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獄中の刺青師・絆氏との往復書簡②

(つづき)

(絆氏から門脇へ、2024年10月29日)
拝啓
木々の葉も少しずつ色づき始め、秋の深まりを知らせております。
私は理事長に誤解を与えてしまったのかもしれません。自分の絵の売り上げを伸ばす為に販売方法をお考えくださいと申したのではありません。私の本音を伝えますと、私は別に絵が売れなくてもいいと思って最初からこの企画に臨んでいますので、理事長も肩の力を抜いて気楽に展示会を無事に実現できますことを念願に実施してくださる様に呉々もよろしくお願い致します。仮に絵が売れたとしても全額を障がい者の方々に差し上げて助けとなることが私の目的なので私の本当の心中をご理解くださいませ。私は罪を犯し、刑の償いをしておりますが、人生の最後は弱い人々を助けて自分の人生を終わらせたい一心で現在まだ生きています。私の命は長くありませんので展示会を理事長のお力によって実現できますよう切にお願い申し上げます。
私は心臓が悪く、薬とニトロを飲んでいます。心臓の発作が夜中にも起きますし、両肩の軟骨が4年前に擦り減り、当時は毎日40度近い(原因は両肩の炎症)熱が出、起きることも出来ず、オムツをして病棟に居たものです。現在も無理な動きをしたり、長時間絵を描いたりすると炎症が起き、寝たきりの状態になるのです。なので充分に気をつけて絵や手紙を書いています。体も老いておりますので、長くは生きれません。最後に社会と人との繋がりを持ち、障がい者の人々を助けてアートインクルージョンのため、世の中の為に貢献して人生の幕を閉じたいと思っています。
私が何故長年に渡り絵を描き続けて来たのか、その理由は絵を描いていると、亡くなった父親の優しさに触れられ、父が教えてくれた技法と共に偲び励まされて来たからです。母のことも、兄達のことも、一日とて今も忘れたことはありません。
私の描いた絵を社会の人達に見て頂いて、45年刑務所にいても、決して人は精神も心も破壊されないことを知って頂きたい。社会にいても生きる上で辛いこと、苦しいこと、嫌なことが沢山あるはずです。そのことに負けることなく、希望を持って幸せをつかんで欲しいと願っています。(…)
今回の大罪を犯したこと、被害者の尊い命を奪ってしまい、心の底から深く申し訳なく思っております。そして被害者にとってたった一人の奥さんにも計り知れない苦しみと悲しみを与えたこと、誠に謝って済まされるものではありません。本来であれば私は死刑であるべきだと思っています。こうして生きていられることは、本当に幸せだと思っております。
拘置所に三年いましたが、その時から今日まで被害者の戒名札に向かい、毎日朝と夕に両手を合わせ、ご冥福をお祈りして参りました。これからも私が死ぬ時迄ご冥福をお祈りしていきます。もう一人の被害者の方にも同時にお詫びし続けて来ております。傷が軽かったことが不幸中の幸いでした。この被害者の人にも怖い思いをさせたこと、今でも本当に申し訳なく思っております。この思いは、私が死ぬる時まで続きます。内妻に頼まれても、人様の命を奪うなどの悪行はやってはいけなかったと思って、深く深く反省しております。生涯私は罪を背負い、償って参ります。今回の展覧会にて成果が出れば、被害者のお寺に供養料を普段送っています供養料とは別に送り、被害者にご報告したいと思っております。私が覚醒剤を使用していた事も大きく反省しております。まともな生活をしていたら、こんな大罪を犯すこともありませんでした。一生深く深く後悔し続けて参ります。(…)
私は作家になりたいなと思い、沢山の小説を読み、実際に小説も書いた事もありました。教養は有りませんが、自然と身に付いたものです。日常にある画材だけで描くことに作品が仕上がるのに別に驚いてもいませんし、普通に感じています。彫師は絵画作品を制作してはおりません。今私が送っています絵は、私の独自のもので、一般市民の人達が好まれる感じに優しく感じる絵を描いています。刺青の下絵を描こうと思えばいつでも驚くほどのすごみの有る絵を描けます。見る人やお買い上げ下さる人に幸運があることを願い、縁起物を今描いています。(…)
私が獄中にありながらも人を感動させる絵を描けること、他の人達にも感動を与えられれば幸いです。罪を償いながらも表現活動を行なっている私がいて、それを知った人の心に感動と活力を与えられたら私も大変に嬉しいです。

