【カラマーゾフの兄弟 読破の道_0】記念日
6/16(日)
先ほど、家の近くの運動公園にあるプールを泳ぎながら、ふと考えた。僕はどうも、X(旧Twitter)を見ている時間が長すぎる。仕事の合間とか、トイレとか、一人の時間があると、すぐに見てしまう。見ながら、95%くらいの内容に対して「くだらない、見なくて良い」と認識しているのにもかかわらず。これではダメだ、と思った。どうにかしてSNSを見る時間を減らさないと、人生なんてあっという間に終わってしまう。
どうやったら辞められるだろうか?ちなみに、既にスマホからアプリは削除されているので、いちいちSafariから開いてweb版を見ている。なので画像の拡大や動画の再生など、感度が悪くてストレスがかかる。それも、見ないための一つの作戦だった。しかしそんなことも虚しく、タイムラインを遡っていってしまう自分がいる。
どうしても見てしまうものを、いきなりやめようとしたって、簡単に辞められるわけがないのは、至極当然のことかもしれない。そこで、Xを見る時間を使って、その代わりになる何かを差し込もうと考えた。もしXを見たくなったら、その時点でその代替物を開くという制約を自らに課す。いわば離乳食だ。昨日まで母乳を飲んでいた赤ん坊が、いきなりカレーライスや肉じゃがを食べられるわけがない。そこには必ず、繋ぎとなるものが必要である。
なので条件としては、
・スマホでいつでも見られるもの
・見ている自分を肯定できるもの
ということになる。
平泳ぎを続けながら、頭の中にある「死ぬまでにやりたいことリスト」を開いてみたら、すぐに適した選手が見つかった。羅列された箇条書きの中に燦然と輝く「カラマーゾフの兄弟読了」という文字。これだ!
こういうのは早いに越したことはない。本日より、以下の2点を、自分に課すことにする。
・Xを開こうとする自分に気づいたら、『カラマーゾフの兄弟』(以下カラ兄と表記)を開いて読む
・一週間に一度、日曜日の夜に、この場でカラ兄日記を更新する
※この二項目は、カラ兄を読み終えるまで続けるものとする。
この条件は、シンプルながら、以下4つの点において、良くできている。
一つ目。カラ兄を読むのは、想像するに、めちゃくちゃ億劫である。とにかく長いし、登場人物が多い(らしい)し、面白くなるまでに時間がかかる(らしい)。なので、その億劫なトリガー(カラ兄を開くという行動)を、とても簡単な動作(Xを見る)にすり替えてしまう。こうすることで、カラ兄読破への道はかなり見えやすくなる。富士登山に雨の日を選ぶか、晴れの日を選ぶか、くらいの差がある。(富士登山もしたことがないです。)
二つに、実は、カラ兄を読み終える必要がないということ。Xさえ見たくならなければ、カラ兄を開かなくても良いのだから。Xを完全に卒業し、カラ兄を積読している、一人の成人男性が完成するだけだ。それはそれで、最初の目的は達成できている。
三つに、一週間に一度ここで進捗報告と感想を書くことで、より内容を理解できるだろうということ。本の感想を書くということを7年くらい続けているのだが、今までは「読了したら書く」ということしかやってこなかった。しかし、カラ兄ほどの作品なら、途中にもいろいろ書きたいことや考えたいことが出てくるはずなのだ。その途中経過も含めて感想日記にしてしまうことで、自分の発信の一部にしてしまうという試みだ。
四つめは、もしこのブログの更新が止まれば、50名(先日突破しました。ありがとうございます!)のフォロワーさんに、「鈴木はカラ兄を早々に諦めてXばかりを見ている怠惰な人間である」という烙印を押されてしまうリスクを背負っていることだ。そればかりは避けたい、と思っている自分を利用して、背中を押してもらうことにする。
いかがだろうか?(誰に向かって言っているのだろう)、自らのプライドを人質にとった、見事な作戦ではないだろうか。クラピカの念能力くらいよくできた制約と誓約だ。Xを見て心臓に針を深く突き刺すのか、自分の潜在能力を引き出してカラ兄読破を達成するのか、自分の未来に期待しよう。(漫画ネタばかりで、すみません)
プールから上がり、髪から水が滴り落ちるのも構わず、更衣室で10分ほど検討したのち、3種類ある訳の中から、新潮版(原卓也 訳)を選んだ。親指の指紋をスマホに読み取らせ、上巻の電子書籍を1000円で購入してきた。今日から、戦いが始まる。
2024年6月16日、日曜日。これがわたしのカラ兄記念日。