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【カラマーゾフの兄弟 読破の道_8】フィクション内ノンフィクションの現実感

8/6(火)

 何か凄いことが起こっている。というのも、自分の発信が人に行動を起こさせる、という体験が立て続けに起こったからだ。

 前回の記事で書いたネットの友達が、カラマーゾフの兄弟を読み始めた。あっという間に読み進めていて、自分が如何にローペースで読んでいたかを思い知らされた。「まだ200ページくらいだけれど面白いです。おすすめしてくれてありがとうございます。」と言われて、いや僕もまだ上巻さえ読みきっていないんだけど…と焦って、結構読み進めた。

 もう一つは、noteで知り合った方が、カラマーゾフの兄弟についての記事を書き始めた。単にタイミングが重なっただけではあるのだけれど、コメントを送り返してくれたり、他の記事を読んでくれたりしている。その方の記事を読むと、「カラ兄を読み切ること」はゴールではなくてスタートなのかもしれないと思い始めた。

 カラ兄が繋ぐ人の絆を感じる。スタンド使いが惹かれ合うように、カラ兄読者は惹かれ合う。

ジョジョ4部より(拾い画)

8/10(土)

 「第二部、第五編、第四章:反逆」の、イワンが残酷な虐殺例を紹介していく場面で、『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹)の、ノモンハン事件の皮剥についての記述を思い出した。あれも、物語の本筋とは関係なく挟まれているように見えるが、だからこそ、人間の残虐性/加虐性が、登場人物の語り口から浮き彫りになる感覚がある。フィクションという枠を借りてノンフィクションの残虐性を語ることで、現実のニュースで見る映像よりも、現実の新聞で読む記述よりも、何故かいっそう真実味を帯びる。それらのイワンの語りを、息を呑みながら読んだ。上巻で一番集中して読めた部分かもしれない。

焼き殺したり、斬り殺したり、女子供に暴行したり、捕虜の耳を塀に釘で打ちつけて、朝までそのまま放っておき、朝になってから縛り首にしたりするなど、とうてい想像もできぬくらいだよ。実際、ときによると《猛獣のような》人間の残虐なんて表現することがあるけど、野獣にとってはこれはひどく不公平で、侮辱的な言葉だな。野獣は決して人間みたいに残虐にはなれないし、人間ほど巧妙に、芸術的に残酷なことはできないからね。

 「第二部、第五編、第四章:反逆」より

8/12(月)

 仕事場に先輩が遊びに来て、今やっていることを共有してくれた。(本当によくOBOGやお客さんが来る仕事場だ。毎週のようにこういうことを書いている気がする。)

 前来た人とは違って、直接お世話になっていた方だったので、色々気軽に質問した。相変わらずボスが沢山喋っていたけれど、自分も結構参加した感じがする。前を歩いて、道を開拓して、適切な助言もくれる。本当にいい先輩を持った。

 共有会が終わったのが23時ごろで、一緒に片付けていた他のスタッフが「眠いよ〜」「疲れたよ〜」としんどそうに言っていた。その時に、僕も普段だったら、そう思うし言ってしまうかもしれない、と気づきがあった。今日それが起こらなかったのは、明らかに、積極的に参加したからだ。前々回引用した長老の言葉の意味が、体験を通して良くわかった。黙って聞いていることって、喋っているときよりずっと疲れるのかもしれない。うちのボスがずっと喋り続けられるのは、超人的な体力を持っているのではなくて、超人的な積極性を持っているからだ。積極性さえあれば、身体の疲れまで感じなくなってしまう。その境地はまだまだ遠いけれど、今日は一歩成長できた(気がする)。

 7週間と3日という時間をかけてやっと、中巻に突入した。やはり一冊読み切ったという実感は力になる。挫折しない程度のペースで付き合っていこう。

進捗

上巻:■■■■■■■■■■ 100%!!
中巻:■□□□□□□□□□ 5%
下巻:□□□□□□□□□□ 0%

カラ兄読破まで、あと65.0%

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