海外で鼓膜をやられ逮捕されそうになる。
ベトナムの夜は短い。
共産圏という事もあるんだろうけど、大体のお店は深夜0時になるとパッタリと閉まってしまう。
とても賑やかで明るかった街が、停電でもしたかと思うくらいに本当にパッタリと暗くなって、人々はとっとと家路につく。
ざっと計算してみたらもう10年くらい前の事なので、その間に僕は一体何をしていたんだと気が遠くなるくらい、時が進むのは早い。
ある夜、僕は取引先の連中とホーチミンで飲んでいた。
一般的にはホーチミンシティという呼称が有名だけど、彼らに言わせればその”シティ”がどうも納得出来ないらしく、シティってなんだってよく訊かれる。
そんなコト僕に訊かれてもといつも思うんだけど。
あとは海外で僕を見るなり寿司!!スシ!!SUSHI!!って呼ぶのもそろそろ止めてほしい。
こう見えても一応ちゃんとした名前がある。
南米の人は大抵発音が難しくてタコドロさんって言うので、俺はオクトパス泥棒じゃないって言い返すんだけど、案の定誰も笑ってくれない。
当時、ベトナムは高度成長期とも言えるくらい街が急激に発展していて、それは今も続いている。
それに伴い、居心地が良くて気にっていた定宿の値段が跳ね上がったり、ホテル自体が急になくなってしまったりという面倒な事が続いていたけど、ようやく落ち着くホテルを見つけた頃だった。
それはホーチミン歌劇場の近くにあって、中心部からも近い。
いつもはホテルまで彼らの送迎車かタクシーで送ってもらう事が多いんだけど、その日は珍しく独りで帰ると言い、ホテルまで徒歩で帰った。
灯りがすっかり消えた街はほんの少し緊張感もあって、いくらベトナムの治安が良いからとはいえ、それなりに警戒しながら歩いた。
若い頃にテキサスのオースティンでハロウィーンにベロンベロンに泥酔して、気付いたらかなりヤバイ路地に入り込んで死にかけた経験もあったけど、当時はもういい大人なのでそんな事も無く、多少の経験もある。
少し酔ってはいたけど、真っ直ぐホテルへ向かっていた。
すると、後ろから原付バイクでゆっくりと近づいてくる音がした。
ああ、またタクシー代わりに乗せてやる誘いか、イイコトしましょうみたいな誘惑をしてくるオネイサンのどちらかだと思い、目線も送らずとっとと前を見て歩いた。
旅先では財布も小さい物を用意しているし、何なら飯代が足りる程度の小銭をポケットに突っ込んでおく程度しかしないので、スリにあったとしても大した被害は無い。
正解は、後者の誘惑してくるオネイサンの方だった。
2人乗りでどちらも相応に派手なメークをした綺麗なオネイサンが、しつこく僕に話しかけてくる。
ホテルまであと3分。
大きなロータリー広場を横断しかけた時、何か言いながらオネイサンが僕のオシリを軽く触った。
そもそも僕はオシリに財布を入れていないので、彼女達が万が一スリだったとしても、それはムダナアガキなのだよ…などと考えていた。
そのロータリーでおっさん達が屯すバイクの脇を過ぎたその時だった。
「*+>S&%O@{JSHD**+!!!!」
急にそのおっさんがベトナム語で怒鳴ったかと思うと、たった今僕のオシリを触っていたオネイサン達が、乗っていたバイクを瞬時に路上に投げ捨て、全力で逃げ出した。
僕は何が起きたのかもわからず、50cm隣にいるおっさんの方を向きかけたその時、
パーン!!! パーン!!!
