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獄中の画家絆氏からの手紙①

無期懲役で45年に渡り刑務所で制作をつづける、刺青の彫師で獄中の画家、画号「絆」氏の個展開催に向けて準備を進めています。

個展について詳しくはこちら

絆氏に初めて手紙を送ったのが去年の8月のこと。その後、絆氏へ8通の手紙を書き、絆氏からは20通ほどの手紙が届きました。面会するのが難しい中、往復に最短でも1週間ほどかかるこの通信手段が、絆氏を知るほぼ唯一の方法です。

個展会場にもこれら手紙のやり取りの中から、公開できるものを見ていただけるようにするつもりです。
手紙から読み取れるあれこれは、この個展を読み解く上で非常に重要な手掛かりになると思います。
私がそこから読み取ったものと、別の方が読み取るものとは違うでしょうし、それによって絆氏を知り、ひいては自分や他の人を知ることになると思います。

今日から2回にわけ、絆氏の手紙から引用したいと思います。

私は10才の頃から、父親が刺青師でしたので、絵に関する下絵の修行を厳しく指導を受けて育ちました。ですので芸術に携わって約60年になります。まだまだ修行中の身だと思いながら日々自分の絵と向き合っております。
絵を描き、完成まぎわになっても、これでいいのかと自問自答することも度々です。
芸術とは、本当に奥が深くて難しいものです。
自分の技法やジャンルから一度離れてみて、新たな自分の絵の世界を模索してみてはと幾度となく考えました。
端的に申しますと、実際問題として、絵が売れなくてはなりません。
門脇様がこれまで携わってこられました絵柄で、売れ行きの良かった絵はどんな絵だったのか、私に教示して頂ければ、私も門脇様のお役に立ちたいと思っていますので、ご協力も出来ると思います。
(…)
我が身は獄中なれど、展覧会にこの身を賭、出展できることを「光」としました。

(2024年8月21日付)

被害者のご遺族につき説明しますと、父親は昭和58年にお亡くなりになり、母親は平成17年73歳でお亡くなりになっています。被害者にご兄弟はおられず、一人息子さんでした。私は毎年供養料として些少でありますが、お寺に送金しておりました。このままではお墓が撤去されてしまうと聞かされ、未払い分の墓地維持費等の24,000円と塔婆回向料等と、最終的には永代墓地管理料の150,000円を私がここで働いて溜まっていますお金の中から寺へ送金しました。私がお墓の維持代理人に成っております。
被害者のご遺族の方々もお亡くなりになりましたが、私の遺族も皆が病気で亡くなり、私には誰れも身寄りがおりません。逮捕されて49年になりましたが、一日として亡くなられた被害者のお顔を忘れたことはありません。毎朝に作業に行く前に、被害者の方の戒名札を持っていますので、両手を合わせてご冥福をお祈りしています。この時に一緒に私の亡くなった両親と兄の冥福も祈っています。
「私が犯した罪やそれについて今どう考えていらっしゃるか」について教えていただけないでしょうかとのことですので答えます。尊い人命を奪ってしまったことを今でも後悔しています。後悔は生涯消える事はありません。いかなる原因があろうとも復讐したのが最大の失敗でした。被害者とご遺族に今でも本当に心の底から申し訳なく思い、深く反省しています。

(2024年9月19日付)

私はコンパス等の品物は使わずフリーハンドで描きます。私の絵は全てフリーハンドで描いています。

(2024年10月10日付)

私の本音を伝えますと、私は別に絵が売れなくてもいいと思って最初からこの企画に臨んでいますので、理事長も肩の力を抜いて気楽に展示会を無事に実現できますことを念願に実施してくださる様に呉々もよろしくお願い致します。仮に絵が売れたとしても全額を障がい者の方々に差し上げて助けとなることが私の目的なので私の本当の心中をご理解くださいませ。
私は罪を犯し、刑の償いをしておりますが、人生の最後は弱い人々を助けて自分の人生を終わらせたい一心で現在まだ生きています。私の命は長くありませんので展示会を理事長(※)のお力によって実現できますよう切にお願い申し上げます。
私は心臓が悪く、薬とニトロを飲んでいます。心臓の発作が夜中にも起きますし、両肩の軟骨が4年前に擦り減り、当時は毎日40度近い(原因は両肩の炎症)熱が出、起きることも出来ず、オムツをして病棟に居たものです。現在も無理な動きをしたり、長時間絵を描いたりすると炎症が起き、寝たきりの状態になるのです。なので充分に気をつけて絵や手紙を書いています。体も老いておりますので、長くは生きれません。最後に社会と人との繋がりを持ち、障がい者の人々を助けてアートインクルージョン(※)のため、世の中の為に貢献して人生の幕を閉じたいと思っています。
私が何故長年に渡り絵を描き続けて来たのか、その理由は絵を描いていると、亡くなった父親の優しさに触れられ、父が教えてくれた技法と共に偲び励まされて来たからです。母のことも、兄達のことも、一日とて今も忘れたことはありません。
私の描いた絵を社会の人達に見て頂いて、45年刑務所にいても、決して人は精神も心も破壊されないことを知って頂きたい。社会にいても生きる上で辛いこと、苦しいこと、嫌なことが沢山あるはずです。そのことに負けることなく、希望を持って幸せをつかんで欲しいと願っています。

※「理事長」「アートインクルージョン」…当初、個展会場に予定していたのが私が代表理事を務める仙台市一番町の一般社団法人アート・インクルージョンのギャラリーでした。アート・インクルージョンは年齢や性別、国籍、障がいの有無、アートのスキルや知識、興味の有無などあらゆる違いをアートで超えていく団体として2010年から活動していますが、現在、一番町の施設は主に障がいのある表現者が通う福祉サービス事業所として活用されています。

(2024年10月29日付)

私の体は決して健康体ではなくて、最近は特に心臓の調子が芳しくありません。ニトロを飲むことが増えました。私も12月で71歳になります。人には生まれ持っての寿命がありますので、最近はもしもの時のために身辺の整理をしています。それで理事長に受け取って頂きたいものがございます。私は刑務所に45年いて、この間作業をして働いたお金が数百万溜まっていますが、このお金は日頃は使用出来ない事に決まっていて、出所時に与えられますが、その前に本人が死亡した時は緊急連絡人が受け取れることに決まっています。私がここで死んでも私の遺骨は理事長は引き取る必要もないし、葬式もあげなくて良いのです。私は無縁仏で充分です。この数百万のお金を誰も引き取らない時は国に没収されることになります。このお金を理事長に差し上げて理事長のお役に立てて頂きたいと思っていますので、理事長を緊急連絡人として登録しておきますので、宜しくご了解の程お願い致します。アートインクルージョンのために、そして障がい者のために、これからも命ある限り絵を描き進めて参りますので、私との交流を宜しくお願い申し上げます。障がい者の人々が生きる希望や活力となります様に私も障がい者の人々に貢献したい気持ちが強く有りますので、男女を問わず、年齢も問わず、文通でも面会でも行いたいと思っていますので、遠慮せずに私に連絡くださるのを待っております。

(2024年11月中旬)

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(つづく)

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