私の死ぬまで日記 149日目

こんばんは。

今朝、人事から最終面接の案内の連絡が来た。一通り業務連絡を終え最後に「なんでも質問してください」と言われたので自分へのアドバイスを求めた。人事は「ピアノのエピソードがほとんどだったので他の挫折を乗り越えた経験などがあればそれを話せるといいですね」と答えた。挫折かあ。一日ピアノを練習したりアルバイトをしている時間などに振り返ってみた。確実に高校時代だな、という結論にたどり着いた。

高校時代の私はある男の子と付き合っていて、付き合っている当初とにかく自分に自信がなくて本当に彼は私のことを好きなのか半信半疑だった。自分に自信をつけたくてダイエットをしたのが始まりだった。少しずつのはずがやれば結果が数字に現れるダイエットの面白さにハマり段々と過激になっていった。炭水化物を一切取らなくなりのちにデザートのフルーツを入れるようなほんの一口サイズのお弁当になり最終的にはそれすらも吐いて体重をコントロールし劇的に痩せた。勉強も好きで週に3回ほどある早朝テストのために毎朝4:30に起きて勉強した。自分が無理をしている感覚などさらさらなくやった分だけ数字で現れる快感が堪らなかったし頑張っている自分が誇らしかった。

ある日、何故か急に大量にご飯を食べたくなり腹がはち切れるぐらい食べた。気持ち悪くて泣きながら食べて罪悪感でトイレで無理やり吐いた。不安で下剤も服用した。何故かスッキリした。そこから過食嘔吐にハマった。その頃には精神の状態がおかしく気分の浮き沈みは激しいし自分が何を言っているのか、自分に起こっている事と他人に起こっていること、夢の中で起こった出来事が曖昧になって支離滅裂な発言をするようになった。感情的になって親に物を投げたり急に泣いたり大量に薬を飲んだりするようになった。病院に行き鬱病だと診断された。あとから分かったことだが鬱病は誤診で正確には躁うつ病(双極性障害)だったため、常薬の抗うつ剤はあまり効かなかった。(一時の不安は解消されるかもしれないがそもそも双極性障害は別の病気なので気分安定薬で気分の波を抑える治療が最も効果的である)そこからほどなくして当時付き合っていた男の子と別れた。「お前といると不幸になる」と言われた。その時本気で今仲良くしている友達も周りにいる人間も私と関わると不幸になるんだと思い込んで学校を辞めた。

学校を辞めたところで自分が何をしたいのか分からない。毎日生きているだけで精一杯なのに大学受験の準備もしなければならない。毎日12時間勉強してある日プツッとなにかが切れた。なんのために大学に行くのか、本当に自分のしたいことっていい大学に行っていい就職先に就職すること?辛い時にいつも決まって聴いていた辻井伸行さんのショパンのバラード四番の演奏が頭によぎった。辛い時とか落ち込んだ時いつも私は決まってピアノを弾いていた。大曲を弾くとかではないが、好きな曲の楽譜を適当に見て適当に弾いていた。私のやりたいことってピアノかもしれないと思った。急に親に「音大に行きたい」と告げた。元々高校は音楽高校に行きたかったが金銭面と将来性を考え諦めていた。どうしてもどうしても音大でピアノを弾きたいという思いが強くなり必死で説得して受験の約一か月前に音大受験に踏み切った。

今の自分を形成しているのって短いようで自分にとってはとっても長くてとっても濃くてとっても辛かったこの二年間のような気がする。普通じゃなくてもいいと教えてくれた高校二年生の時の担任、ある意味無知で純粋だった私に色んな価値観を教えてくれた当時の友人や恋人。今でもこの二年間に濃い付き合いをした人間とは親交が続いている。当時はこんな風に思えなかったけど今思えば摂食障害になりそこから双極性障害と人格障害を併発した経験って自分にとって必要な経験だった気がする。もし経験していなかったらいつも他人の目を伺う意思のない薄っぺらい人間だったように思える。正確には意思はあるのに何も言えない人間。今はワガママすぎるところがあるのは自負しているが。音楽大学に通う夢も叶っていなかったと思う。なんだかなるべくしてなったような。この経験をしたから人に優しくなったようにも思える。正当化したいだけなのかもしれないけど美化したいだけなのかもしれないけど、全て正解だったんじゃないかなと今なら思える。終わり方分からなくなったのでこれで終わるが、もし受け入れられるのであれば私の本当の挫折ってこの経験だし乗り越えた今の自分を評価されたい。これもワガママだしオナニーなのかな。おやすみ。

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