と、おっさんが持っていた銃口が空に向けられ、2発撃った。
僕はその場で反射的に伏せ、横を向くとオネイサンはもうかなり遠くまで逃げていた。
伏せた地面から少し何かの油臭い匂いがして、嫌だったのを覚えている。
そしてキーンという耳鳴りがしたまま、全然聴こえない。
そのおっさん達は、私服警官だった。
おっさん達は仲間の1人が銃を撃つのも見ていただろうし、撃つ警官も当たり前だけど撃つのはわかっていたんだろうけど、僕はまさかそんな至近距離で銃を撃つなんて想像すらしていなかったので、めちゃくちゃ耳が痛かった。
せめて、撃つなら今から撃つと言ってほしい。
わがままかもしれないけど。
そして数名の私服警官がバイクに乗り、逃げたオネイサンを追いかけた。
僕はその場に取り残される様な形になり、気付いたら周辺にはもの凄い人だかりになっていた。
そこに残った1名の警官だけ無線でやりとりをしていて、もう全然耳鳴りで会話すら聴こえてないんだけど、とにかく僕は無事だし何も盗られていないので、ゆっくりと立ち上がり、アーアー。アーアー。と声を出してみては、依然として聴こえない状態にビビっていた。
暫くして、人だかりの数名が僕に何か話しかけてきた。
みんな心配してくれている様子で、僕は何だかちょっと嬉しかった。
残念なのは何を言っているのかは元々わからないのと、そもそも音すら聴こえてない。
僕は笑顔で応え、片耳を軽く抑えながらホテルへゆっくりと歩いた。
暫く進むと、街の清掃員のおじさんが何か必死にこちらに言っている。
ようやく音がちょっとずつ拾える事に安堵した僕は、彼が何を言おうとしているのかを聞き取った。
「ポリス、カムバック、ポリス、カムバック」
そう言っているのがわかり、振り返ると無線で話していた件の警官が、遠くからこちらを見て手招きをしている。
何だか面倒なコトに巻き込まれた
という嫌な直感は当たっていて、警官は僕に警察署まで来いと、カタコトの英語で話した。
原付バイクの後ろに乗せられ、数台でホーチミン市内の警察署へ向かう。
変な話だが、その時に熱帯気候で走る深夜のバイクは夜風が気持ちいいな。などと感じた。
5分ほど走り、バイクに乗せてくれた警官から、警察署で待機していた警官に身柄を引き渡された。
乗せてくれた警官は気さくだったが、警察署の人はちょっと怒っている様にも見えて怖かった。
けれど、どちらかと言えば僕は被害者の方なので、堂々としていようと思った。
警官に促され、建物の中の部屋へ誘導される。
廊下の無機質な蛍光灯の灯りが妙に現実に引き戻される様な感覚になったが、部屋はクーラーが効いている感じはなく、ジメっとしていた。
部屋に入ると、そこには木枠の手錠の様なモノが壁とくっ付いていて、よく見ればそれは手枷だった。
因みに現代では”手枷”でググると割合ひどい検索結果にしかならないので、あまりおすすめはしない。
そして、その警官が僕に手枷をしたその時だった。
「*+>S&%O@{JSHD**+!!!!」
ドアを開け、たった今手枷をしようとした警官に対して怒鳴ったおっさんは、襟と胸の辺りに勲章みたなモノがたくさん付いていて、おエラいさんなんだとひと目でわかった。
ベトナム語は殆どわからないけど、この時だけはわかった気がする。
「おい!この人は容疑者じゃない!!」
そう言ってくれたんだと信じてる。
さっきまで怖そうにしていた警官は急に甘えてくるネコみたいな顔になって、僕になにか言いながら手枷を外してくれた。
外で警官が引き渡しした時、一体どんな引き継ぎをしたのかというベトナムのシステムがかなり気になる所だけど、とにかく僕は逮捕される事だけは免れた。
そのおエラいさんは、ホーチミン警察署の署長だった。
署長の部屋に呼ばれ、プラスチックのコップに冷たいお茶を入れてくれた。
彼は流暢な英語を話した。
優しい口調で、スリの被害に遭っていないか、怪我はしていないかを訊かれ、大丈夫だと告げた。
そして逃げた容疑者達が、さっき捕まったという話を聞いた。
その後ちょっとした会話が続き、彼は海外経験は無いが学生時代に英語を専攻していた事や、多くの旅行者と話す事が楽しいと言っていた。
そして僕は、例のオネイサン達はちょっと派手ではあるけど、なかなかキレイな人だったと冗談を言った。
すると、署長は少し呆れた顔をして言った。
「彼らは男性だ」
僕はまだまだダナ、などと思った深夜2時の出来事だった。