【マレー半島縦断記⑧】旅は出会いと別れ
ホステルについている朝食(トーストとシリアルを自分で取って食べるスタイル)を食べているときに、一人の青年が声をかけてくれた。君が日本語の本を読んでいるのが見えたんだ!ちょっと前まで三週間ほど日本に行っていたんだ!日本は全てがアメイジング!スシ!シャブシャブ!としきりに褒めてくれる。
彼はイスラエル出身のユダヤ人で、高校を卒業後、3年間の兵役(3年間!!)を終え、大学に入るのを控えている22歳の若者。大学ではビジネスを学ぶ、と言っていた。30分くらい愉快に話して、すっかり仲良くなった。とても礼儀正しくて、明るくて気がつかえて、一緒に居て苦にならないタイプだ。そんな彼が、夕方のチャオプラヤ川ボートツアーに参加しないか?と誘ってくれた。ちょっと高いなと思ったけれど、アユタヤでボートに乗る機会なんて、ツアーにでも参加しないと、ないだろう。「人と交流する」という旅のテーマを思い出して、思い切って誘いに乗ってみた。午後4時にホステル集合となった。
準備を済ませて出かけようと思っていると、朝はどこに行くの?と聞かれる。美術館に行こうと思っているというと、一緒に行ってもいいか?ときた。イエスマンモードの僕は、全てを受け入れることにした。よし、一緒に行こう。
彼の名前はジョナサン。彼の母語のヘブライ語読みだとJの音がYになってヨナサンとなるらしい。彼はとても勉強家で、本当に色々なことを知っていた。美術館に着くまでに、「なぜタイ国王9世が好かれていて、10世が好かれていないか」「現国王の妹が成した業績」「ビルマ(ミャンマー)との国交政策」などについて教えてくれた。なぜそんなこと知っているの?と聞いたら本が好きだから、とのこと。いくら本が好きでも、高校を卒業してすぐに3年間の兵役に行かされていた中で、本を読む時間なんて取れるだろうか?しかも、彼はこのあとアジア各国を回る予定らしく、タイはその大きな計画の一部でしかない。つまり、旅先の一つでしかない国に対して、人に外国語を用いて説明できるほど、歴史を学んでいるのだ。ユダヤ人に優秀な人が多いとは聞いたことがあったけれど、噂は本物かもしれない。
すごいのは知識だけではない。ヘブライ語の他にも、イスラエルで公用語だというアラビア語も共にネイティブレベルで、英語もすごく上手だし、タイ語も少し話せる(イスラエルにはタイ人が結構いるらしい)。一緒にいる間に、いろんなタイ人とタイ語でコミュニケーションをとっている場面を目撃した。とんでもない言語能力だ。
人と一緒に考えることの面白さ
ジョナサンと一緒に美術館を歩いていると、「これは建築家から見るとどう見えるのか?」「これを見て何を思うか?」という質問を、何度もされた。質問がすごく直接的で鋭くて、考えたこともなかったことを沢山聞いてくれる。最初は少し戸惑ったけれど、段々と慣れてきて、いろいろと、自分の考えを答えられた。
「なぜお寺はどれもこういうプランになるのか?」
「この平面と立面のシンメトリーは、力を象徴していると思う。平等院鳳凰堂も、アンコールワットも、タージマハルも、みんな対称形を重視している。また、対称形には、安定性を感じさせる効果もある。人は力のあるもの、安定したものを信じやすいから、宗教の力を強めるために、計画的に使ったのではないだろうか。」
「ストゥーパはなぜこんな形(円錐型)になるのか?」
「塔が先細りしているのは、塔を高く見せたいからだと思う。同じ高さでも、見上げることでパースペクティブが強調されるので、実際よりも高く見える。また、今展示を見てて気づいたんだけれど、ブッダの頭に載っているものの形にすごく似ている。大仏のご加護を受けられるように、形を真似たのだろうか。まるで僕らが、大仏の頭や肩の上に載せてもらっているみたいじゃない?」
「アユタヤの都市は、日本人からどう見えるか?」
