私の死ぬまで日記 125日目
毎日書いていたはずのこのノートもたまにになってしまいました。
今日も1時まで出勤して帰宅して風呂に入ってスキンケアし髪の毛を乾かして営業ラインをしていたらこの時間になりました。明日一限から授業なので心配。
話変わって昨日人生で初めて自分たちで全て企画運営をしたコンサートを開いた。
特別学内でピアノが上手いわけではない私は本番も与えられず、自ら動いたりエントリーしないと人前で弾く機会がない。試験のための練習、コンクールのための練習が嫌な私は自分の演奏に点数がつかず自分の好きな音楽を好きなだけ表現できる場である演奏会が大好き。
プログラムもこだわり、私の人生の転換となったバラード4番を演奏した。切ない音や爆発するような音、特にバラード4番のコーダはショパンがこだわりをもって書き続けたバラード全4曲全てを跨いでのコーダだと思っており人生だと思う。
20年生きてきていろんなことがあった。舞い上がることもあれば鬱や拒食、対人関係に悩むことも多かった。私の人生は大変だった、とかではなくただひたすら波瀾万丈であった。気分と同様に波の多い人生だった。ショパンの波の表現は私の人生そのもの。聞き手に伝わったか分からないが私の人生を弾いた、そんな大きく言っていい演奏ではなかったが一音一音が一日一日であり一瞬であり生きている証であった。誰かに評価され点数をつけられる前提でなく、好きに好きな客を表現してたくさんの方から講評していただける、確実に幸せであった。
歌いすぎて重い、と言われることがある。聞き手から聞いたら疲れてしまうような演奏だけど一音一音を抜くことができない。もちろんうまく抜くことができるのが本当に上手い奏者だが人生もピアノもうまく抜けない。全てに全力投球してしまう。短所でもあるが長所でもある。昨日弾き終わる時に涙が浮かんだ。人生で初めて「親孝行」という言葉が浮かんだ。ピアノを弾かせてくれる環境を与えてくれる親、毎回聞きにきてくれる親、いろんなことがあって実家を飛び出してきてしまった身だが、この距離だからこそのありがたみを感じた。こんなにたくさん幸せでたくさんの人に愛されていて、それでいてピアノが好き。本当にピアノが好き。今日はそんな感じ。おやすみ。