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【マレー半島縦断記④】それでも旅は続く

 マレー半島を旅していて発見した、人生を変えた大きな一つのことがある。それはスムージーの美味しさに気づいたことだ。シンガポールも含めると今朝で四杯目だけれど、屋台のものも、カフェのものも、どれも本当に美味しい。太めのストローから、細かくなった果肉が雪崩れ込んできて、氷で冷やされた果実の旨味と栄養が、舌から、喉から、胃から、人間を幸福にするために攻め込んでくる。細胞が歓喜の声をあげているのが聞こえてくる。しかも、どれも安い。Lサイズくらいのものが一杯200円で飲める。ドリンクがこれだけ美味しければ、確かにお酒なんて要らないだろう。イスラム教でアルコールが禁止できるのは、このスムージーがあったおかげかもしれない。明日を生きる活力にさえなり得る。これが広まれば、世界の自殺率は低下するのではないか。

好物はスムージーと民俗学博物館

Art House Gallery Museum of Ethnic Artsという名前の美術館に向かった。行ってみて初めて気づいたのだが、テナントの一部に間借りしているような小さなギャラリーだ。公的なものというよりは、個人の収集したアイテムが展示のメインである。有料パートと無料パートがあり、無料のほうは、有名絵画のコピーが沢山置いてあり、やる気を感じられない。しかし有料パートはすごかった。世界各国のお面やら人形やら祈りの道具やらが、所狭しと並ぶ。

 入り口でワンコインを支払ったあと、若いスタッフがずっと後ろについて監視してくるので、気まずくなって中国語で話しかけた。
 「あなたはここのオーナーさんですか?」
 「私がオーナーに見える?ただのバイトよ」
 「どうやってこんなに沢山集めたんですか?」
 「私もよく知らないけれど、オーナーが好きで、色んなところで集めてくるのよ。」
 「スケッチとか、写真を撮ったりしても良いですか?」
 「ご自由にどうぞ」
 「ちょっと長くなりますが、大丈夫ですか?2時間くらい」
と言ったところで、オッケーと良いながら他のスタッフさんの元に報告に行った。遠くで、「日本から来た人で、スケッチをしたいらしい…」と説明している声が聞こえてくる。無事暇を与えられた(もしくは他の仕事を与えられた)らしく、彼女を引き離す作戦に見事成功した。僕の他には誰も客がいなかったので、リュックを床に下ろし、じっくり見る。一人で謎ギャラリーに籠る1時間半。

 公的な美術館ではないから、キャプション等がなく、どこの国のものかさえ分からない。感覚で受け取るしかない。歴史的価値とか、美術的価値に詳しくないので直感だけれど、普通に国立の美術館においてあっても良さそうなものが沢山あった。満足度はとても高い。

どれもいい表情をしている
仮面天国

モスクで夢を見る

Masjid Jamek Sultan Abdul Samadというモスクへ向かう。細い川の合流地に位置しており、中洲のような場所に建っている。入り口のセキュリティ前で、短パンの上から長ズボンを履き、準備オッケー。もし長ズボンを持っていなくても、多くのモスクで、上から羽織るホグワーツのような上着を貸し出していた。観光には結構ウェルカムな姿勢だ。

寝転ぶ人と、申し訳程度の建築観察

 今日のモスクは大理石張りで、これまた多くのおじさんたちが転がっていた。祈りに来ているというよりは、サボりにきているようにしか見えない。そして彼らは全く喋らない。台湾では廟(道教のお寺)に行くと、ひたすらしゃべっているおじさんたちに出くわすが、こちらはひたすらボケーっとしている。たまにスマホをいじっている人もいるけれど、多くはただ転がっている。隅には小さな本棚があり、数冊のコーランが置いてあったが、別に誰もみていない様子だ。