「アユタヤは、寺の建つ密度が半端じゃない。京都や奈良でもこんな密度では建たないし、それどころか、これほどの密度のお寺群は、僕が知る限りは、他に見たことがない。普通は、寺の周りには住宅ができる。でもアユタヤは、僕が予想するに、住んでいる人が殆どモンクだったのだろうと思う。だから、みんなで寺に一緒に住んでいたんだろうし、そのために、祈りと生活が一つだったから、彼らが作る仏像と建築は、700年後まで人が訪れるような場所になったのではないだろうか。これはひとえに宗教の力。人にここまで、細密で華麗な芸術を創らせるのは、宗教の他にはない。」
「プラーン(とうもろこし型の仏塔)はなぜこんなにギザギザしていると思う?」
「昨日見ていたときに思ったんだけど、太陽光が当たったときに、光が当たるところと、影になって真っ黒になる場所が交互にできて、そのコントラストがとてもはっきりしていた。凹凸があることで、より複雑に見えるし、高級にも見えるのではないか。もしかしたら、太陽への信仰の意味もあるのかもしれない。」
咄嗟に答えられなくて、まごつきながらも、その場で必死に紡ぎ出した言葉に、自分でもびっくりしながら喋っていた。僕はこんなことを考えていたのか。彼が聞いてくれなかったら思いつかなかったことばかりで、人と一緒に見ること、考えることの面白さを感じた。ジョナサンみたいな人と一緒にものを見ることって、こんなに面白いのか。日本人には、こういう質問をする人がすごく少ない気がする。僕らは「ほお〜、すごいね〜、綺麗だね〜」と言いながら、なんとなくの感覚を共有するのが、すごく上手い民族だと思う。それはそれでとても良いことだけれども、たまには、Q&Aをハッキリと伝えるコミュニケーションも、やってみるもんだ。すごく西洋的で面白いし、今の社会で求められている能力って、こういうことな気がする。
ジョナサンとは美術館の後に分かれて、また昼飯時にレストランで待ち合わせをすることになった。別れて一人になったので、昨日見切れなかったマイナーな寺院を巡って、スタンプラリーの続きを埋めることにした。
途中で、ある修復中のお寺に迷い込んだ。中では、壁の漆喰を塗っている大人が3人と、ご飯を食べている子供が2人いる。その微笑ましい光景を、周りを鉄の足場に囲まれた大きな大仏像が見守っている。生活と仕事と祈りは、本来一つのものだったと、つい先ほどジョナサンと喋った仮説を象徴するかのようなシーンで、妙に感動した。
チャオプラヤ川に囲まれた歴史地区から一歩出ると、すぐに現役の寺院も目に入る。先ほどまでレンガで剥き出しだった形に、白い漆喰が塗られて表面はツルツルになり、頂部には金色のメッキが輝いている。綺麗なんだけど、美しくない、と感じてしまうのは、なぜだろうか。急にペラッペラに見える。僕の問題なのか、実際に歴史が浅いのか、判断ができない。
さらに歴史地区から遠ざかって散歩していると、特徴的な住宅が沢山立っている。寺院よりも住宅の方が面白そうだ、と気づくのはこの頃。湿気を避ける高床、大きな屋根、ほぼ開け放たれた内部、全住宅についているバルコニー、日陰で寝転がる人々。レンガ積みで作った暑苦しいお寺が滅ぶのがわかる。彼らの生き方が、この気候にとっての正解だろう。
町を歩いていたら、突然のスコールに遭う。10分ほど軒先を借りて待ってみるも、やむ気配がない。ジョナサンとの待ち合わせの時間が迫る。急に色々と面倒に感じた。旅先で人と待ち合せることは、あまりしない方が良いと思った。確定させられることなんて一つもない。しょうがないので、ジョナサンと連絡を取って、予定していたランチをキャンセル。雨宿りをするために昼飯屋を探す。店員さんは、全身びしょ濡れの僕を見てニコニコと笑っていた。タイへようこそ、といった感じだ。
お店の一人娘が、チリトリを用いて、健気に水かきをしていた。これがタイの日常なのだろう。土砂降りの雨を眺めながら、成す術なくぼーっとしている僕を見かねて、お店のおばあちゃんとおじいちゃんが、お水を無料で出してくれた。家族経営のあったかいレストランだ。
