私の死ぬまで日記 135日目

こんばんは。

薬を飲んでも眠れないのは久々で布団に入っていても埒が明かないのでソファーに座りタバコを吸い、大好きなシューマン=リストの献呈を流し日記を書くことにした。

献呈は学校の授業でシューマンの歌曲の分析をした際に知った。クラシックを専攻しているのにも関わらず全然曲を知らない。三年間でマシにはなったが所謂「名曲」と呼ばれる曲をまだ全然把握出来ていない。クララと結婚する際にシューマンが送った愛の歌曲。シンプルなメロディにリストの和音が交わって、theリストの超絶技巧なような曲。響きも歌い方も全て好き。

最近は躁鬱に悩まされることが減った。以前にもきっと同じようなことを書いたような気がするが二度も書いてしまうぐらい本当に減った。コロナに罹患しずっと家にいることで躁鬱の症状が増すのではないか、という懸念はあったが今のところそんな心配はない。あと二日間は自宅待機な訳だが、こんなにずっと家にいてずっと何もしなくても良い環境になったのは久々だった。何もしなくても良くなると自然とピアノを弾きたくなる。

以前からずっと目標にしていたダンテを読んで〜ソナタ風幻想曲〜の譜読みを少しづつ開始したり、大好きな献呈を読んでみたり、ショパンエチュードを弾いてみたり、熱情を仕上げてみたり、ピアノの楽しさを再認識しているような気がする。グランドピアノを購入したことにより意識が変わった。ピアノで生きて生きたい、ピアノだけで食べていくのは到底無理だが、このタイミングで買ったグランドピアノには相当な私の覚悟がある。まだ納品していないが、最後に自分のお小遣いを全て使って買ったアップライトピアノを弾き込んでいる。

音楽と身の回りの整理、これが私の精神安定。全く出来なくなることもしばしばだが、身の回りが整うことでピアノへのモチベーションや勉学へのモチベーションは本当に上がる。身の回りの整理に人間関係の整理も含まれる。器用ではないので、いちいち整理していちいち考えなければ色んなことがストップする。それが私。段々それを受け入れることが出来つつあるような気がする。

緊急事態宣言が発令された。前回発令された時のようなメンタルにならないために、今一度自分の状態を見返して対策しなければならない。ただ生きることはきっと出来るが無駄に生きないための努力。こんなに何もかも考えなければならない、ひょっとすると何も考えなくてもいいのかもしれないけど考えなければ気が済まない私の人生だが、今は少し楽しい。死にたくないわけじゃない。それは変わらないしきっと死ぬまで変わらないのだけれども、なんだか今はそれでもいいな、と思える。

少し強めの薬を再服用して無理やり眠って明日に備える。そんな毎日。眠れないので今日も例外じゃない。若干の躁状態は否めない気がする。躁鬱だからしょうがない、と言って自分を甘やかすのも必要だし躁鬱だからって甘えてはいけない状態もある。後者は第三者を異常に巻き込んでしまっている場合だと思う。後者が沢山いるから躁鬱は周りからの評価が良くない。自分は加担しないように。誰よりも周りが気になってしまうから。そろそろ薬を飲んでまたもう一度眠る努力をする。おやすみ。

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