 なんかその光景をみていたら、汗をかいて歩きまわって、必死にスケッチをかいているのが馬鹿らしくなってきた。郷に入っては郷に従え、ということで、僕も転がってみる。大理石がひんやりと冷たくて気持ちが良い。眠りが浅くて、いくつかの断片的な夢を見た。ある髪の長い女の人に、日本語と英語と中国語を順番に試して必死に思いを伝えようとするが、ずっと首を振られ続ける……。夢と現実をいったり来たりするうちに、自分のいる場所と時間がよく分からなくなる。次は何をしようか?とぼんやり考える。

転がるムスリム

旅の休息地

 唐突に気づいた。結構疲れている。身体の疲れはもちろん、精神的にも疲れている。あまり人と喋る気が起きないし、慣れない土地でバスや地下鉄に乗る元気もない。今まで結構頑張って人と喋ったり、慣れない高い太陽に長時間晒されたりと、一日中頭と身体を酷使していたので、当然だろう。一週間程度の旅だったら休み無しでも問題ないが、二週間もあれば、休息の日も必要だ。今日は休もう。それに気づいてからは、とても気が楽になった。旅にも休息は必要なのだ。

 寝転ぶのも飽きてきたので、次のモスク(Masjid Negara)へ徒歩で向かう。着いた時間がちょうど、イスラム教徒向けの時間だったらしく、入り口で止められた。一日の中で、観光客に開く時間が決められているのは良いことだと思う。その時間があればこそ、空いている時間はこちらも心置きなく参観できる。なので、隣にあった美術館へ先に行くことに。イスラム文化の美術館だ。イスラム美術を真面目に見るのは初めてだけれど、仏教美術ほどの魅力を感じなかった。必死さというか、我々にはこれしかないんだ、という気迫のようなものが感じられない(気がした)。偶像が禁止される宗教だと、美術の発展もちょっと遅れるのかもしれない。それとも単に、僕は仏教美術が好きなだけかもしれない。

行き場のない男

 クーラーが効いていて涼しかったので、ベンチに寝転がっていたらまたも怒られた。「ここで寝られては困ります」とのこと。客はめちゃくちゃ少ないし、4つも並んでいるベンチは誰も利用しておらず、その内の一つを使っていただけなのだけれど、5分と経たずに注意を受けた。思ったよりも厳しい。国立の公共美術館なのだから、市民が寝ることくらい許容してほしいものだ。これで、シンガポールでもマレーシアでも、美術館で寝て怒られたことになる。この旅行記は見る人が見たら憤慨ものかもしれない。「けしからん!日本人としての品位を保て!」みたいなことを言われるのだろうか。こうなったらタイでも試してみたくなってきた。マレー半島における美術館での睡眠注意され実績コンプリートまで、あと一つ。

イスラム美術館のチケットとスケッチ

 先ほどのモスクに戻って入場してみる。入ってからというものの、観光ルートの押し付けが酷かった。次はこちら、という矢印が次々と現れ、それにしたがって歩くと、メインの大広間に通される。しかし肝心のモスク中心部には立ち入りができず、随分遠くからしか見られないし、至るところにセキュリティがいて、ずいぶん居心地が悪い。ここはかなり観光地としてメジャーなのか、ホグワーツの上着を来た観光客が、至る所で記念撮影に励んでいた。

 今まで見てきたモスクのあけすけな感じに対して、こちらは色々と先回りして準備してくる感じがする。モスク側に、ここで写真を撮れ、ここに数分座れ、こっちから帰れ、と言われているようで、とてもつまらない。やはり観光地に行く必要は無い、と思った。

先細りの柱が並ぶ空間、ここは少し面白かった

 スマホの充電が切れて、カバンをさばくるけれども、モバイルバッテリーがない。どうやら宿に置いてきてしまったようだ。記憶を頼りになんとか宿へ帰りついた。明日の朝、クアラルンプールを発って、また北上するつもりだったので、今日のうちに電車のチケットを買っておきたい。ある程度スマホ(と身体)を充電をしてから、カバンを置いて身軽で出かけた。駅に行ってみるも窓口が閉まっており、自動券売機を試してみるも、「お探しの日程でのチケットはありません」の表示。しょうがないから帰宅した。宿のスタッフに聞いてみたら分かるだろうと思ったけれど、全く喋りかける元気が出てこない。なんだか今日はまったくやる気がない。まあ、明日起きてから考えよう。今日は徹底的に休むことにしたんだ。

