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オーレスンの時計

時が進むのが早い。

大人になればなるほど、そう感じている人は身近にも多くいるのに、それでも尚、さらに加速する様に毎日を生きている。

流れる時間は年齢に関係なく平等に存在するはずなのに、変な話である。

子供のころほど長く感じるのは、大人より何も知らなかったからだという人もいるけど、本当にそうだろうか。

もし、時の進む速さを少しでも変えられるとしたら、そこには何が見えるだろう。

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オーレスン(Aalesund)は、ノルウェーの首都オスロから約300kmほど北西にある、ノルウェー国内でも大きな港町である。

オスロ空港から約1時間ほどで、オーレスン・ヴィグラ空港(AES)に辿り着く。
日本からAES迄のノンストップルートは日付変更線を乗り越えるので、日本からは昼間に飛んで同日の夕方に着く旅程になるのだけど、中継地点のコペンハーゲンやオスロで仕事が無く単純な乗り継ぎの場合、時間がかなりタイトなので、心身ともにヘロヘロになりながら着くパターンが多かった。

夕方、空港に着くとラス(Lars)が軽く手を挙げ、笑顔で迎えてくれた。

「遠くまで疲れただろう」

彼はそれだけ言うと静かに荷物を車に詰め込み、市内へと向かう。

この一帯はとても複雑な地形(フィヨルド:fjord)になっており、陸地への移動の殆どは、フェリーを使う。
フェリーは短いと15分程度から、1時間以上のフェリーもある。
オーレスン市内とヴィグラ空港がある島もそれぞれ別になっているが、ここの移動だけは、整備された長いトンネルを使って移動する。

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*ノルウェーと言えば、このギザギザ(フィヨルド)である。(Google mapより)

30分ほど走らせると、市内に入る。
オーレスンは小さいながらもとても美しい街で、街一番の小高い丘に登れば、冒頭の写真の様に街の全景が一望できた。

ラスは生まれも育ちもオーレスンで、もうすぐ60歳近くになるスラっとしたおじさんだ。
彼とは僕が若い頃からの付き合いがあり、その長い間に彼は市内のいくつかの企業に転職をしているが、職種は共通していた。

彼は普段から大笑いする様なタイプでは無く、いつも静かに笑うが、稀にスパイスの効いた面白い洒落を言うので、なかなか油断がならなかった。
初見なら見かけは無愛想にも見えるが、会って話せばとても優しい男である。

僕が到着した日には決まって彼の自宅に誘われ、ラスの家族に会わせてくれた。
初めて訪れた時、彼の家にはまだあどけない小さな息子と娘がそれぞれいたが、今はどちらも成人し、オーレスンを離れている。

家族には毎回違った土産を持参するのだけど、ラスには彼お気に入りのシングルモルト・タリスカーを渡す。
その際、そこには小さな彼なりの儀式があって、前回訪れた際に僕が渡した同じタリスカーの封を開け、僕に出してくれた。
それが何を意味するのかラスに訪ねた事は無いけど、僕はそれが嬉しかった。

奥さんはいつも夕食を用意してくれていて、彼女の作る魚介のグリルに自家製のコケモモを使ったジャムソースを乗せて食べる料理は、味わいの深い硬めのパンとよくマッチした。

翌日からは前述のフェリーを駆使し、各所での仕事をこなしていく。
仕事の時間よりも移動時間が長いのに加え、ナビも無い静かな車内では、彼との会話は必然的に増えた。

彼は過去に出張で数回トーキョーを訪れており、その話になる度に、あの街はクレイジーだと笑いながら言った。
もちろん、それは何もかもがあるというポジティブな言葉を含んでいるが、何もかもがあり過ぎるとも言った。
そして、何よりトーキョーにいると時間が短くなると言った。

ラスとの会話は不思議と、同じ会話1つをとっても経過する時間が長く感じる。
別に彼はゆっくりと話している訳では無いのだけど、どれも印象に残った。

朝起きて、日本と変わらず仕事をして、夕方に帰る。
殆ど同じ事をしているはずなのに、1日に流れる時間はとても長く感じた。
車窓から流れる景色に飽きているのでも無く、ラスとの会話は弾んだ。

移動中、彼は仕事の話を殆どしない。

最近では一時帰国してきた彼の息子と2人でカヤックを使い、オーレスンに訪れる短い夏の間、フィヨルドの島々を旅した話をしてくれた。

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僕はラスに、人が住んでいないエリアも含む場所へカヤックで行くのは不安じゃないのかと尋ねた事があるが、彼は笑いながら言った。

「毎年、暖かくなると南ヨーロッパから飛来する鳥がいて、それがオーレスンの街に飛んできた時が春の合図なんだ。そこから逆算して旅程を決めるんだけど、その予測が過去に大きく外れたことは無くて、行く先々の島の雪代は綺麗に溶けているし、とてもいい旅が出来る」

そして旅の途中息子と色んな話をして、彼はまた彼の住むイングランドへ帰ったそうだ。

今は奥さんと2人で生活しているので、息子や娘がいない生活は寂しくないかと訪ねた。

「それはあまり感じないな。彼らは彼らの人生があるし、幸せにやってくれればそれでいいと思ってるよ。毎年夏になるとワイフとは2人で行く島があって、そこで夕陽を飽きるまで見るんだ。辺りには何も無いけど、そこに流れる時間が最高なんだよ」

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そう言って、嬉しそうに2枚の写真を見せてくれた。

僕は最初に訪れた頃、ラスの言う時間の長短について、その意味がよくわかっていなかったのだけど、この街を訪れ過ごしていくうちに、色んな事に気づいた。

彼も、彼の奥さんも街の人々も、人と会話をする事がとても特別であるかのように会話をしてくれる。
話題ごとに質問が多く挟まり、話を聞き流すという事が無い様にすら思えた。

一度、市内にある小さなバーで夜遅くまで飲んだ時、少し酔った彼は言った。

「今はネットもコレ(手にしたスマートフォンを見せて)も使っているが、いつも必要最小限だけにしてる。これらは確実に今の生活を豊かにしてくれる事はわかっているが、1時間使ったら、同時に1時間別のモノを捨てている事も忘れちゃいけないと思ってる」

そう話し静かに笑う彼の言葉が、今でも頭に残っている。

毎日、目の前で起きている出来事をどれだけ見逃しているだろう。
人と出会う事の偶然を、当たり前だと思っていないだろうか。
人生でどれだけ、落としかけたものを拾えるのだろう。

彼に出会ってから、そんな事を考える様になった。

ラスとの会話は何も否定しないし、何も植え付けたりしない。

そんな彼の息子は高校生になってからはネットばかりで俺の言うことなんか聞きやしなかったけどな……と、両手を挙げ無邪気に不貞腐れる姿が、何だか少し可愛く見えた。

どちらが正しい事かなんてわからないけど、今まで考えにも及ばなかった事を、僕は彼から教わった気がした。

帰国の日になると、ヴィグラ空港で彼はいつも通りの笑顔で言った。

「次の新しいタリスカーを開けるまで、ここで待ってるからな。それと、もうトーキョーには行かないぜ」

そう言ってお互いにゲラゲラ笑ったあと、少しだけ寂しそうな顔をした。

彼の生き様は、朴訥という表現が似合う、ナイスガイだ。

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こんなおっさん達が世界中にいる事を、僕は誇りに思う。

今日もオーレスンの時計は、1分=120秒くらいで流れているだろう。

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