無期懲役の受刑者・絆氏との出会い①
無期懲役で45年に渡り刑務所で制作をつづける、刺青の彫師で獄中の画家、画号「絆」氏の個展開催に向けて準備を進めています。
個展について詳しくはこちらをご覧ください
https://kizuna45.mystrikingly.com/
今日は、絆氏との出会いについて書いてみようと思います。
先日、日本人イスラム教徒で仙台モスク(仙台イスラム文化センター)代表のムハンマド佐藤さんのドキュメンタリーを作った話を書きました。
絆氏と私の出会いを作ったのが、このムハンマド佐藤さんです。佐藤さんは仙台の根白石出身の81歳。兄弟が多く、こどものいなかったおばから養子にほしいと言われて養子に。こどものころから外国語に興味があり、短波放送などで英語にふれていたそうですが、勤めるようになってから新聞でアラビア語を教えてくれるという記事を目にし、そのころ設立されたばかりの仙台モスクに通うようになります。それはエジプトからの留学生らが設立したもので、やがて佐藤さんはモスクの運営に深くかかわっていくようになったそうです。詳しくは上記の記事にドキュメンタリーのリンクを貼ってありますのでご覧ください。
私が佐藤さんと初めて会ったのは、2021年の8月ころのこと。インドネシアからの留学生でインドネシアとの交流で通訳をしてもらっていたアンディさんが、仙台を離れるのでモスクにあいさつに行くというので、前々から行ってみたいと思っていたので同行、初めてお会いしました。当時79歳。病気で手術をしたばかりと聞いていましたが、実にはつらつとした方という印象でした。
その後、仙台に暮らす4人(組)の「異邦人」をテーマに4人(組)の監督がドキュメンタリーを撮るという「Strangers in Sendai」という企画が仙台市市民文化事業団の助成に採択され、佐藤さんにも出演をお願いし、モスクに行って撮影をするようになりました。上記のドキュメンタリーには出てきませんが、この時すでに佐藤さんから、イスラム教徒になりたいという受刑者が何人かいて、毎月面会に行っているという話を聞いていました。
ドキュメンタリー制作企画の助成期間が2022年3月までだったので、とりあえず2022年3月にせんだいメディアテークで上映。翌2022年度にも同様の助成があり、射程を拡張して「Strangers in my town」として応募したところ、これも採択されたので、パレスチナにつながる仙台の団体や石巻にできたモスク、日系二世のアメリカ人宣教師、ラトビア人親子、インドネシアからの夫婦ともに、佐藤さんの続編も撮影することにしました(2023年度は諸事情あって申請を断念しました)。
佐藤さんの続編を撮影していく中で、中心的なテーマとして浮かび上がってきたのが、佐藤さんの受刑者との交流でした。
訪ねて行くと、ちょうど今から刑務所でイスラム教徒に改宗した人のための参考にとアラビア語のテキストをコピーしに行くというのでいっしょにコンビニまで行ったり、どうして刑務所でイスラム教に改宗する人が増えていったかなど、けっこう受刑者との交流が会うたびに出てくるトピックスになっていきました。
実は、全然アラビア語はできないのですが、私は東京外国語大学アラビア語学科を卒業だけはしていて、イスラム教やイスラムの歴史について、それほど詳しくもないのですが、知らない大方の日本人よりはわかってる人、関心のある人ととらえてくれて、それから2022年の暮れに長年行きたかったパレスチナにも行って来たりしたので、そんなこともあって、佐藤さんにとって私はいったい何者にうつっているのかわからないですが、いろいろ話したり相談したりしてもいい人間になっていったのではと思います。
