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【カラマーゾフの兄弟 読破の道_11】永遠なるお姉さんたち

8/30(金)

 韓国から戻って怒涛の日々を過ごしている。朝は仕事で図面を引いて、昼休みに文章を書いて、午後はその図面から模型を作って、仕事終わりは人の文章の翻訳をして、という、作る行為の休憩で作る理想的な状態になっている。旅に出て色々見たあとは、やっぱり作りたくなる気持ちが沢山湧いてくる。定期的に旅に出るって、すごく大事なことだなと思う。

9/1(日)

 グルーシェニカがすごすぎる。良くあんなことがあったあとですぐに、ミーチャ(ドミートリイ、長男)に、「赦してくれる、ミーチャ? あたしを赦してくれる、くれない? あたしを愛している? 愛している?」(第八遍、第八章 悪夢より)などと言えたものだ。

 彼女の振る舞いを見ていて、二つの小説の登場人物(どれも魅力的な女性だ)を思い出した。一つは『グレート・ギャツビー』のデイジー。数年前の将校と再会して、再熱するデイジーと、数年前の男のことをずっと思い続けながら、再会した途端に冷めるグルーシェニカは、真っ向から対立すると思いきや、どちらも、自分が人から愛されるという絶対的な自信からくる、横暴とも言える奔放さと、男を誘惑する(してしまう)言動が共通している。それに二人とも作中一の美女として描かれる。
 もう一つは、『ノルウェイの森』のハツミさんで、ワタナベが彼女に向かって「あなたみたいなお姉さんがいたらよかった」と言うと、「少くともこの1年くらいの間に耳にした色んな科白の中では今のあなたのが最高に嬉しかったわ。本当よ」と喜ぶのだ。グルーシェニカも、アリョーシャが彼女を「姉さん」と形容したことに「この人はね、わたしのこと、姉さんって呼んでくれたの、わたし、死ぬまで忘れないわ!」と歓喜する。ワタナベにとってもアリョーシャにとっても、このお姉さんたちが、自分の言葉でこんなに喜んでくれたことは、これからの糧になったのだろうと想像する。

 自分がもう、人のことを気軽に「お姉さん」と慕える年齢ではないことに気づいて、少しだけ悲しくなった。でも、僕の心の中にはこれからも、グルーシェニカ、デイジー、ハツミさんという三人のお姉さんたちがいる。彼女たちは僕がこれからどれだけ歳を取ろうとも、そのままの姿でそこに居てくれる。それで良いんだと思うし、それだからこそ良いんだろう。これは本当に、小説を読むことが好きな人間にしか共感できないことだと思う。

進捗

上巻:■■■■■■■■■■ 100%
中巻:■■■■■■■□□□ 72%
下巻:□□□□□□□□□□ 0%

カラ兄読破まで、あと42.7%

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