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【カラマーゾフの兄弟 読破の道_6】お喋りな人々

7/27(土)

 今日は台北へ遊びに来た。普段は9割型本屋さん目的なのだが、この日は全く別の目的だった。なんと、文章(つまりここ)で知り合った友達に会いに来たのだ。日本語を勉強している台湾の子で、僕の文章を日本語のまま読んで、日本語でコメントをくれたのがきっかけで、お互いの記事を読んで感想を伝え合う関係になった。僕も彼女も、日本語/中国語で本を読むし、文章を書くので、すごく話が合う。顔を合わせたこともなければ、声さえ聞いたこともなかったので、すごく緊張したけれど、文章やチャットの雰囲気から感じる通りの人だった。喋りたいことがありすぎて、喫茶店に入って一日中喋り通した。

 基本は中国語でコミュニケーションを取ったのだけれど、途中の1時間くらい、試しにお互いに日本語で喋ってみた。すると、話す内容は地続きなのに、全く違う二人になったみたいで、すごく面白かった。「新たな言語を習得することは、新たな魂を手に入れるようなものだ。」と誰かが言っていたらしいけれど、少しだけ分かった気がする。さらに言うと、書いて表現することと、喋って表現することも、全然違う。つまり、書く/喋る、日本語/中国語という2×2の4種類のモードを使い分けて、コミュニケーションを取ることが出来るのだ。加えて、程度の差こそあれど、僕も彼女もそれぞれに使いこなせるので、2の3乗で8種類のパターンがある。これで楽しくないわけがない。また是非話したいと思っているのだけれど、もし彼女も同じ気持ちだったら、とても嬉しい。

7/29(月)

 マレーシアの建築家がオフィスにやってきた。その人の簡単なプレゼンを聞いたのち、質問コーナーで真っ先に質問した。マレーシア訛りの英語プレゼンだったので、実際半分くらいしか聞き取れなかった。それでも、絶対に来るであろう質問タイムに備えて、心の中で言い方を反芻してから、思い切って手を挙げた。誰かの話を聞いて質問することは、とても難しい。特に、一対多の場合においては、尚更勇気がいる。ましてや、英語でのプレゼンなのだ。でもだからこそ、手をあげるようにしている。質問することのメリットは、①自分が不特定多数の中の一人じゃなくなること、②少しだけでも会話ができること、③(例え嘘でも、発表内容に興味を持っているように見えるため、)場が盛り上がる=発表者が気まずい思いをしない、ことだ。そのおかげで、別れ際に、「クアラルンプールに来たらオフィスに遊びにおいで」と言ってもらえた。すごく嬉しかった。

 オフィスのボスが、とてもよく喋る人で、質問の8割は、ボスがしていた。マレーシアから来た建築家も同じくらい喋る人で、基本的には彼らの会話を聞いている形となる。やはり建築家は須くお喋りなのか…と思ったら、ボスがスタッフの方を向いている隙に、マレーシアの建築家が、スマホの画面を見せながら、時間を指差して笑う。もう時刻は23時を回っていた。ボスの手前、大きな声で笑うことができなかったが、僕らはみんな彼のことが好きになった。

今みたいに弱っているときでさえ、沈黙している方が、しゃべるよりむずかしいほどになりましたよ

「第二部、第四編、第一章:フェラポント神父」より

 長老のこのセリフを見て、僕はボスのことを思い出す。彼もまた、死ぬ直前まで喋っていそうだし、死ぬ直前まで冗談を言って笑わせてくれそうだ。(申し訳程度のカラ兄要素)

 先週の投稿で澎湖に行ってきたと書いたけれど、その旅行記を書いていたら、カラ兄も読めなくなるわ、カラ兄日記の執筆も遅れるわ、中国語読書もできなくなるわ、でとても大変だった。週刊連載を続けている人って本当にすごいと思う。他のタスクが少し増えただけで、すぐにはみ出そうとする。日曜日にあげる生活に戻したいものだ。

進捗

上巻:■■■■■■□□□□ 63%
中巻:□□□□□□□□□□ 0%
下巻:□□□□□□□□□□ 0%

カラ兄読破まで、あと79.0%

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