見出し画像

19 黄色いネオン

東京での暮らしが始まったのは18歳。
友人の友人と仲良くなって、数年間、個人的に何度も夜に遊んだ。
夜に遊ぶ、、、といっても、その子の車に乗って
行く宛もなく、車を走らせながらお喋りをする、、、という、
これを遊びというのか、なんなのか、分からないが
私はこれがとても楽しかった。

短大時代に軽く鬱になり、学校へも行かずに過食症になり友人達とも疎遠になって、、、という、暗い青春時代にも、その子とはうっすら繋がっていた。気が付くとその頃の友人は彼だけになっていた。


その子は同い年の男の子で、お互いに彼氏彼女もいなかったので
そういう関係になってもおかしくはないと、周りは思っていたようだけど
そういう関係には全くならずに会わなくなった。
お互いに恋愛感情がなかったかといえば、少なくとも私は
彼がオーストラリアに留学して、帰ってきたときには
ちょっと、そんな気持ちになっていたような気がする。
でも彼はそのオーストラリアで素敵な彼女を見つけて
帰国してまもなく結婚した。



離れていると寂しさや妄想から
相手のことがとても好きなんじゃないかという、
錯覚のような気持ちが生まれることは、よくあることだと思う。
それが間違っている感情だと、22の私は思っていた。
現実逃避のような、勝手に相手を美化するような気持ちは
恋愛ではないと強く思っていた。

彼がオーストラリアに行ってまもなく、写真と手紙が届いた。
なかなかいい写真で、こればかりは捨てられず、今も全て持っている。

何通か手紙が届く頃にはすっかり彼は私を恋しく思っていた。
手紙には溢れるように私への恋の気持ちが書かれるようになった。
でも私はこれは恋じゃないと、勝手に美化して「そんな気持ち」になっているのだと彼に伝え続けた。
私は私でその当時働いていた雑貨屋さんで、タチの悪い客につかまり、震える程の怖い思いをして、電車で家に帰る途中、どうしても気持ちが収まらず、公衆電話から国際電話をかけて、泣きながら彼に話を聞いてもらったこともある。お互いに「なにかしらの拠り所」として心にあった人間であったことは間違いない。



恋愛に至るまでって、本当に奇跡のようなタイミングとか、
いい意味でも悪い意味でも、それぞれの勘違いや思い込みや情熱や
そんなものが大きく関係していると今でも思う。
それ以降の恋愛においても、もちろん一方的な片思いでも、そう思った。
空振りの多い恋愛ばかりで、もっと上手な恋愛がしたかったと未練が残る。


彼と会わなくなって2年後くらいに、突然電話があった。
今日、父親になったと言う報告の電話だった。
男の子が生まれ、名前はもう決まっていた。
私は素直に嬉しかったし、電話の向こうの彼も今までで1番いい空気を醸し出していたと思う。お互いの間に、上手くは言えないけれど、若くて不器用で上手に生きてこられなかった時期を共にした、同志との最後の確認のような、これからもそれぞれお互いに頑張っていこうね的な、そういう空気が流れていた。

彼とはそれきり連絡を取っていない。

黄色いネオンを見るたびに、彼のことを思い出す。
夜の高速のオレンジの灯りを見るとただただ懐かしい。
何処か同じ空の下で、元気に暮らしているといいなと思う。


いいなと思ったら応援しよう!

Shiho
サポートしていただいたら、とても喜びます♡