出会いと別れの繰り返し
一時間ほどで、雨が少しだけ小降りになってきたので、リュックをビニール袋に突っ込んで、抱えるようにして宿に帰り着いた。ジョナサンが女性と話し込んでいるのが見える。イタリア語っぽい巻き舌がたくさん聞こえてきたと思ったら、やっぱりイタリア人だった。彼女のことも、この後の水上ボートツアーに誘ったらしく、3人で乗合バスに乗り込む。
移動中も、〇〇は日本語ではなんていう?イタリア語では?と、僕らに平等に話題と機会を提供してくれて、それも、すごく楽しそうに学んで、すぐに覚えてしまうジョナサン。こういう人が、語学を学ぶスピードが早いのだろう。三週間の日本滞在のうちにいろいろ覚えてきたんだろうか、日本語も本当にたくさん知っていた。ことあるごとに、僕に向かって、サムライ!ニンジャ!アメイジング!と言って笑わせてくる。
彼が学んだ言葉をメモしようとスマホを開いた時に、画面がチラと見えた。そこにはとてつもない量のメモがあった。また、何か知らない地名や言葉が会話の中で出ると、すぐにスマホで検索していた。さらには、船から降りるたびに、他の乗客の手をとって助けていた。好奇心旺盛で、人懐っこくて、メモ魔で、若くしてしっかりしていて、とにかくかっこいい男だ。ジョナサンから学ぶことがたくさんあった。
イタリアの女性は、フィオーレ(イタリア語で花の意味)という。名前の通り、花みたいに笑顔が素敵な女性だ。イタリアの田舎町から来た看護師さん。生まれも育ちも、仕事場も一緒で、地元が大好きらしい。とても明るくてずっとニコニコして、犬がとにかく大好きだと言っていた。彼女の飼う2匹の犬はyuki(雪から命名)と、Aki(秋から)というらしい。いつか日本に行くのが夢だと言っていた。世界には、日本文化を好きな人が本当に沢山いる。
ツアーの参加者は7人だった。特に解説がついているわけでなく、4箇所ほど、川沿いのお寺に寄り付いて、「〇分に出発ね〜」と言われ、自分達でボートを降りて見に行くというスタイルだった。このくらい自由な方が好みだ。僕ら三人は、基本一緒に行動して、いろんなことを話した。
ボートツアーは、アユタヤを囲む川を一周して、2時間ほどでスタート地点に帰ってきた。僕はもう少しだけ乗って、そのままアユタヤ駅に近い場所で降ろしてもらう予定だったため、彼らとはボートの上でお別れした。「会えて嬉しい、また会いましょう!」と、握手を交わした。これは100%の本心だ。
車内でビールを飲んでいたら、車掌さんに注意された。「車内の飲酒は禁止です。」だそう。こちらはお預かりします、という感じで、取り上げられてしまった。タイでは車内飲食はできないらしい、と思ったけれど、あれ、これ日本でやっても台湾でやっても、わりと常識外れな行為だ。窓が常に空いていて開放的だからか、あまりに気持ち良くて、忘れていた。タイでのジャパニーズの評価を少しだけ下げてしまった。ごめんなさい。
ジャパニーズ、ここでも
バンコクで一泊して朝を迎える。本日(5/22)の26時の飛行機で帰るので、実質の最終日だ。今日は、バンコクからまあまあ離れたところにある現代建築を見に行く予定。昨日と同じ、Boonserm Premthadaさんの設計した大学校舎だ。電車で最寄り駅まで行って、そこから歩こうと思っていたけれど、駅に着いたときに、次の電車まで3時間も待ちがあることが分かったため、諦めた。どうしようかと思っていたら、突然バイクを借りることを思いつく。「免許が無くても借りられますよ」とアユタヤで会ったユウキさんが教えてくれたことを思い出した。