 早めにシャワーを浴びて、小さなテラスに座って、以前、日本に一時帰国している時に会った友達がプレゼントしてくれた『日本人の知恵』を読む。日本が恋しくなったら読んで、と言われていたけれど、恋しくなる前に開いてしまった。とても昭和的な価値観の本で、当時の流行に大きく左右されている。今の時代からみると賞味期限切れしている内容ばかりで、あまり面白くなかった。(友達へ:ごめんなさい) 

 ベランダからは賑やかな中華街が見下ろせる。客引きをする店員、道ゆく旅人、忙しく立ち歩く人々、みんな汗水垂らして頑張っている。僕はといえば、冷たいビールを飲みながら、扇風機に当たりながら、優雅に読書。ああ、やはり喧騒を見下ろすのは気分が良い。ひょっとしたら前世は王族だったのか?宿のウォーターサーバーでお湯を入れ、フロントでフォークを借りてどん兵衛にありつく。これもまた先生が授けてくれたものだ。先生は一体いつまで、この旅行記に登場するつもりなのだろう?

 部屋に戻ったら、同部屋のアフリカ系フランス人のアニキと知り合った。気さくに「よう!よろしく!」みたいな感じで挨拶してくれて、お互いにどこからきたのか(何人なのか)を確認しあった。書いてみて気づいたけれど「Where are you from ?」という言葉は「Where is your country ?」という言葉とは随分違う気がする。前者は気軽に言えて、後者は失礼に感じてしまう。僕もこの旅で何度か聞かれたけれど、毎回Japanと答えていた。しかし前者の質問の場合、Taiwanと答えても嘘ではない。国境は大事なことではないというのは、この旅のテーマかもしれない。モスクで寝て、移動してまたモスクで寝る。なんとも気の抜けた一日を過ごした。

 翌朝7時に起きて準備をして、駅に向かう。9時にオープンする窓口に8時半について待機。待ってるアピールをしたら早く開けてくれるかもと期待した僕が愚かだった。9時ぴったりに出勤してきた駅員さんが、9時10分に対応してくれた。そして普通に9時56発の列車が買えた。向こうから声をかけてくるタクシー運転手と、自動券売機は信用するな。ここから5時間くらいかけて、タイとの国境の街へ向かう。

ひたすら移動をする一日

クアラルンプールを立つ朝

 冷房もついて、充電もできて、wi-fiも飛んでいる、まるで自室かのようなとても快適な列車に揺られていたら、あっという間についてしまった。恩師がかつて授業で紹介していた『スモールイズビューティフル』を読んでいたんだけれど、あまり集中できなくて寝てしまった。

世界はココヤシ農場でできている

 有名な観光地であるイポーを飛ばして、国境のパダン・ブサール駅につく。駅を降りてもまだマレーシア側のはずなのに、改札を出た途端にタイ語を沢山見かける。着いたのが15時近くなのに、朝から何も口にしていなかったので、とりあえず駅構内の食堂に入った。ここではマレーシアの通貨とタイの通貨、両方の表記があって、どちらも使えるようになっていた。

 タイに入国した途端(正確にはまだ入国していないが、今後も沢山見かけることになった)に、有料トイレを見るようになった。おばあちゃんが座っていて、ワンコイン(30円分くらい)を要求している。悔しいから頑なに使わなかった。駅内に二つトイレがあって、降りてすぐのトイレにはおばあちゃんが居たけれど、逆側には誰もいなくて、無料で使えた。ひょっとしたら勝手に椅子と机を置いて、有料と見せかけているだけなのではないか?非公式トイレおばあちゃんには注意すべし。

