私の死ぬまで日記 134日目

こんばんは。

久々に行動的に動けた日なので日記を書きたくなった。こちらの世界線では午前3時になろうとしている。

気付いたら年も明け2021年になっていた。2020年が始まったばかりの私は鬱病になってから一番キラキラしていて精神が安定していて一年後の自分がこんなことになっているとは予想だにしなかったと思う。一年前も若干騒がれつつあったコロナがこんなにも長く続くとも思っていなかっただろうしこの幸せは永遠に続くものだと思っていたしましてやキャバ嬢になっているだなんて思いもしなかったと思う。ある意味盲目だったと思う。

プラスの思考になった時は次にマイナスの思考になった時のことを考えるのが私の常だった。一年前の自分は毎日がプラスだったので自分の本質のマイナスな部分を見失っていたし自己評価もきっと高かったし自分のことをいい意味でよく見れていなかったと思う。思い返し反省してもすぎたことは仕方が無いのだが、それほど自分に希望を持っていたのだろう。

新年早々騒がれていたコロナに罹患した。昨年の元旦はインフルエンザ。一一昨年の元旦はODしたことによる記憶喪失と併発した肺炎で入院していた。年初めに病気をすると一年が始まったな、と皮肉にも痛感する。去年の希望に満ち溢れた思考は今は見失っているのであまり強く出れないが、今年はどんな一年になるのかだろう。昨年のように男と病気に振り回される1年なのだろつか。貴重な二十代のこの時間、死と向き合えば向き合うほど意味のあるものにしたい、と思う。

最近なんだか色んなところで吹っ切れたような気分でいる。もちろん病むことだってあるし病気から吹っ切れたわけではないが、なんて言えばいいのか、心の中にずっとあったしがらみから開放されかけている、というのが正しいのだろうか。ずっとずっとモヤモヤと心の中にいて鬱陶しく思っていた感情から開放されかけている気がする。私のメンタルは大体対人関係で構成されている。自分自身、というよりは他人に委ねられているところがある。最近一年間ずっとメンタルを左右されていた男に改めて振られたのだが、それも開放感のひとつの要因だと思う。とても情けないことだが。諦めがつきかけているのかもしれない。

薬を変えたこともあるが、希死念慮に悩まされることも少なくなった。数ヶ月前の自分ならこのコロナに罹患している状態でODすれば死亡率が格段にアップするので実践していたと思うが、生きたいわけではないし死にたい気持ちも抱えて生きているがそれでも今ではないし無理やりではないと思っているのだと思う。自然現象で死ぬのならなんの悔いもないよ、と言った感じ。文章で感情を伝えるのって難しいな。

これ以上書いてもよく分からないことを書き連ねてしまいそうなのでここら辺でストップしておこうと思う。人間の断捨離、物の断捨離と同じぐらい大切。おやすみ。

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