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【カラマーゾフの兄弟 読破の道_4】道化の役割

7/9(火)

 事務所に以前のスタッフが遊びに来て、今やっているプロジェクトのこと、3人もいる子供との生活のことを紹介してくれた。かつての仕事のことも色々聞かせてくれて、年末年始返上で働いたとか、夜中になっても事務所がうるさくて眠れなかったとか、数日で図面を書き上げたとか、お腹の子供が飛び出す前日まで仕事をしてたとか、日本のアトリエみたいな伝説的なエピソードがたくさん飛び出して、やっぱりどこでも一緒なんだな、と感じた。僕らはまだまだというか、彼らの時代から見ると、ぬるく見えるのだろう。かつての先輩たちの踏ん張りによって、今があることを改めて実感。僕も未来のために働くぞ!と思った。

 その人がとても愉快な喋り方をする人で、みんなすぐに好きになってしまった。数秒ごとに冗談を言い、ちょっと面白すぎて、どうやったらあんな風になれるのだろう、とポカンとしてしまった。

わたしゃいつも、どこかへ行くと、自分がだれよりも卑劣な人間なんだ、みなに道化者と思われているんだ、という気がしてならないんです。

「第一部、第二編、第八章:恥さらしな騒ぎ」より

 そんなときに父フョードルの吐くこのセリフを見て、なんとなく似ているように思った。最初は求められて演技でやっているものが、気づいたら自分の身についているとか、周りから求められることが分かって、自分が道化だと感じながらも、続けてしまうことって、あるよな。彼女のルーツも、もしかしたらそういうところから来ているのかもしれない。

 自分自身も、今そんな経験をしている。中国語を喋っている自分はすごく明るい。大きい声を出すし、感情を大袈裟に表現する。時には、不作法な言い方をわざとして、笑いを取ったりしている。これは日本語を喋る僕とはすごく異なる。なんといっても、そもそも一人称が「僕」なのだ。

 元々は、その方が伝わりやすいし、分かりやすいからという理由だったけれど、気づけば無意識でやるようになっていた。そうしていると、周りがそういう自分を期待するようになって、それが加速していく。これじゃまるでフョードルと一緒だ。どこに本当の自分はあるのだろう、なんて悩んだりもするけれど、本当の自分なんてものは案外無いのかもしれない。今の自分は、過去の自分の選択や経験の集積によって作られているのだから。

7/11(木)

 今日はお世話になった恩師の命日。朝起きて、大学の方角に向けて一分ほど祈祷した。それからカラ兄を開いて、読み進める。朝ヨガならぬ、朝カラ。最近はこれが当たり前になってきた。先生は、カラマーゾフを読破したことがあったのだろうか、そんなことも、聞けず仕舞いであった。

7/14(日)

 土日とも、とてものんびりと過ごした。溜まっていたやりたいことが随分とこなせて、とてもすっきり。掃除とか洗濯をした後の気分に似ている。土曜は建築関係の論文を2本読んで、来月の韓国旅行に向けて伝統住宅と墓場の調査及び位置のプロットをし、韓国の住居についての論考を読み、中国語読書のnoteを更新をした。今日は、かつての事務所スタッフの案件を見に行って、そこに入っているカフェでホワイトコーヒーを飲みながらカラ兄を読み耽った。相変わらず赤とピンクの衣服を身に纏ったおばさんグループが爆音で喋っているが。台湾で暮らす限り、爆音おしゃべりから逃れることは、諦めた方が良さそうだ。

 次のエピソードで、父フョードルの召使い長である、グリゴーリイさんのことが好きになった。

・この世においてもあの世でも非難したり、脅したりせず、しかもいざという時には自分を守ってくれるような人間

・要するに肝心なのは、昔馴染みの気心の知れた、ぜひとも別のタイプの人間がいてくれるという点であり、苦しいときにその男をよんで、ただ顔を見つめ、何かまるきり関係のないことでもよいから言葉を交わすことができるという点であって

「第一部、第三編、第一章:召使部屋で」より

 人生において、グリゴーリイさんのような存在がどれほど重要であるかは、いうまでもない。こんな人に出会えたことは、フョードルのような人間にとっては奇跡とも呼べるだろう。

 このエピソードで特に感じたのだけれど、この小説は脇役描写への力の掛け方が凄まじい。グリゴーリイさんの、奥さんとのエピソード、子供に対する接し方、仕事に対する心構え、様々なエピソードが畳み掛けてきて、気づくと、彼がどういう考えで生きてきて、どういう顔つきをしているかということが、直接語られていないのに関わらず、想像できてしまう。そして、彼の人柄を本当に好きになってしまう。これが、主人公(?)の三男アリョーシャの父親の召使いという脇役に対する力の掛け方である。普通に、グリゴーリイさんを主人公にした小説を一本書けてしまいそうに見えるほど、魅力的でドラマチックだ。もしかして、カラ兄においては、誰が主人公とか、誰が脇役とかを考えること自体が、ナンセンスなのかも知れない。カラマーゾフというおそろしい血にまつわる人々の、分厚い編み物のような物語なのだろう。

 頑張って読み進めたつもりだったけれど、電子書籍の進捗は15%ほど(上中下トータルでは5%ほど)しか進んでおらず、改めてカラ兄という山の高さを感じる。この日記もこのペースでいけば、ナンバリングが30くらいまで続いてしまいそうである。26週間後の自分なんてうまく想像できないけれど、最初に立てた誓いを守って、しぶとく続けようと思う。

進捗

上巻:■■■■□□□□□□ 41%
中巻:□□□□□□□□□□ 0%
下巻:□□□□□□□□□□ 0%

カラ兄読破まで、あと86.3%

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