店に着くと、先客の対応をしているようだった。遠くで待っていると、どうやら日本人の二人組みたいだ。急いでいるみたいで、片方が先に出発してしまった。残された、赤髪で、肩に大きな刺青が入っていて、胴体がかなり大きいお兄さんが、何やらトラブっている。お兄さんは、店員のおじちゃんに向かって、老人ホームのスタッフのようにゆっくりと大きな声で、日本語を喋っている。そう、日本語を喋っている!なんとこの店員さん、日本語が分かるのか!?と思ったけれど、そんなはずはない。どう考えても、トラブルの理由はこれだ。英語力が本当にゼロの人っているんだ。
翻訳アプリを駆使した店員さんの努力の甲斐あって、やっと借りられたと思ったら、出発前にバイクを倒して、ミラーを壊してしまったらしい。店員のおじちゃんは、とても迷惑そうな顔をしている。彼が目を離している隙の出来事だったらしく、「What happend?」と聞くと、赤髪のお兄さんは「どてーん」という日本語特有の擬音とともに、倒れるバイクを体全体で表現していた。僕は、日本人だとバレないように、黙って一部始終を見届けていた。
30分ほど待って、やっと僕の番が来た時に、パスポートを確認したおじちゃんから、あんたも日本人だったのか、と恨めしい顔で言われた。だったら助けてよ、と言わんばかりの目で見られて、「彼とはあまり関わりたくなかったから。お気の毒でしたね。」と言ったら、ハハハと笑っていた。待たせたお詫びにと、小さな水をくれた。
【国際免許証を □持っている・□持っていない】という欄があり、持っていないにチェックを入れたら、借りられた。この謎契約で、無事無免許レンタルバイクに成功した。ここではこれが合法(?)なのだ。あと、デポジットで3000バーツが必要だったが、現金に持ち合わせがない。契約書を読むと、パスポートでも可とあったので、パスポートを渡したら驚かれた。パスポートを置いていく旅行者は珍しいのだろう。旅券をデポジットにするのって、限界感があってヒリヒリしてきた。
「一番小さいのを借りたいです。スキルが無いものだから。」と言ったら、「スキルが…無い…?」と睨まれた。「いや、あります。スキルがあまり良くない、という意味です。」と誤魔化す。祖国でも二輪の免許を持っていないことを、バレるわけにはいかない。
外国でのレンタルバイクは初めての経験だけれど、とても気持ち良かった。頬に当たる風が涼しい。走り出してから冷静に考えたけれど、免許証不携帯(どころかそもそも持っていない)で、海外保険にも入らずに、パスポートさえ(一時的に)手放して、現金の残りも殆どなく、タイの首都の、あのバイク群の中を縫っていくのって、相当頭がおかしい。リスクとリターンのバランスが、ギャンブラーくらいぶっ壊れている。
(バンコクの交通事情を分かりやすく言うと、『水曜どうでしょう 原付ベトナム縦断1800キロ』で、大泉洋がビビり散らかしていたあの感じである。あと、田舎の方にいったら本当に、道路にいくつか、直径1m/深さ15cmくらいの穴が空いていた。共に1話参照。)
なので、事故だけには最大限の注意を払って、集中して安全運転をした。これは結構自慢なのだけれど、まだ人生で一度も事故という事故を起こしたことがない。ぶつけた事もなければ、轢かれたことも、轢かれそうになったこともない。僕は、速度とか距離感を感じる能力が、結構高いと思う。小中と体育の授業が苦手だったので、そういった能力がないと勘違いしていたけれど、身体の使い方が下手なだけだったのだろう。それともこれは、建築を学ぶことで身につけた距離感覚のおかげなのだろうか。ちょうど今27歳なので(ロックスターが死にがちな歳)、今死んだらロックンロールな人生かな〜なんて思いながら運転した。でも死ななかった。僕が死ななくて本当に良かった、と今文章を書いている僕は思う。
現代建築を見て思うこと
1時間ちょっとかけて辿り着いた念願の建築は、あまり感動しなかった。読解が簡単すぎる。四角い平面を切って隙間を作って、両側に壁を立て視界を遮る。その壁のレンガを前後させる事で、視覚と音に変化をもたせている。それはアユタヤを始めとした、お寺の伝統的な形を参照している。そういうことがパッと分かるけれど、どの壁も一緒で、出幅入幅は規格化されており、豊富な空間体験にはなっていない。建築家のプレゼン動画で語られていた、音の効果もあまり感じない。昨日までの豊富なお寺の形や装飾に比べて、一層劣っているように感じてしまう。
