なんで梅干しなんですか?
歳を取ると世間や身の回りに、早とちり癖がある人って心当たりがあると思う。
せっかちとは少し異なり、早合点というのは往々にして時間差でじわじわと問題が炙り出されてくることがある。
今日はそんなお話。
両親が終の棲家と決めた場所があって、当時の僕は成人間近だった。
そこそこの田舎町で、都会とは呼べないけど、生活する上で然程困ることは無さそうな、緑の多い良い街だった。
当時の休日は小中高時代や今ほどスポーツに明け暮れるみたいな生活はしておらず、寧ろ小学生からクソ坊主としてずっと野球一筋で生きてきたので、遅ればせながらようやく人並みの青春を謳歌している様な日々だった。
”人並みの青春”ってなんだか全然書いていてしっくり来ないけど。
何せ高校を卒業するまでは髪を伸ばしたことも無かったので、ヘアワックスやヘアジェルの使い方すら全くわからない。
取り敢えず見様見真似で鏡の前で試してみては、案の定付け過ぎてガッチリと固まり、台風でも崩れない剣山みたいなヘアスタイルになるのがせいぜい関の山だった。
その街に引っ越してきて1ヶ月経つか経たない頃。
ある日の夕方にテレビを見ながら晩飯を食べている僕に、母が言った。
「今度の週末って空いてる?ちょっと手伝って欲しいんだけど」
テレビに夢中だった僕は特に内容も聞かず、その場で空返事をした。
母親が何か用事がある時は用件を言ってくることがほとんどだったので、その時に内容を聞いておけば良かったと、今思えば後悔した。
日曜の午前。
土曜の夜に存分な夜更しをしたせいで、朝飯も食わず自分の部屋でぐっすりと寝ていた。
ノック音が聞こえ小さく返事をすると、ドアを開けた母が言った。
「前にお願いした大会の件、今日のお昼なんでそろそろ出ようか」
たった今起こされ寝ぼけまくっている僕は、しばらく頭の中で考えた後、今確かに母が言った”大会”という単語を脳内で反復し、布団から顔を出した。
「……大会!?」
「言ったじゃない。先日町おこしイベントのチラシに大食い大会があるって書いてあって、上位入賞者は結構豪華なプレゼントがあるんだって。1位はお米2俵だって!」
……母が何を言っているのか理解するまで、相応の時間を要した。
「それで、あんたなら上位を狙えるかと思って、エントリーしたのよ」
ちょっと待って欲しい。
確かに体育会系の若者よろしく飯は人並み以上に喰うとはいえ、テレビに出てくるタレントの様な大食いでは無いし、何よりもそんな大会に出るという恥ずかしさの方が瞬時に上回った。
「え!?それってもう取り消せないの!?」
そうダメ元で聞いてはみたが、母は手に持っていた紙を僕に見せた。
■○○町・美味しい農産物アピールイベント企画
動物ふれあい企画 :馬や羊達と戯れよう!
地酒の飲み比べイベント:美味しいお酒を飲み比べ!
じゃんけん大会 :優勝者は野菜1ヶ月分!
大食い大会 :優勝者は米俵2俵!
