『カレル・チャペック~水の足音~』当日パンフレット・ご挨拶
8年程前にタイに行った時のことだった。バンコクのとあるお寺で、仏像を見た時の“腑に落ちなさ”が、今も心に残っている。「なんか、違う。」
その黄金に輝く仏像は、顔は細長いが、肩はがっしりしていて、何より瞳がしっかり描かれていた。顔はふっくら、肩はなで肩、目は閉じている日本の仏像と、なんか違ったのである。一緒に見に行ったタイ人の友達は、その仏像の美しさに深く感動していた。私は表向きは同調する振りをしたが、心の底では、美しいと思えなかった。私は、自分が無意識の中で、「仏像」へ日本的な美意識を投影していることにハッとし、恐ろしくなった。それは、生まれた土地への愛着であると同時に、排他的ナショナリズムの危険性を孕んだものだと感じたのだ。
さて、外国人を主人公にした評伝劇は今回で3本目。だからか、日本人を主人公にしたもの、日本を舞台にしたものも、書いてほしいと言われることが増えてきた。私も、日本語話者である劇作家として、日本人を題材にしたものを、もっと書かなければと思う。その一方で、日本を舞台にし、日本語ならではの表現にこだわることの怖さを感じる。その行き着く先に、排他的ナショナリズムが待ち受けているような気がしてしまうのだ。
鈴木アツト