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最小の国から来た男


ズルいヤツというのに、出会った事はあるだろうか。

ここでいうズルいは悪い意味では無く、その言葉にはどこかちょっと皮肉も混じるけど、相手が自分にとって嬉しい行動をとらなくても許せてしまう性格を持った人の事だ。

それはもはや1つの特技だと思っていて、共通しているのは笑顔である気がする。
満面の笑みもあるし、笑っているのかわからない様な淡い笑顔もある。
けれどその人がその人の笑い方を使うと、大概の事は許されてしまう。

そしていつもピリピリしかけた側がバカバカしくなる事が最大の特徴で、僕はそういう人を”ズルいヤツ”と定義する。

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チリ南部、ロス・ラゴス州にあるチロエ島は、日本の四国よりちょっと小さな島で、プエルトモントから南に約200㎞ほど走れば、島内最大の街、カストロに入る。

その小さな街にいるセサー(Ceaser)は、当時で40手前になる丸々とした大柄な男だった。
今まではプエルトモントで数回一緒に仕事をした事はあったが、何れも日中だけで、数日に渡り同行するという機会は初めてだった。

本土と島の海峡は2㎞弱で、過去に幾度も橋を渡そうと20年くらい前から計画はされているが、未だクルマで渡るにはフェリーしか方法が無い。

海外に出ると、建設計画から何年経過しても着工すら進まないという事はよくあって、ベトナム・ホーチミンは地下鉄が出来るという計画を聞いてからもう15年位が経過しているが、現地の連中に訊くと、あと少しらしい。
このあと少しをほぼ毎年聞いてもう5年が経過しているので、つまりそれは完成は未定という事だと思うんだけど、面白いことに現地の人は意地でも未定とは言わない。

チロエ島の橋も同様、いつ完成なのかを訊く度に、もうすぐだと聞かされるのが、ある種の恒例だった。

僕はプエルトモントにいる仲間に頼み、白いダッジラム製のピックアップトラックを借り、約1週間の旅に出た。

島までの道は迷いようのない1本道で、途中分岐はあるが行き先は頭に入っていた。

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日が落ちかける頃にフェリーで島へ渡り、ほどなくするとカストロに入る。


街の中心部にある黄色いサンフランシスコ教会がシンボルの小さな街はとても美しい街で、チリの中でも3番目に古い。

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その夜は地元の人が集まる小さな料理店で夕飯をとったが、時差ボケなのかもわからないほど時差ボケしている僕は、早々と眠りについた。

翌朝。
ホテルから10分もかからない場所に、彼の事務所はあった。

少し古いけどガッチリした木造建てで、部屋の中は暖炉があり、いつでも眠れそうな温度に保たれていた。

事務所にいたセサーは随分見ない間に髭を生やしていて、ハグをして挨拶すると、いつもの愛くるしい笑顔で迎えてくれた。

彼は敬虔なクリスチャンであり、若い頃は世界で一番小さな国・バチカン市国で教皇に仕えた事もある、ユイショ正しき男だ。

当時の話を何度か訊いたことがあるが、僕には想像もつかない様な厳粛な環境下で、若い頃に日々の生活をしていたらしい。

事務所の席に着くなり、彼は僕にタバコをくれと言った。
僕は特に何も言わず差し出すと、出してくれたコーヒーと共に彼は美味しそうにタバコを吸った。

別に彼自身、タバコを買う金が無い訳ではない。
奥さんに健康管理を厳しく言われている彼は、色々な事情があるのだろう。
若い頃に厳しい環境で生活し、今でも厳しい奥さんの下で生活をしている彼を見ていると、ほんのちょっとオトコとしての同情もあった。

暫くして、2人は乗ってきたクルマでさらに南へ出かけた。

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セサーは道すがらに見えるどんな教会の前でも、十字を切る。
切り方にもルールがあって、当時その1つ1つに意味がある事も教えてくれた。

