私の物語 中編

 私たち親子は行く当てもなく、ただただ電車に乗った。幼少期から転々と移り住んだ中でも一番長く住んだ場所から住むところと働く場所を探して。でもそれは決して楽なものではなかった。住所を持たず、大した職歴もなく女二人が世間に出るには世の中そんなにやさしいものではなかった。今思えば、母親と別々の道を歩むという選択肢が私にはあったのかもしれない。しかし、私には母親と一緒に生活するという選択肢しかなかった。なかったというよりそれ以外の生き方を私は知らなかったし、自分で働いたお金を自分のために使ったこともほとんどなかった。生活していくには一体どのくらいお金がかかるのか、家を借りるのには一体どれくらいあればいいのかそんなことすら知らなかったのだ。だから母親についていくしかなかった。


 住み込みの旅館の求人を見つけて見ず知らずの土地に行ったこともあった。でもうまく行かなくて二人してわずかなお金を渡されて放り出されてしまう。母親の機嫌はみるみる悪くなって道すがら酷いことを言われるのも日常茶飯事だった。所持金も減っていき、このままではと思った私たちは疎遠になっていた姉を訪ねて行った。しかし最寄り駅についた私たちに姉は冷たくこう言うのだ。
 「うちでも面倒はみれんから。」
そういって手渡されたのは500円とバスタオルだけだった。もちろん、すがるように姉に二人で頼み込んだが姉は手を振りほどいて車に乗って去ってしまう。所持金は底につく寸前でもうなりふり構っていられなかった母は絶縁された実家を訪ねようと言い出しその場所を後にした。雪深い道を駅から延々と歩いて行く。たどりついた時にはもう深夜近かったと思う。親戚は一泊泊まる事は許してくれたが、朝になるとそっと、封筒を渡して出て行ってほしい、二度と敷居をまたがないでくれと言われた。興奮して顔を真っ赤にする母親と私は再び放り出された。封筒の中身を確認すると中に1万円が入っていたが母の実家では仕事が見つかるわけもなく、仕事のみつかりそうな姉のいる町へ戻る交通費にほとんど消えた。私たちはまた振り出しに戻ってしまった。
 

 それから、手当たり次第に派遣会社を訪れては日払いの仕事をくださいと頼んでまわった。けれど身分証もない、住むところもないそんな人間を雇ってくれるところはなかった。最終的にたどり着いたのはやくざまがいの人たちがたむろしていたところだった。私だけなら身分証や住所がない代わりに手数料をとるという条件で。仕事はどうにかなったが住むところはない。ネットカフェでは二人分の料金がかかってしまうから、カラオケのオールナイトで姉からもらったバスタオルを布団代わりにして眠った。シャワーも浴びれないから公園の水道で頭を洗った。2月の公園の水は冷たかったがしかたない。そうやって私は仕事へ、母親は時間つぶしをという生活が始まった。
 仕事は製造派遣の仕事で朝に駅に集合、2時間かけて工場にバスで移動、仕事してまた2時間かけて戻って来る。一日分の給料を母親に渡してカラオケボックスに行く。その繰り返し。けれどそんな不安定な生活を続けていくと身も心もすり減っていく、それは母親にも言えたことで寒い外で待たされる事やギャンブルに行けないイライラが募っていき、それは私に向けられた。屋根の下で体を伸ばして眠りたい、安心して生活できるだけのお金が欲しいそう思った事はあの時ほどなかった。だから、ハローワークへ住み込みの仕事を紹介してもらいに行った。そこである場所を紹介されたのだった。
 

 ハローワークで言われた事、それは生活に困っている人に宿泊と食事を提供している相談所があるのでそこで話を聞いてもらったらどうかということだった。半信半疑だったものの行く場もない私たちはそこへと向かった。相談所につくととりあえず詳しい相談は明日にして一泊して今後のことを考えていきましょうと言われ古びたビジネスホテルの一室に案内された。久しぶりの温かいシャワー、久しぶりの温かい食事、久しぶりの布団にふと涙がこぼれた。当たり前だと思っていたこんなことが幸せなことだったのだと思うと気が緩んだのかもしれない。
 翌日、これまで起きたこと、現在の状況や今後どうしていきたいのかを話した。一通り話終えて相談員の人に
「辛かったね。でももう大丈夫だから。」
そう言ってもらってまた涙が出た。その後、いろいろ制度利用について説明を受けてその上で生活保護を申請することを勧められた。確かに家もなく、お金がないのではそれも仕方ないと思ったのだけれど、母親は違った。手っ取り早くお金が借りれる事を望んだのだ。理由は明らかでそのお金をもとにギャンブルに行きたかったのだ。それを表面上は明らかにせず人様の世話になって保護を受けるくらいなら働いて敷金を稼ぐまで宿泊させてほしいと言い出した。相談員の人がそれではいつまで宿泊が必要になるかわからないのでできないと言うと怒って出て行ってしまったのだ。母親を追わなくてはと思い立ち上がったその時に相談員の人に呼び止められた。
「僕らも一緒に説得するから、あきらめちゃダメだよ。」
多分、相談員の人たちにはお見通しだったのだろう。そう思うとなんだか情けなくなった。きちんと自分たちのことを考えてくれる人たちと自分の事ばかりの母親どっちを信じたらいいのだろう。そう思って母親を追いかけた。次の日から私を交えて相談員さんが母親を説得してくれた。一時的にお金を借りても生活を立て直さないと返済することもできないこと、具体的に毎月の生活がどうなっていくかということ、将来的にこういった形で保護から自立に向けて頑張って行きましょうとプランを提示してくれた。それに母親もしぶしぶ同意して保護申請をした。そして3週間後、私たち親子は古い文化住宅に入居し新しい生活をスタートさせた。
 

 これでやっとまともな生活ができると私は思っていた。相談所にも時々、顔を出しながら近況を報告して役所にも手続きをしに行く。今までできなかったことをここで頑張っていくんだと思っていた。でもそれはすぐに終わってしまう。母親が手渡されたお金をすべてギャンブルにつぎ込んでしまったのだ。それもわずか1日で。さすがに私も母親に怒りを覚えた。せっかくいろんな人が協力して新しい生活を送れるようになったのにそれを台無しにするようなことが何でできるのか。さんざんしんどい思いをしてきたのにあの生活に戻ってしまうのか。そういった思いが私のなかに渦巻いて母親にぶつけていた。でもその言葉は母親には届かなかった。私は殴られ蹴られてこう母親に言われた。
「お前は私のいうことだけ聞いとけばええんや!働いて金を稼いでこい!余計な事いうんなら家の中に閉じ込めるで!」
それを聞いた瞬間、私の中で何かがぷっつりと切れてしまった。そして母親を突き飛ばして着の身着のまま飛び出していたのだ。後ろで母親の金切り声が聞こえたが振り向くことなく走り出した。そしていろんなことを思いながら走っていた。私は何だろう。出来損ないと言われ、殴られ、お金だけ取り上げられ、自分たちの都合で振り回される。そう考えると不安もあったが悲しさでいっぱいだったのだ。

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