スケッチをしてもあまり楽しくない。単純な形の繰り返しだから、同じような線を引くことになる。逆に、写真を撮るのは楽しい。綺麗だし、かっこいい陰影ができるから。この建築は、モダニズムと同じ行き詰まりを迎えている気がする。本物が写真に負けている。このへんのことは一度しっかり考えないと。現代建築に興味が無くなりかけているのだろうか?これは薄々気づいていたけれど、認めなければならないかもしれない。でも丹下健三の作品とか見たら、やっぱり感動すると思うので、目が肥えたんだと思うようにする。
装飾、工藝などという、デザインと対比されがちなものに、ここ最近ずっと惹かれている。デザインに活かせるという信念のもと見始めたのだけれど、いつしかそっちがメインになっていた。良いものを見ていないと、良いものは作れない。
ジョナサンから「今日の昼過ぎにバンコクに着くんだけど、何してる?」と連絡が来た。ここの写真を送ったら、「グレイト!会ったときにその建築のことを聞かせてくれ!」と言われ、その流れで晩御飯を一緒に食べることになった。マレー半島最後の晩ご飯を人と食べるのも、悪くないだろう。
最後の晩餐
夜7時にジョナサンと待ち合わせをしていたのだけれど、ガソリンスタンドが見つからなくて、遅れてしまう。レンタルバイク屋さんに、「91」というガソリンを入れてと言われていたのだけれど、1軒目はガソリンをそもそも扱っていなくて、2軒目は91を置いてないとのことで、3軒も回ってしまった。そのため予定より大幅に遅れてしまい、待ち合わせ場所に、30分遅れの7:30に着いた。ごめん遅れる、という連絡に、ジョナサンは「No problem.」と言ってくれていた。旅先では、想定よりも相当早めに行動しないと、時間通りにはつけないことを知る。
ジョナサンと合流して飯屋を探す。ここは高いよな、とか雰囲気があまりよくない、と思う感覚が似ていて、やりやすかった。レストランに腰を押しつけるや否や、お互いにとにかく喋った。あまり英語で喋っている感覚がなかったくらい、彼の言っていることが分かったし、僕の言いたいことも分かってくれた。
僕からは、日本語/中国語の違い、台湾の歴史、なぜ台湾で学んでいるのか、といったことを説明し、彼からは、ヘブライ語とアラビア語の基礎、イスラエルでの生活、今までとこれからの旅の計画について聞いた。
「右から書くヘブライ語/アラビア語の文中に、左から書く英語が出現した場合に、どのようにメモを取るか知っているか?」とジョナサン。その書き方について説明するために、彼が鞄からルーズリーフの束(2cmくらいあった)を取り出すのだが、そこには手書きの文字がびっしり並んでいて、まずそれが気になってしまう。それはなんだ、と聞くと、株式の勉強をしているという。旅先でもこんな風に学習を続けているのか。気になって、メモ帳アプリの中身も見せてもらった。800件ほどメモがあった。ほとんどは昔のやつでもう使ってないよ、といっていたけれど、僕の予想は間違っていなかった。ちなみに気になって自分のも見てみたら、400件くらいだった。
彼の出自がとても面白い。母は東洋で学んだ鍼灸師で、父は武器を作る会社に勤めているとのこと。「武器を作る」ことを仕事だと認識したことがなくて、僕はなんと平和な世界に住んでいたんだと、驚いた。全く異なる出自で、全く異なる趣味なのに、なぜ気が合うのだろう。
ジョナサンが思い出したかのように言う。「そうだ!この前日本に行ったときに、EXITの漢字を覚えたよ。フォークとオーブンだ。」
一体彼は何を言っているんだろう?とポカンとしていると、テーブルに置いてあったフォークを持ち上げて見せてくれた。
あ……! ”出”のことか!
