【アンナ・カレーニナ 読書日記_3】草刈り仕事の本質
1/24(金)
明日から台湾では「過年」と呼ばれる旧正月の9日間の休みが始まろうとしている。みんなが里帰りの準備をする中、僕は特に行くべき場所もないので、静かに家で過ごそうと思っている。これを機に、日々やろうやろうと思っていて、やれなかったことをまとめて片付けてしまいたい。例えば、部屋の掃除とレイアウト変更、読みたかった本を読み進めること、夏に行った韓国の旅行記を書き切ってしまうこと、2025年の目標を整理すること……など。趣味が多いのは良いことだとは思うけれど、なんでこんなにもやることが多いんだろうか。まあ、沢山あるけれど、止まらずにコツコツと進めれば、雪かきや草刈りと同様、一つ一つ片付いていくものだということは、さすがにこれだけ生きていれば分かっている。
アンカレにも、そのような仕事の素晴らしさを伝える記述があった。
これは、農業経営で生計を立てる地主貴族リョーヴィンが、百姓と一緒になって草刈りをするシーン。ここに、仕事の秘訣が詰まっていると思う。草刈りなどの単純作業だけでなく、建築の設計(図面を引いたり、模型を作ったり)にも似たようなところがある。頭がいい感じに空っぽになっているときこそ、いい案が生まれてくるし、手が勝手に動いてくれるみたいな感触がある。その没頭感は長くは続かないし、没頭していることに気づいてしまったらもう既に終了している、というジレンマがあることも、トルストイは見抜いている。
数年前に読んだ幸田露伴の『努力論』にも同じようなことが書かれていたし、イチローの名言「努力だと思っているうちはダメですね」も、このことを言っているんじゃないだろうか。この過年の期間に、どれだけ没頭する時間を作れるだろうか。この時間を意図的に作り出すコツなどがあれば知りたいものだ。
1/28(火)
時間や空間が行ったり来たりせず、理路整然と事が進んでいくのがこの小説の特徴かもしれない。全体的にバランスが良く、大きな軸を不倫と恋愛に持ちながら、それぞれの登場人物たちの特徴である農業経営、政治哲学、転地療養、社交界の話が順繰りに訪れる。農村経営についての討論なんて、農業も経営も自分の興味の範囲外にあるため、普段だったら絶対に読まないのに、小説の中だったので真剣に読み込んでしまった。それは、このバランスの良さによって読ませられているのだろう。逆に言うと、『カラマーゾフの兄弟』でいうところの「ゾシマ長老の昔話」や、『ねじまき鳥クロニクル』でいうところの「皮剥ぎボリス」の話など、時空間が飛ぶような、突然挟まれる脱線(に見えるもの)が見当たらない。
また、『カラマーゾフの兄弟』同様三人称視点で描かれる本作では、主要な登場人物の考えていることはほとんど、読者は全て読み取れるようになっている。登場人物が自分でさえ分かっていない感情の答えも、ときには明瞭に描かれている。
そのため、「何で必要なのか分からない挿話」や、「何を考えているか分からない人物」が、(全体の半分ほどまで読み進めた今の時点では)まったくない。その点において、少し面白さに欠けると思う。しかし、人物の性格描写や名前のない感情を表現する記述は群を抜いており、やはりゾクゾクとして面白い。この小説を読み進めるあいだ中、頻繁に、自分の人間としての弱い部分を突かれているようで、胃が痛くなってくる。
引用した三つの部分は、特にグサグサと刺さってしまった部分。「自分のことが描かれている」と多くの人が錯覚してしまうことは、名作の条件である。
進捗
上巻:■■■■■■■■■■ 100%
中巻:■■■■□□□□□□ 37.8%
下巻:□□□□□□□□□□ 0%
アンカレ読破まで、あと54.1%