私の死ぬまで日記 5日目
こんばんは。
とても今日は鬱です。
昨日の夜から今日今にかけてとても死にたかった。死ぬモチベがあまりに高すぎた。自分の今の不幸は全て自分が作り出したものだと再自覚してしまったからだ。
一か月前、私はこんなに幸せでもいいのだろうか、と思うぐらい幸せだった。幸せな自分を心の底から許せていた。感謝の気持ちでいっぱいだった。
自分の浅はかな行動で1ヶ月でここまで崩れてしまうなんて、自分は本当に馬鹿である。
どんなに過去を悔いても過去が戻ってくるわけじゃない。大事なのは今それを反省して反省してどうやって生かしてどうやって生きていくか、そんなことは分かっている。
でも今の私は弱すぎるので過去を恨みコロナウイルスのせいにして全てを全て丸投げにすることしか出来ない。ほんとに愚かである。
私は人の言葉によって死んではいけないと言ったが、これは自分自身の問題なのではないかと思った。自分自身の問題で耐えきれなくて死んだ方が楽だと思ったら死んでもいい、以前もそう言った。
私が不幸になるきっかけはいつも私にあると気付いた。言ってしまえば自業自得だ。こんな私に向き合ってくれようとしてくれている人がいるなんて奇跡だ。自業自得だろ勝手に落ちたんだろ、そうやって思う人が大半だと思う。有難い。向き合ってくれてありがとう。
本気でそう思う反面私はそもそも論について考えてしまう。そもそもあんなことしなければ、あんな状態じゃなければと考えてしまう。あまりに失礼な話ですよね。こんな私なのに向き合ってくれようとしてくれる彼や友人、親がいるのに。この人たちに言われた言葉が響いてないわけではない。とても響いている。でも今の私はとても弱いので自分の意志と二分することができない。はやく強くなりたい。強くなるか、またはそっと死にたい。そう考えてしまう。ごめんなさい。
まとまった文章が書けるまで死なない、と言ったが私はいつ死ぬのだろう。よく分からない。なぜ死ぬのが今ではないって心の底で思っていて留まっているのかよく分からない。自分で死ねない私は近所をどれぐらい放火したら死刑になるのだろう、という訳の分からないことを考えていた。しかもコンビニにマッチを買いに行った。
他人を殺してまで自分は死にたいのだろうか。これは私が私自身に甘えているからだと思う。現実を知りたくない、知ったら傷つくのを分かってるから、だから死にたいのだろうか。分からない。
生きていてこんなに悩みこんなに苦しんだことがなかった。高校を中退したり人に人として見てもらえなかったり親になかなか認めてもらえなかったり、耐え難いこと沢山あった。それでも今が一番辛い。間違いなく辛い。少し希望があるから辛いのかもしれない。分からない。自分のことがとにかく分からない。分かるのが少し怖い。
とても死にたいんだと思う。まだ死なない。