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地球に座標を引くこと(羅東運動公園/高野ランドスケーププランニング)
台湾の東海岸に位置する、デルタ地形の平地、宜蘭(イーラン)県羅東(ルオドン)市というところに、日本のランドスケープデザインの会社である、高野ランドスケーププランニング(http://www.tlp.co.jp)がデザインした運動公園がある。この公園には、テニスコートが8つに、スタンドまでついた野球場、陸上の大会が開けそうなちゃんとしたトラックもあれば、壁打ちスカッシュのコート、ゲートボールができる芝生、大小プールが二つと、運動と名のつくもの揃い踏みの、大公園である。真ん中には大きな湖もあって、カップルで水鳥に餌をあげたり、走り回る子供達を見守る親世代、談笑しながらウォーキングをする老人集団や、バードウォッチングをする中年サークルなどの姿が散見される。人々はここで、運動したり談笑したり、幸せな時間を過ごす。
以上は、とても機能的な説明である。(まあ台湾国内であれば)どこであろうと、これらの要素が揃えれば、これだけのことができる公園が生み出せるだろう。わざわざここで記事を書いているということは、当然それだけではない。この公園の魅力は、時間と空間のスケールが拡大されることだと思う。(ここでいきなり話のスケールも大きくなる。)
何がスケールを拡大させてくるのか?その鍵は、この公園に引かれた、見えない2本の直線にある。
(唐突に”スケール”という単語を3度も使ってしまったので補足しておく。多義語であるため、厳密な定義は難しいのだけれど、ここでは、「尺度の感覚」という意味で使っている。)
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公園を何の気なしに散策していた僕の目に映ったのは、人一人分程度の隙間を開けて、石が直線上に並ぶ異様な光景。ここに立つまでは、「何やら石が沢山あるな」程度だったのが、歩いていてふとこの軸線上に立った途端、閃光が走るように意識がこの線の向こう、視界に捉えられない地平線の向こうまで伸びていった。何やらすごい場所に来てしまったらしい、という感覚を、ビリビリと肌に感じた。
でも、公園を歩く人のための道は、その軸線とは関係無さそうな顔をして、緩やかなカーブを描いている。まるで、トレーシングペーパーに印刷した二つの全く違う都市計画を、2枚重ねてしまったよう。一方(直線)は、古く用途を失っており、もう一方(曲線)は、新しく機能がある(ように見える)。どちらも同時に作られたはずなのに。
例によって例の如く、まず全体を把握するためにGoogleマップを開いてみる。真横にまっすぐ引かれた線が見える。真上が北の初期設定なので、緯線のような東西軸。また、それと直行に近い形で、南北にも線が見える。その他にも、いくつかの線が混ざっているけど、大きくはこの2本。
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公園を歩く人目線で見ると、直線上に石が並んでいたり、石が割れていたり、なんと建物まで切られていたり、湖の中から岩が顔を出したり、なにやら岩が降ってきて埋まったような場所まである。池も山も丘も貫いて、高さに関係なく軸線が強調されることで、直線の向こう側のことを常に意識してしまい、足が自然とそちらに向かう。軸線に沿って撮ってきた写真を、まとめて載せておく。これでも全然撮りきれていない。
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写真のキャプションにもいくつか「ように見える」と書いているのは、これがデザイン事務所の手によって意図的に計画されているから。太古の遺跡が残っているわけでも、隕石が堕ちて真っ直ぐな亀裂が入ったわけでも、ましてや宇宙人が襲来してレーザービームで石を切り裂いたわけでもない。つまり、人の手による人のためのレトリックである。ただの石が、配置だけで、人間が知り得ない、高次元の何か大きな力に左右されているように見える。(インターステラーのような。)人間の想像力を利用した巧妙なテクニック。
これは、気づいても気づかなくても良い仕掛けである。言い換えると、あってもなくても構わない。運動を目的とした人にとっては、古く見える方の線がなくとも、石が並んでいなくとも、冒頭に言ったような機能は満たされている。では何故良いと感じるか(僕はすごく良いと思った)というと、”開かれていること”がその一つの要因だと思う。こんな風に、自由に妄想して良い、余白が残されていること。結末が描かれない映画や、中途半端なところで終わる小説のような、その先を想像する権利を開け渡されることが魅力だと思う。
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公園には公共性が求められるが、この公園は、普段使われる意味での公共性の先に行っているように思う。皆が自由に広い空間を使えるという身体的な公共性だけでなく、”想像力の公共性”を持っている。スケールの大きな公共性。
自由に思考できるのは、こう使ってください、こう考えてください、という説明がないから。こう書いてみて、『原っぱと遊園地』(王国社,2004,青木淳)を思い出したのだが、この軸線が、青森県立美術館で言うところの、三内丸山遺跡にあたるのだろう。ルールが壊れることにより得られる自由度。
また、台湾は風水を大事にするお国柄らしい。四神である青龍、白虎、朱雀、玄武が、それぞれの方向に対応して考えられているのだろうと思う。東の丘には龍の角、西の端には虎の目、北の石は平たい亀の甲羅、南には鮮やかな鳳凰の煌めき。四神に関連づけて考えると、それぞれが個性を持ち始める。ここを見ていると、風水とは、空間を“均質にしない”ための工夫だったのでは無いだろうか、ということまで考えてしまう。4つの質を配置して、互いに響かせ合うことで、空間を退屈にさせない効果。
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話は公園内に終始しない。思考のスケールはぐんぐん拡大する。東の先には広大な太平洋が広がり、西の先には台湾の頸椎とでも言える、5大山脈の一つ、雪山山脈が聳える。北は広大な中国大陸、南はマレーシアを始めとした群島。方位はそれぞれ個性を持っている。更にその向こうには金星があって、水星があって、銀河系が並んでいて…と自分のちっぽけさを認識してしまう。
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空間に十字を引くと、その場所が突然原点になり、座標を指定することで、原点を参照しながら何処までも行くことができる。XY座標で、自分たち(動く点P)の場所を規定できること。数学の時間に習った、四象限を思い出す。点が動いていき、XやYが0になる瞬間、象限が切り替わる。X軸より+側だとか、Y軸より-側だとか。これは、座標が無い茫漠とした空間では起こり得ないことである。この公園を歩いていると、何度も2つの軸線の上を横切る(XかYが0になる)。その度に、石がスッと整列する風景に出会う。意味を持つ瞬間と、意味が無い瞬間を、反復横跳びしている感覚。
そろそろ妄想力も尽きてきたところなので、ここらへんでまとめっぽいことを書いておく。この公園は、地球に座標を引くことで、空間と時間のスケールを引き伸ばし、大きな意味での公共性を獲得することに成功していると思う。このことで、この公園は他にない質を獲得しているように思う。
公園からの帰り道、この道がどこの伸びているか、建物の向きはどちらを向いているか、この角地の意味は?などを、自然と意識してしまっていた。ここは、身体だけでなく、脳までもがエクササイズできる公園のようだ。考えることのスケールが引き上げられるような感覚を得られる、この普通かつ特異な公園が、いつまでも羅東の人々に使われることを願う。
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