そこでの仕事は順調に進み、夕方にはカストロへ戻ってくる。

どの国にいても僕はこの夕方の時間が好きで、今日の晩飯を何にしようか決めている時間が特に好きだ。
よく考えると、こんなに理屈の無い大好きも珍しい。

最終的に彼オススメのイタリアンに決め、夜に店で落ち合う約束をした。
相変わらず夕飯を食べる時間の遅さには慣れないが、訪れたイタリアンはどの料理も美味しく、前菜で出されたじゃがいもとビーツが驚くほど美味しかった。

その日も朝から、僕が吸いたいタイミングで勝手にタバコを差し出すと、嬉しそうに彼も吸った。

何度か箱ごとを渡そうとするのだけど、持っている事を忘れてヨメさんに見つかったらマズいという事で、受け取らなかった。

彼は酔うと、女性の話題が9割に急変する。
正直、相当くだらない内容で、書くのも躊躇うほど子供みたいな話なんだけど、屈託の無い笑顔で嬉しそうに話す姿を見ると、思わずこっちまでつられて吹き出してしまう。

ビールとワインと料理を愉しみ、デザートにはアイスを食べ、締めに定番のピスコサワー(50度近い)をグイと呑むと、セサーはそのまま飲み屋に行こうと誘ってきた。

ふと彼の奥さんの事が気になって、遅くなっても問題は無いのかと尋ねたが、お客が来ている時は何も言われないという事だった。

それは視点を変えると、お客が来ている時だけ彼は短い自由を手に出来るという事にもなるので、その背景を知っていると飲みの誘いが断りづらかった。

特に僕はあまりお酒は強い方では無いのだけど、あまりにも行きたそうにしている彼を見たら、ノーとは言えなかった。

彼はオススメの店があると言った時点で直感的にイヤな予感はしたんだけど、それは的中した。

その店はいわゆるオネイサン飲み屋で、街の外れにあった。

少し薄暗く赤い照明の店内に入ると、強い香水の香りがするオネイサン達が数人足組をして待機していた。
セサーは一通りオネイサン達とハグとキスをした後に嬉々として会話を始めたので、すぐにそこの常連なのだと思った。

やたら深くまで腰が沈む低いソファに座ると、両隣にオネイサンも座り、私達の飲み物も頼んでいいかと尋ねてきた。

このシステムというのは日本でも馴染み深い人はいると思うが、つまりその飲み代も全てこちらが払うので、彼女達は都度客の了解を得るのだ。

僕は丁度タバコがカラになったので、バックに入れていた免税タバコのカートンを引っ張り出した。
すると彼女達はそれもくれというジェスチャーをし、ウソみたいな早さで1カートンが消えた。

店で出されるテキーラはとても強く、効いた。

彼女達は英語は話さないので終始何を言っているのかわからないが、セサーは通訳すら忘れ、ひとり完全なる自由を謳歌していた。

2時間は経過しただろうか。
彼女達はものすごいスピードでタバコを吸い、ものすごいスピードで酒を飲み続けた。

かなり酔った僕はトイレに行きたくなったので一言告げ、暫くして部屋に戻ると、彼は店から消えていた。

”彼は相当酔ったみたいなので、先に帰った”
と、かなりカタコト過ぎる英語でオネイサンが説明すると、テーブルには二度見するような金額のレシートだけが置いてあった。

アノヤロウ……

翌朝、セサーは何事も無かったかの様に待ち合わせ時間にホテルのロビーに来た。

全くもって悪気の無いあの笑顔で敬礼しながら「オハヨウゴザイマス!」と日本語で挨拶をすると、僕は3秒で文句を言う気力が消え失せた。

きっと彼は何事もなかったかのように家に帰り、奥さんには商談が長引いたとでも言ったのだろう。
そんな事を思うと、何だか彼が愛くるしくも見えてきた。

彼はロビーの店員にコーヒーを頼み、今日の打合せを済ませると、少し勝ち誇った様な顔つきで僕に言った。

「ここのコーヒー代は俺が出す」

全くもって、ズルいヤツだ。

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