ざっくりとこんな内容で書かれており、既に挑戦者の欄にはご丁寧に僕の名前が印刷されていた。
訊けば、このイベントで父は地酒を飲みたいと言い出し、ならば母はじゃんけん大会に出るので、それなら倅は大食い大会に出させようという話が秘密裏に行われていた様だった。
僕はせめて馬や羊達と戯れる方がどんなに幸せかを両親へアピールしたが、それは叶わぬ願いだった。
あきらめムードの中、仕方なく移動中の車の中で、母に大食い大会のルールを尋ねた。
①飲み物は大会側が用意し、水と茶がある。
②制限時間は20分。○○町の新米を食べる。
③おかずは、梅干し。
ということだった。
既に梅干しは母がちゃっかり用意していて、助手席にいる僕に手渡された。
袋を開けてみると、
お菓子感覚で食べるカリカリ梅(個包装入)が入っていた。
ちょっと待って欲しい。
せめて南高梅とかそういう柔らかい梅干しを想像していたが、間違いなくそこに入っていたのはカリカリ梅で、しかも丁寧に1つ1つ袋に入っている。
僕は半泣きになりながら、急いでその袋を全て開けて1つに纏めた。
いくら素人の僕でも、大食い大会中に1つ1つ袋を開けてカリカリ梅を食べる挑戦者がいないことくらい想像がつく。
毎度の事だが母の適当な用意に呆れながらも、車は目的地へ到着した。
関東とはいえ田舎町だし、せいぜい地元の爺ちゃん婆ちゃんがそこにいて、如何にも小さい町の小さなイベントだろうと高をくくっていたのだけど、そこは既に想像以上の人だかりになっていて、軽い目眩を覚えた。
ここまで書くと相応の時間の流れを感じるが、
起床して大食い大会に出ることになってまだ1時間しか経過していない。
無茶苦茶である。
会場では他にも色んなイベントをやっていたが、僕は迫りくる大会のことしか頭になかった。
町おこしイベントのフィナーレ的な位置付けとして、大食い大会の時間になった。
よりによって他のイベントを終えてからの大トリが大食い大会なので、人だかりは最高潮に達した。
付近を見渡すと、何処かで見たことのあるマークのテレビ局まで来ていて、こちらとしてはもう最悪の状態である。
スタッフが用意された舞台に挑戦者たちを促す。
挑戦者は全部で11名いた。
女性は1人だけで、残りは全て男性だった。
スタッフの人が用意した飲み物と、目の前にあるクソデカイどんぶりに、なみなみと米が盛られていた。
なぜか場馴れしている司会者曰く、この1杯で3合あるそうだ。
僕はテーブルにカリカリ梅を用意した。
町長がスターターピストルを鳴らし、挑戦者達は一目散に食べ始めた。
箸を持った瞬間から、カリカリ梅の個包装を外しておいたことを僕なりにかなりのファインプレーだと思いながら、飯をかきこむ。
実際に白米だけ食い続けるというのはかなりキツくて、開始早々喉が詰まりそうになったが、そこは水で誤魔化していく。
1杯目は無難に終わり2杯目に。
司会者の実況からすると僕はわりと早い方だったが、隣を見る余裕すら無かった。
2杯目になると急激に口の中の水分が消失し、飽きてくる。
各挑戦者達も次第に飽きてきている様子をカメラにバッチリと収められているんだけど、今思えば"美味しいお米アピール"という町おこしとしてこの映像は如何なものかと思う。
そして唯一の武器であるカリカリ梅という貧弱な武器は、食べれば食べるほどより水分を奪われた。
なぜ唯一のチョイスが梅干しなんだと思いながら、残り数分という所で何とか3杯目に突入すると、状況はいよいよ過酷になった。
もはや水ですら迂闊には飲めないし、カリカリ梅に限ってはもはや全く手を付けなかったし、とにかく無心で食べ続けるしかなかった。
3杯目もあと少しというところで、制限時間となった。
僕は結果的に8合半を食べ、幸いにして3位という好成績を収めた。
因みに3位の報酬は確かダンボール一杯に詰められた野菜と、お米10キロだったと思う。
母は大喜びで、もはや芝に横たわるしかなくなって悶える僕を讃えた。
しばらくすると、立つことすらキツイのに表彰式があると言われた。
木製で出来た手作りの表彰台に乗り、1位から順に司会者とカメラがコメントを求める。
彼らは皆キツかったと話していたし、優勝者から3位の僕まで結構な僅差であった。
そして僕の前にマイクが向けられたその時、先に司会者が言った。
「田所さんは、なぜおかずに梅干しを選んだのですか?」
しばらくの間、僕は何を訊かれているのかわからなかった。
そしてすごくつまらない答えではあるが、
「え……ルールだからですよね?」
と言った時、会場が少し静かになった(気がした)。
しばらく間があった後、司会者が言った。
「えっと……おかずは1品であれば何でもよくて、毎年上位の方々は大体生玉子を使われるんですが、カリカリ梅を使われた方は史上初です」
僕はすぐさま母親を見た。
母は慌ててエントリー用紙を確認し、比較的大きい声で
あっ!
と言った所で、察した。
おそらくちゃんと規定を読んでいないのだろうというのはすぐにわかった。
何をどう解釈したら母の脳内で梅干しオンリーに変換されたのかは誰も知る由もないが、間違いないのは母親の早合点によるミスであった。
翌週。
地元の新聞には1面に大食い大会の記事が出ていて、下段には1位から3位までの挑戦者達のコメントが掲載されていたが、
「田所さんは、お母様の勘違いによりカリカリ梅で健闘し3位入賞」
と書かれたことは、我が家では今でも笑い話のネタである。
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