ニッコニコでフォークを立てて見せて、「EXIT!」と言ってくるジョナサンを見て、爆笑してしまった。
僕らは当たり前に、”出”という漢字を見ると、言語化するのが難しいのだが、「外へ向かう動き」とでもいった動作や意味を、無意識に認識してしまうけれど、漢字への知識無く、初めてこれを見たら、確かにフォークに見えるかもしれない。なんて発想力が豊かなんだ!と思ったけれど、逆に言うと、僕らの発想力が凝り固まっていただけかもしれない。この発見が、自分にとってはとても驚きだった。”出”が何に見えるかなんて、本当に考えたこともなかった。「じゃあ”入”は?」と聞いたら、それはヘブライ文字の「ג」(gの発音に近い)に見えるらしい。
ふと気になって、将来何をするの?と尋ねてみたけれど、まだ明確には決まっていないそうだ。「大学で学びながらゆっくり考えるよ。何にでもなれる可能性があるからね。」とのこと。彼は自分に向けて言ったんだろうけど、何故か僕は僕らのこととして捉えていた。そうか、僕らは何にでもなれる可能性があるんだ。
旅の始まりのシンガポールで、先生に将来のことを聞かれ、旅の終わりのバンコクで、逆に若者に将来のことを尋ねているなんて、旅行記の構成として、少々出来過ぎではないか?
「この二日間で君から学んだことはたくさんある、出会えて良かった」僕は言う。
「それは僕も同じ気持ちだ」とジョナサン。
大雨に降られるのも構わず、握手を交わした。と思ったら、彼はグッと腕を引き胸を合わせ、反対の手で僕の背中を叩いた。挨拶の仕方までかっこいい。本当に良い友達ができた。
最後までギリギリな旅行者
もともと22:42の電車に乗るつもりが、話すのがやめられなくて、22:50ごろにやっと解散した。終電に間に合うのか本当に心配だった。Googleマップを信じずに、建物の一階部分(だいたいがピロティの駐車場になっている)を突っ切ろうとするも、5回ほど阻まれる。どの敷地境界にも、必ずフェンスがあった。
アユタヤのホテルに、先生に貰った傘を忘れてきてしまったので、スコールを全身に浴びる。スケッチブックと本だけはビニール袋に突っ込んで、全力で走った。服を着たままプールにでも入ってきたんじゃないかという濡れ加減で、ベッタベタの財布から、シナシナになったお札で、なんとか切符を買えた。電車の席は空いていたけど、さすがに座れないので立っていたら、扉の前に大きな水たまりを作ってしまった。食事の後に入ったコーヒーショップでカッコつけて奢ったら、帰りのお金がマジでギリギリになった。30バーツほどしか残らずに空港に辿り着く。
今回の旅で学んだことは、建築や古蹟、美術品以外からも、学べることが沢山あること。人と会う、人と話をする、人の行動を目にすることは気付きの連続だ。小学校に入りたてのようなこの結論に、齢27にしてやっと到達できた。先生から、ムスリムから、コーヨー島の人々から、ジョナサンから、沢山のことを学ばせてもらった。
自身の社交性、言語能力、臨機応変な対応など、自分についての発見も沢山あった。40も歳の離れた大学教授とも、旅先で出会ったイスラエルの若者とも、二人きりで行動することができる。新たな自分と出会う旅だった。ありがとう、マレー半島。
【マレー半島で学んだこと一覧】
(括弧内は旅行記の番号に対応、無いものは全体を通して)
・旅先で人と待ち合せると決めたなら早めに動く(①,⑧)
・イスラム教徒は小便をしない(③)
・虫除けスプレーはすごい(③)
・スムージーがうますぎる(④)
・地図を見せても伝わらない(⑤)
・地元のおばちゃんを味方につければ大体大丈夫(⑤)
・詐欺かどうかは、こちらの目を見るかどうかで分かる(⑥)
・田舎をこそ旅するべき(⑦)
・発見を記録すべし(⑦)
・僕らは何にでもなれる可能性がある(⑧)
・人と喋るのは楽しい(多くの学びがある、知識が増える)
・英語と中国語、両方ともちゃんと成長しているし、総合的なコミュニケーション力(難しい言い回しをしない、ボディーランゲージを用いる)も身についている
・Googleマップを信じろ(面白い場所の発見、時間やルートの構築)
お金を払ったからといって見られる部分が増えることはないのですが、もし、この旅行記を面白いと感じて、もし、少しなら支援してやってもいいか、と思って下さった方がいらっしゃったら、お願い致します。
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