 腹を満たしたところで、窓口に行って切符を買おうとして仰天。20人ほどの行列ができている。窓口は二つあり、それぞれにマレーシアの国旗と、タイの国旗が掲げられている。聞き込みしたところ、みんなが並んでいるのはマレーシアに行く方の窓口だ。なんだ、タイに行く方は空いているのか、と安心するも、タイ側の窓口に駅員さんがいない。「暫時停止中」の札が出ている。トイレにでも行っているのだろうか?こちらにも行列ができたらたまらないと、一人でタイ側の前で待つも、待てど暮らせど来ない。諦めて構内を散策しながらGoogleマップをみると、歩いて国境を抜け、タイ側の駅まで行くこともできそうである。そんなルートが少し頭をよぎったが、流石に愚策かと思い引き返した。すると窓口が再開していた。

 マレーシア通貨の残金でちょうど電車の切符を買えた。ジュース一本分も残らなかった。自分の計画性のなさと、幸運に呆れる。 これでマレーシアリンギットともお別れだ。

タイ入国

 出発30分前くらいにゲートが開き、階段を降りてプラットフォームに向かうまでの間に、荷物検査とイミグレーションがあった。まるで空港みたいで面白い。現金なしでタイへ入国してしまって、不安だ。加えて、今まで問題なかったプリペイドSIMが使えなくなって、両替所を調べることもできない。まあどうにかなるかと、窓が開け放たれた空調のない電車から、ゆっくりと外を眺めていた。天井には扇風機が回っている。暑すぎることも含めて、良い雰囲気だ。タイ南部の街、ハートヤイに着いた。

 改札を出る前から、客引きのタクシー運転手が大量に見える。一度に5人くらいに声をかけられたけれど、全部ノーセンキュー。タイバーツを持っていないんです、と財布の中身を見せてあげたい気分だった。そういえばマレーシアでは一度も客引きに会わなかったな。タイに来たという実感が湧く。
 駅を出てすぐの通りに、貴金属のお店が大量にあったけれど、どういう理屈なのだろうか。シンガポールでも、趣味の悪い貴金属アクセサリーのお店が大量に並んでいる通りがあり、それらが密集する理由がいまいち分からなかった。しかもどの店にもそれなりに人がいる。オタク関連のものが秋葉原に密集していたり、神保町に古本屋が密集しているのと一緒なのか?ゴールドへの購買意欲が無さすぎて、想像することができない。

見えているのは全部ゴールドのお店

 ホテルに徒歩で向かうまでに両替所があったので換金した。「台湾元を変えたのなんて初めてよ」とお姉さんに言われた。3000台湾元が3000タイバーツ(THB)になった。1.0倍という奇跡のレート。ちなみに為替は1.1倍なので、やはりレートが悪い。300元(1500円くらい)損した。

 宿について、LAから来たというおじさんと知り合う。顔つきと白髪は初老に見えるのだけれど、体つきはガタイが良くて、結構若く見えるため、年齢がよく分からない。日本から来たと言ったら、「日本この前行ったけど物価高えよな!」と言われた。「LAのが高いでしょう」と言ったら「確かにそうだ」と笑っていた。彼は毎年タイに遊びに来るタイフリークで、いろいろなことを知っていた。確かにタイに比べたら日本は高く感じるだろう。

 ホテルスタッフにおすすめしてもらったナイトマーケットで夜飯を食べる。タイで有名らしいチキンライスと、ジュースを買った。ライスはパッサパサだし、ジュースは人工甘味料が甘ったる過ぎて、少し残してしまった。全然美味しくなかった。

 いくらやる気がなくても、人と喋りたくなくても、歩みさえ止めなければ進むことができるということに、少し感動した一日だった。記録をみると、スケッチは1ページしか書いていないし、写真も数枚しか撮っていないので、一体何をしていたんだ?と思うけれど、ちゃんと500km近くも移動している。なんとなくで決めた縦断の旅だけれど、これだけ長い大地を2週間で渡りきろうとすれば、やはりこういう日も生まれる。こういう地味な、後から振り返っても思い出せないような一日が、自分の人格に深みを与えてくれる、と信じることにする。

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