近所のお兄ちゃん的存在の音楽だったKAN
今日はまたまた私的なことを。
シンガーソングライター、KANが亡くなって1ヶ月ちょっと。
家族で好きだったKANは、時にはNo.1の座が他のミュージシャンにいきつつもいつもそばにいて、近所の大好きなお兄ちゃんのようでした。
ラジオにだんだん出れなくなっていたり、声が弱々しかったり、サブスクが解禁になったりしていたので覚悟はしていたのですが、好きなミュージシャンが亡くなるというのはこんなにショックな事なのかと・・・。
今週ずっとラジオのタイムフリーでKAN特集を聴いていて、とても暖かい気持ちになってきました。
大阪のラジオ局FMCOCOROでは12月16日土曜日、朝6時から23時までほぼずっとKAN特集。親交のあったというミュージシャン仲間のコメントから知らなかったことも知れ、暖かい気持ちに。Kさんとのライブの音源やKさんが歌ったKANのソングライターもすごく良かった!
そして、森田恭子さん。
森田恭子さんの19日のラジオ番組(やはりFM COCORO)で「KANくんバイバイまたね」というテーマでやるというので聞いてみました。
私の中では昔からKANちゃんの事を書いているなぞの女性。
全然謎ではなく、昔からラジオやらなんやらに出られていた方なのですね!
名曲と言ってあげていた曲や番組内でかかる曲が大好きな曲ばかりで
頷きながら聞いていました。ありがとうございます。
印象的だったのは、亡くなった今KANの曲の評価が上がってきている。生きているうちにもっと評価されるべきだった、というような言葉。
音楽業界にいる方がいうのなら、本当にそうなのでしょうね。
私的には、愛は勝つの印象が強すぎて、なかなかKANが好きと言いづらいところはありました。愛は勝つってちょっと特殊というか。いい曲なのですがね。本当は変化球の人なのにどストレートな感じでね。
根本要さんや森田恭子さんからちょこちょこめんどくさい奴だったというニュアンスも伝わってきて・・・。一緒に仕事している時はしつこすぎて参ってしまったりしてたのだろうなぁとニヤニヤしながら聞いてました。
KANが生み出す音楽やライブから本当に楽しんで追求している様子が伝わってきて、そしてライブのMCなどは基本ちゃんとシナリオを作っているというのも知り、ものづくりのプロとしてものすごいものを感じていました。
この亡くなった後、色々な方の口からKANの事を聞き、さらに強いものになりました。
KANさんと私は全く違うフィールドにはいるけれど、KANさんのものづくりの姿勢は憧れ。
庭づくりや庭仕事、それに関連した物事など、楽しく、時には苦しみながらも納得がいくようにしていきたいと強く思っています。
KANちゃんとの出会いは・・・
当時小学2年生(残念。小学3年生ではなかった)だった弟が担任の先生の影響でシングル「愛は勝つ」とアルバム「野球選手が夢だった」を親から買ってもらった事から始まった我が家。車で出かける時は必ずラジカセにKANのCDを入れ、ほぼエンドレス。次第に家族全員・・・父までもがKANちゃんと「ちゃん」付けで呼ぶようになり、家族全員で富士急ハイランドの野音ライブに行ったりしていた。次第に私と母とでライブに行くように。
その後、私は他のミュージシャンに熱を上げつつも安定の存在でそばにあったKANちゃんだった。
いつの間にか忙しくなり、仕事も休みがなかったり子供ができたり・・・車の中はラジオで情報を。BGMは声なしではないと無理。ちょっといっぱいいっぱいの時期があり、KANちゃんのライブに行きたいとチケットを取りかけたのがコロナの気配が漂う頃。ようやく行けたのが、2022年5月、昭和音楽大学で行われたビックバンドとの共演コンサートだった。
相変わらず羽をつけたKANちゃんは自分でビックバンド風にアレンジしたら「気持ちは分かるけどと言われながらたくさん直された」と嬉しそうに話していた。当時私の息子は、小学3年生。「小学3年生」のビックバンドアレンジを聞き、テンションがアップしたのを覚えている。
そして、10月1日?母を連れて横浜ジップへ。「こんなおばあちゃん、大丈夫かしら?」という母に、「大丈夫だよ、KANちゃんだもん。座る時間も前からあったし」と言いながら行ったステージに感激。還暦記念の振袖姿と「ノーノーイエスマン」という曲が留守番電話のメッセージで「もしもし、木村です」と言って歌っていたと知り、天才だと確信。そして矢代さんが亡くなったと知る。これから沢山ライブ行くぞ!とテンションが上がり、ラジオもエリアフリーなので欠かさず聞くようになり、弦楽四重奏コンサートのチケットも取り、ウキウキとしていたのですが・・・。
もっと沢山ライブに行っていたかった。
それでも、スマホをいじればどこにいてもすぐKANの曲は聞くことができる。CDはもちろんある。ミュージシャンのすごいところは亡くなっても音楽はあり続けるということでしょうか。
私はずっと聴き続けるんだろうなと思います。
CD、大切にしないと!(保存版買っておくかな!?)
未完成の曲をASKAに託していったという話なので楽しみにしています!
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