血より濃いもの
国ごとに、人と人との距離に違いを感じることがある。
近いから悪い、遠いから良いという単純な話ではなく、そこには文化や歴史が隠れている。
海外で感じる違和感は、自身が外国人であることを実感できるし、なじみ深ければ自然と親近感が湧く。
旅は、ストレッチに似ている。
放っておけばすぐにでも固まろうとする価値観を、緩やかに解きほぐしていく。
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チリ南部にあるチロエ島は、四国のほぼ半分の面積で、島全体では約15万人が住む、自然が美しい島だ。
そのチロエ島の南端に、ケジョン(Quellon)という小さな街がある。
その日は、チロエ島より少し北のプエルトモントで、ヒデさんと落ち合う予定だった。
時計を見ると、14時半。
30分前にホテルの下で待ち合わせをしたのだけど、現れない。
南米にいると時間の区切りが曖昧で、遅刻してくるという前提で待っているくらいが心地よいと思うのだけど、日本人はこういう習慣になれていないせいか、定刻になるとつい待機してしまう。
気持ちとしても、待たせる側よりは待つ側が気楽だなと思ってしまうので、国ごとにある習慣や感覚は面白い。
その後しばらくホテルのフロントで待っていると、ヒデさんが悪い悪いと片手をあげ到着した。
彼は3つほど年上の日本人だが、南米生活の方が長い。
父親の仕事で南米に移住し、幼少から高校までを隣国のペルーで生活した。
数年前に父親が引退し、ヒデさんがその会社を引き継いだ。
彼は小さい頃から仕事場に連れ回されたので、引き継いだ頃には、地元のどの企業もヒデさんのことを可愛い息子の様に扱った。
ここから数日間の旅程は、久しぶりにレンタカーを借りようとしていたのだけど、プエルトモントにいる僕のエージェントの仕事は全く関与しないのにも関わらず、金がもったいないから使えと、フォードのピックアップトラックを用意してくれた。
出発前、何度か所持を確認をした国際免許証をバイザーに挟み、チロエ島・ケジョンへと向かう。
この国際免許証、見た目は立派な雰囲気なのだけど、わりと頼りない。
免許証そのものはジュネーブ条約で締結された歴史のある証明書の1つだが、チリやアラスカの僻地へ行くと、素晴らしいほど効力を発揮しない。
道すがら、運悪く検問や職務質問などで警察に見せることになっても、99%は怪訝な顔をされる。
多くの場合、すごく立派なのにぞんざいな扱いでポイっと投げ返され、パスポートを見せろと言われる。
無線で入国管理局などへ照会をされ、正しく出入国がされていることだけわかると、すごくツマらなそうに行っていいと言われるまでが定番である。
ここまで効力が無いことがわかると、あっても無くてもあまり変わらないのではと思ってしまうのだけど、メジャーな観光地などでは必須なのかもしれないし、頼むからメジャーな観光地へ仕事に行かせてほしい。
助手席にいるヒデさんは、車に乗ってからひっきりなしに電話が掛かってきていたが、彼は流暢なスペイン語で、時折笑いを交えながら話をしていた。
ケジョンまでは凡そ250㎞あるが、チリ最長の国道5号線の一本道を進む。
1月、北半球は真冬だがチリは真夏で、その日も暖かい陽気だった。
トラックには気の利いたナビゲーションなどは無いが、ヒデさんにとっては庭であり、僕たちは迷うことも無くケジョンに辿り着いた。
オフィスはちょっと変わった形の屋根をしていたが、グリーンとブラウンを使った定番のログハウスで、エントランスの階段を踏むと、ギシギシと心地の良い音が鳴った。
入口から何枚かのドアを開け、一番奥の部屋には社長のマリオ(Mario)が座っていた。
マリオは髭を蓄えたおじさんで、丸々とはしているが、身体つきはがっしりしている。
ヒデさんはマリオを見るなり不機嫌そうに何かを呟くと、いきなり口喧嘩が始まった。
呆気にとられた僕は、部屋に用意された木製のソファに座ってその様子をドキドキしながら見るしか無かった。
双方共にかなりエキサイトしていたのだと思うのだけど、スペイン語は嗜む程度しかわからない。
話すだけ話し、少し落ち着いた時、ヒデさんはフッと僕を見て急に我に返り、謝った。
「ああ、お客さんの前でごめん…いや、ちょっと金の件でモメててさ」
それはなかなかヤバイ話じゃないかと思いながら尋ねると、こんなことは彼らからすると、日常茶飯事だという。
同様に少し落ち着いたマリオは、ヒデさんから紹介された僕を見るなり、顎だけでクイっと前にやったので、こちらもクイッと返す。
僕はこのクイッとやるだけの挨拶がとても気に入っていて、お辞儀のような丁寧モノより、ずっとぶっきらぼうでフランクだ。
マリオは僕にゆっくりしていってくれとだけ言い、そのまま不機嫌そうにブツブツと呟きながら工場へ行ってしまった。
すると、まるで騒動が収まったのを見計らったかのように、隣の部屋からマリオの奥さんが、コーヒーを持ってきてくれた。
ヒデさんは、奥さんには極めて平和なハグをし、笑顔で挨拶をした。
マリオの工場はわりと大きいし地元でも有名なはずなので、そんなに資金繰りに困っているのかと尋ねると、ヒデさんは大笑いした。
「マリオのヤツは別の街にこれ(小指をあげて)がいて、もう大きな子供もいるんだ。もう20年くらいそんな生活をしていて、その生活資金が要るとかで、個人的に貸したんだよ」
(そっちかい)
その時、僕は余計な質問をしてしまったことを少し後悔した。
マリオはもう60近い年齢になるのだけど、当時の海の男と言えばそんな連中がたくさんいて、場合によっては奥さんがそれを知っているケースもあるのだという。
マリオも何十年と2家族を養っていることになるので、ヒデさんが影ながらサポートをしてきたそうだ。
だが、言わば取引先相手にそこまでしてサポートする理由を尋ねると、ヒデさんは少し不思議そうな顔をして言った。
「家族だから。マリオにはガキの頃から世話になってるし」
そういうと、マリオの部屋の壁に掛けてある何枚もの写真から、若いマリオがまだ幼いヒデさんを抱っこしている写真を見せてくれた。
そのあとはマリオの工場を視察し、ランチを食べる頃にはすっかりお互い機嫌が直った2人を恐る恐る横目でみながら、残っていた打合せを済ませた。
次の工場へ向かう時間になり、ヒデさんはマリオに軽く手を振る。
マリオも同じ様に手を振り、僕たちは次の目的地へと向かった。
以前、ホセの時にも感じたのだけど、南米では「家族」と呼ぶ範囲がグンと広くなる気がする。
その輪の中では恥も見栄も無く、言いたいことも素直に言い、意見が食い違えば口喧嘩もする。
もう1つの家族ともヒデさんは旧知の仲で、数年前は成人した子供が日本に初めて遊びに来たと言っていた。
滞在中は終日観光に付き合い、飲食や寝泊まりも全て、ヒデさんの家で過ごしたそうだ。
マリオの元々の家族も(ややこしい)、彼の話では至って良好だということだけど、こちらは聞いているだけでハラハラする。
たが、それも20年以上やってきたのだから、きっと大丈夫なのだろう。
その日も、僕の知らない世界が地球の裏側にあることを、ちょっと幸せに感じた。
「タドさんもさ、なんかあったら言ってよ。出来る事はやるからさ」
そう言いながら屈託の無い笑顔で笑うヒデさんとは、もう20年近い付き合いだ。