楽になる方法が死ぬことだけとは限らないと思っているから。でも、なにかの事故に巻き込まれて死ぬ、や急に不知の病に掛かって明後日死にます、となっても別にいい。やり残したことがある訳では無い。死にたくないわけではなくて死ねるのであれば死にたい。
 
私にとって幸せになることが理想を現実にすることではなく現実に目を瞑ることなのであれば死んだ方がマシだ。でも、全てが理想でなくてもいい。金がなくてもいい、稼げばいいから。ブスなら整形すればいい。私にとって一番の苦痛は愛を愛と感じ取れない故に誰にも愛されていないと錯覚してしまうこと。相手にも申し訳ないし私は私でいつも空虚である。私は自分が自分のことを好きであるためには相手からの承認が必要である。誰かに大切にされたいし自分を許してあげたい。きっと親は私に考えられないぐらい大きな愛を与えてくれているたろうに。申し訳ない。たまに顔合わせできない。愛を愛と受け取れない自分に嫌気がさす。私っていつになったら幸せになれるのだろう。いや、いつになったら幸せを自覚することかできるのだろう。

まだ全然寝ないけど、おやすみ。

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