私の死ぬまで日記 119日目

こんばんは。

本当にご無沙汰になってしまいました。

書こう書こうと思いつつも何だか気が進まない日々を過ごしました。

最近、本当に鬱が激しい。秋が近づき気圧が変化すると活動できなくなる。秋学期は授業になかなか参加出来ないケースが多い。何かを諦めたりするのも秋が多かったと思う。新学期に向けて進路を考え始めたりする時期、今のことで精一杯なのに今後のことなんて考えられない。

音大受験をしてみたい、と3年前思ったのもこの時期だった。3年前の自分に情けないような学生生活を送ってしまっている。オンライン授業だから、という言葉に甘えられるのであれば甘えたい。休学したい。休学して見つめ直して悔いのない学生生活にしたい。思ってもなかなか行動に移せない。移せずに1年が経ってしまった。

鬱の時は「見つめ治したいから休学してみたい」と思うのに次の日に躁になってしまうと学内で色んなことを始めてしまう。引き返せなくなってパンクして鬱になって、分かってるのになかなか上手くできない。

最近とても充実していてとても楽しいのに、何故か何だかやる気が出なくて色んなことのせいにしてみるけどやっぱりなんだか違うような気がして、フワフワと時間を過ごしていると夜になっていて。怖い。

自分のことをわかってもらいたいのにいざ分かってくれようとすると「知ったかぶりしないで」と強がってしまう。自分のことを知られるのが怖いのかもしれない。

一日ピアノを弾くと元気が出る。でもそれはピアノが好きだからではなく「頑張る自分が好き」に変わっていると思う。現に、あまり頑張らなかった日は鬱になる。鬱だから頑張れないのではなく、頑張れなかったから鬱になる。大好きだったピアノが自己肯定感のためだけの存在になってしまうことが苦しい。純粋にピアノを学びたかったはずなのに。最初からピアノを弾く自分が好きだったのだろうか。ピアノを弾く自分が好き、を含めて「ピアノが好き」なのだろうか。

将来、何したいのだろう。明後日割と大きな整形を控えているが、可愛くなってどうするのだろう。自分を好きになりたい。可愛くなったところで好きになれるのだろうか。一生自分のことが好きになれないのだろうか。自分のことを愛するためのピアノになってしまい音楽になってしまいお金になってしまい結局失うのだろうか。

死んでしまいたいとは思わないし、自分のことを好いてくれる人間だっているし、きっと大切に思われていて必要とされていると分かるのに、漠然と怖い。自分の気分の波についていけない。

頑張りたいのに頑張れない。なのに頑張らないことができない。頭は常に動いていて、休んでいるのに何かを考えていて生き急いでいる。死にたいって思わなくても自分は気付いたら消えてしまいそうな気がする。

死にたくても死ねない私だったのに死にたくなくても死んでしまう気がする。死ぬことは本望だったはずなのに不本意なものになっている。自分に期待してしまっている気がする。将来が怖くて怖くて仕方がないし勝算はないのに期待しているから、死ぬ事が本望でなくなっている気がする。何も頑張れていないのに。ずっとずっと病気のせいにしてしまうのに。

まとまっていない気持ちをただただ思ったことをその時思ったことを書き連ねているだけなので二転三転としているかもしれないですが。

長々と失礼しました。明日も生きます。おやすみ。

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