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【カラマーゾフの兄弟 読破の道_13】散りばめられたヒント

9/12(木)

それらの中でも第一番の用事は、ホフラコワ夫人の家にあったので、彼はなるべく早くそれを片づけて、ミーチャのところに遅れぬようにするため、道を急いだ。ホフラコワ夫人はもう三週間ばかり前から加減がわるかった。(中略)アリョーシャはあるときふと、ホフラコワ夫人が病気の身にもかかわらず、かえってお洒落になり、さまざまなヘア・アクセサリーや、リボンや、カーディガンなどが現れるようになったことに気づいて、ひそかに他意のない微笑を浮かべた。

「第四部、第十一編、第二章:痛む足」より、太字筆者

 事件から2ヶ月が経って(前回記事を書き終わってすぐに、サラッと2ヶ月が経過しました)も、人に相変わらず頼みごとをされているアリョーシャ君が、さあ任務を果たすぞと駆け出す章の始まりのこの文章、本当に天才だと思う。声に出して笑った。

 たったこれだけの文章(1ページに満たない)で、四つのことが同時に分かる。①あの無駄に話の長いホフラコワ夫人のところに行って、時間が押さないわけがないことと、その前フリ(なるべく早く、遅れぬようにという記述)をしていること、②他の老人たち(既に亡くなったゾシマ長老、父フョードル、グルシェーニカの元パトロンであるサムソーノフ、例の事件で死にかけたグリーゴーリイ爺さん)の例に漏れず、体調が悪くなっている老人枠の夫人、③中巻の「出世の糸口」の前フリを見事に回収する、のぼせあがったオバ様、④それに対するアリョーシャの冷笑的な目線、その観察力と性格の描写。

 これは、毎週感想を書いていなかったら絶対に気づけなかったし、普通に読み飛ばしていたと思う。確かにこれは、再読したくなる気持ちもわかる。自分が気づいていないだけで、こういうヒントは至る所に散りばめられているんだろうな、と思う。

 また、下巻の序盤、死にかける少年イリューシャに対して、コーリャが突然「じいさん」と呼びかけ始めるのにびっくりした。ドストエフスキーの中で、あるいはロシアの文化圏で、「死にかけ=爺さん」という認識があるのかもしれない。まるで、老人が死にかけるのは当たり前だし、死にかけが老人であることも自明であるかのようだ。

 そのように読んでみると、ドミートリイの尋問の後、突然老けこんでみえる(アリョーシャ視点で「めっきり顔だちが変り、やつれて、黄ばんだ顔になった」という記述がある)グルーシェニカにも、死が予告されているかのようだ。もっともそのすぐ後に、「やはり以前の若々しい快活さを失くしていない」という記述もあるが。

9/15(日)

 一週間のうちの4日間も、「人に自分の住んでいる場所を紹介する」という任務がある、奇妙な週だった。先方が遅れたり、トイレに行ったり、荷物整理をしたりしているちょっとの隙間時間に、カラ兄を読み進めた。4日間とも夜は疲れてしまってまともに活動ができなかったけれど、カラ兄だけはなんとか取り入れることができた。13週目ともなると、そして下巻ともなると、かなり文体が体に馴染んでいて、流動食のように流し込めるようになってきた。読み終わることを目標にずっと続けてきたけれど、読み終わる未来が見えてきて、逆に少し寂しい気持ちすらある。恋愛マスターミーチャから学んだ金言を記録して、今日は筆を置くことにする。「自分がわるくたって、好きな女には決してあやまったりするもんじゃない!」(「第四部、第十一編、第四章:讃歌と秘密」より)

進捗

上巻:■■■■■■■■■■ 100%
中巻:■■■■■■■■■■ 100%
下巻:■■■□□□□□□□ 33%

カラ兄読破まで、あと22.3%

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