佐藤さんが受刑者と交流するようになったきっかけは、当時刑務所に服役中だった知り合いの方の息子さんが、刑務所の中でいろいろ勉強する中で、イスラム教徒に改宗したいという思いを持ち、佐藤さんに話を聞いてもらえないかと相談がいったこと。当初はどうしたらいいのかもわからず、とにかくダメ元で接触を始めたそうですが、なんとか特別面会というかたちで許可され、会うことができたそうです。
ちなみにイスラム教への改宗は、形式的なことだけを言えばとても簡単で、立会人のもとでアッラーを唯一神として認めるむねをアラビア語と日本語で宣言すればOK。
知り合いの息子さんは改宗し、その後出所、現在は音信不通だそうですが、刑務所内でこの話を聞いた別の受刑者が、自分も改宗したいという話があいつぎ、4人目にあたるのが絆氏で、一昨年改宗。佐藤さんは刑務所内にいる3人の改宗者に会ってイスラム教について教えるため、毎月それぞれと面会をつづけているそうです。
一方で、これは全くの偶然なわけですが、私はライターをしている仙台の雑誌社の仕事で、刑務所に関わる取材をする機会が2件ありました。ひとつは教誨師にまつわる取材で、もうひとつはコロナで休止していた矯正展(刑務所で刑務作業についての広報や刑務所作業製品の展示・販売などを行うもの)を取材するものでした。
教誨師についての取材では、キリスト教、仏教、神道の教誨師の方の話を聞くことができました。
矯正展では刑務官がおひとりついてくれて、刑務所内を回ったり、受刑者の展示を見たり、来年から現在の「懲役刑」「禁固刑」から「拘禁刑」へと大きく制度が変わることなどについて説明を受けたりしました。特に出所後の就労に向けた支援のしくみについては、障がい福祉でやっているのとおんなじだと思いました。
こうした「下準備」もあって、今年の7月に仙台モスクにぶらっと立ち寄った時に、佐藤さんから「実はこんな絵が届くんです」と10枚の色紙を見せられました。これがある意味最初の絆氏との「出会い」です。
「絆」は後で面会に行ってわかったのですが、画号でした。色紙には「イスラーム」「心」「佐藤登(佐藤さんの日本名)」などの文字とともに、花や七福神や刺青の女性、武人などがていねいに描かれています。私の第一印象は、「アール・ブリュット」でした。
「展示をしてあげたくてね、いろいろ企画して来たんだけど、うまくいかなくて。。。」という佐藤さんの言葉を聞いて、私は反射的に「来年1月なら一番町のギャラリーがあいてるので、できると思いますよ」とこたえていました。
仙台七夕で知られる仙台の中心部アーケードのひとつに、私が代表を務めるアート団体の施設があり、ギャラリーでは毎月展示を行っているのですが、1月だけ空いていたので、ちょうどいいと思ったわけです。その団体は、性別や年齢、国籍、障がいの有無、アートの知識やスキルの有無などあらゆる違いをポジティブにとらえ、アートのもつ力で包み込む社会を作っていこうという団体なので、受刑者の表現というのはここに新たな領域を広げるものとしてうってつけじゃないかと思いました。のちにこれがかなり甘い考えだったことがわかるわけですが。
とりあえず絆氏に手紙を書き、佐藤さんから個展を開きたいとの希望を聞いたが、実現できると思うむねを伝え、こちらで考えた企画内容や開催に向けて必要な準備、スケジュールなどを書き送りました。これが8月7日のことです。
刑務所にどうやって手紙を書くかなどからわからなかったので、佐藤さんにどうやってやり取りしているのかなど聞いたり、そのほかネットで調べたり、以前雑誌で取材した刑務官にもいろいろ聞いたりしました。
そうした中でわかってきたのが、私は佐藤さんがイスラム教の教誨師として面会しているのだとばかり思っていたのですが、実際にはそれは教誨活動ではなく(イスラム教の教誨活動は東北では福島刑務所でのみ行っているそうです)、面会というかたちででした。
8月19日、仙台モスクの近くまで行ったのでまた佐藤さんを訪ねると、明日あたり、絆氏を訪ねて刑務所に行こうと思っているとのこと。途中で拾ってもらい、いっしょに面会できないかとりあえず行ってみることにしました。
(つづく)