押忍! 空手道の精神性から非暴力へ
押忍!
NVC 非暴力コミュニケーションの話を中心にnoteをいくつか書いてきたわけですが、話が毎回脱線して違う方向にぶっ飛んでいくので、今回は思いっきり脱線してみようと思います。
押忍! ということで、空手道。きっと世界中で何百万人、何千万人だかわかりませんがたくさんの空手やっている人いますね。
自分も子供のころ、町道場に通って習っていました。幼稚園の時に、幼稚園で剣道をやっていた。あまり記憶ないけど楽しかったことは覚えている。それで小学校に入学して2、3ヶ月くらいたったころ、空手道場に見学に行って、剣道と空手どっちをやりたいかって親に聞かれて、空手って答えて習い始めた。 この2拓なんで選んだのかやったことがないことへの好奇心だけだったと思う。
自分たちはベビーブームの世代で、高度経済成長とか、空手も人気あったのか道場に通っている人は同年代も大人もけっこういた記憶がある。 なんか熱気があった。 礼儀が厳しくて、そして先輩や先生が子供心に怖かった。
先生はおそらく160cmくらいで男性としては小柄だったが、目がぎょろっとしてパンチパーマで、いつも竹刀持っていて、同じ道場に違う曜日で剣道の稽古もやっていたから、竹刀いっぱいあったんだね。 稽古行きたくなくて、空手の道場行く日になるとお腹痛くなったり、頭痛くなったりしていた。
そんなんで、よくサボっていた気がするし、怖いと思ってやっているから覚えるの遅いし、身体も小さい方だったりで、上達も遅かった。
それでも冬でも裸足でエアコンもない道場で練習していて、まあ当時はエアコンなんて普及していなくて石油ストーブが全盛だったが、そんなんで健康で体力はついて、元気はあった。
先生には運動音痴だけど、頭がいいって言われていた記憶がある。 運動は自信がなかったが、かけっことか陸上競技や器械体操とかは自信があったのは空手をやっていた影響があるのかもしれないと思う。
嫌いやながら、継続は力なりか続けることで自信に変わっていった。通っていると同じ学校ではない友達ができて、稽古終わってから、ジュース一杯飲みながら、みんなで話するのが楽しかった思い出だが、なんの話をしていたのかさっぱり覚えていない。
そして、高校生まで続いたから驚きだが、同じくらいの年代で同じ頃に始めた人たちは、ほとんど途中でやめて、中学卒業しても残っていたのは5人くらいで、残っていた他の人は高校の空手部に入ってたまに顔出すくらいで、途中で入ってきた人とかもいたが、道場には多くても5、6人しかいなくて、先生と2人なんて日もあった。
先生が仕事で来れなくて、小学生を代わりに教えることとかもあった。小学生にすごく懐かれて一緒に遊んでしまって練習にならなかったこともあった。高校生で体力自信あったが、やんちゃな小学生の体力には驚きだった。
空手といえば東京オリンピックの競技にもなっているが、試合をやるという感覚は自分が習っていた時は薄くて、高校生になってやっと年に1、2回くらいでるくらいで、興味もほとんどなかった。
空手道は今は競技だったりとスポーツ性が高いが、武道だって思っていた。武道には精神性が大事だと思っていた。
今思えば子供心にスピリチュアリティに関心があったんだ。
空手というのは、沖縄から日本の本土に船越義珍さんという人が紹介して、当初は唐手と行ったという。唐、中国から来たから唐手。 日本で広まるように唐(から)を空(から)に変えたとか。沖縄、当時は琉球だが、首里手とか那覇手とか泊手とか言ったそうで、〇〇手というのが武道のことを言ったのでしょう。琉球は長い間、中国大陸と交易があったので、そのどこかで伝わってと言われている。中国拳法なんだろうが、その源流の一つは少林寺にあるという。 少林寺拳法の開祖と言われているのが、ダルマさん。インドから仏教を広めるためかでやって来たボーディダルマさん、日本では達磨大師という名で知られている。昔の話なんでどこまでが真実で神話かわかりませんが、空手の源流はインドからなのかもしれない。
だからって空手の中にインド的な何かを見つけるわけでもいし、何かヨーガとの繋がりを発見とかでもない。探せばあるかもしれないが。
空手道の精神性ということで、自分が通っていた道場には道場訓というのが5つあって、毎日正座して5つの道場訓を声に出すというのがあった。
その一つが、
血気の勇を戒めること(けっきのゆうをいましめること)
意味は喧嘩しない勇気を持つこと。喧嘩や暴力はダメですよってことで、喧嘩に強くなるために空手を習っているのではなく、精神的な成長のためだよってこと。
嫌いや通っていた時期もあったけど、強くなりたいとか強く思っていて、突いたり蹴ったり、稽古していて、暴力だめだって教わるから、良くないんだって子供だから素直に思っていたが、この道場訓に何かとても崇高なものがあるような感じを子供心に受け取っていた。
自分の非暴力コミュニケーションの旅は、小学生で怖かった空手道場で始まっていた。
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