(門脇から絆氏へ、2024年11月30日)
10月29日に書かれたお手紙、非常に感銘いたしました。
まず、絆さんが犯した罪について、正直に打ち明けていただけたこと、ありがとうございます。これにより、これまで霧の中にいたような気持ちでしたが、とてもはっきりと事態が見えて来ました。絆さんが犯した罪は、人の命を奪うというたいへんな罪であり、それから我々も目をそらすわけにはいきませんが、絆さんがそれをどう捉え、どう反省され、どう償おうとされているのかがわかりました。
また、絆さんの手紙にある、
「私の描いた絵を社会の人達に見て頂いて45年刑務所にいても決して人は精神も心も破壊されないことを知って頂きたい」
「私が獄中にありながらも人を感動させる絵を描けること、…罪を償いながらも表現活動を行なっている私がいてそれを知った人の心に感動と活力を与えられたら私も大変に嬉しいです」
という箇所には特に動かされました。
ひとは、どのような状況にあっても何かを表現することができる。それによって救われたり、救ったりする。それは時間や場所を超えたもので、ひとにとって大切な行為であり、大切な権利だということを、絆さんのこれまでを通して伝えたり、考えたりしていきたいと考えています。中でも、我々ができる重要な役割は何かと言えば、作品を通して絆さんと他の方とがコミュニケートするきっかけを作ること、刑務所の中と外とをつなぐ取り組みだと思います。(…)

非常に残念な内容をお伝えしなくてはなりません。1月にアート・インクルージョンで展覧会を開く予定で準備を進めていたのですが、組織内の意思を統一することができず、1月の開催は難しい状況です。
これまでアート・インクルージョンで行う展示については、ほぼ私が企画して開催して来ました。今回も同様に企画を進めていたのですが、今回の展示については他とは違う影響があるのではないかとの意見が出され、職員の意見を聞いたところ、もう少し時間をかけてこの展覧会を開く意義について自分たちで考え、その上で開催との意見が一致したら行う方向で進めてほしいとの意見が大半を占めました。
「これを受刑者や出所者のみなさんが置かれた状況について学ぶ機会にしたい。その上で展覧会を開くかどうか考えたい。早急に開くのではなく、もっと私たちが勉強する機会にすべきではないか。絆さんと知り合えたのは私たちがそうしたことを学ぶためではないだろうか」
「まず絆さんと交流し、もっとお互いに知った上で展覧会を開くかどうかを考えてもいいのではないか」
といった非常に建設的な意見がありました。
一方で、
「絆さんの作品は障害のあるスタッフには刺激が強く、展示してあると落ち着いて過ごせないのではないか」
「絆さんはご自身の犯した罪について反省され、つぐなっていると思うが、そのまわりにどんな人がいるかわからない。反社会的な人が展覧会に来た場合、どうやって障害のあるスタッフたちを守るのか」
といった不安も語られました。
これらを受け、まずは知り合いで出所者の支援活動をしている仙台の団体の代表がいるので、その方に相談し、出所や仮釈放された方が置かれた現状についてアート・インクルージョンの職員にいろいろと教えていただく場をセッティングしました。差別や偏見が多い中、それを払拭するためにどのように出所されたみなさんががんばっているかなどを広めている方で、そうした話していただいて、職員の理解を深めたいと考えています。
「1月に個展を開けますよ」と絆さんと約束し、絆さんに大きな期待を持たせてしまったこと、本当に申し訳ありせん。かわりと言ってはなんですが、私はアート・インクルージョンのほかに、「一般社団法人まちとアート研究所」という法人の代表理事もしており、仙台市青葉区片平という、中心部からそれほど遠くない場所にある10階建てのマンションに、8畳間ほどの部屋をかりて事務所にしています。そこを会場に開催するのであれば、法人のメンバーはほぼ私ひとりなので反対する人もなく、私の一存で行えます。アート・インクルージョンに比べれば半分くらいの広さで、一番町ほどの立地ではありませんが、広瀬川や青葉通りも近く、いい場所です。(…)
絆さんと交流するようになって、それまでは考えていなかったことをいろいろ考えるようになりました。何気ない日常の大切さ。自由に表現することができるありがたさ。しかしそれに気づかず、いかに無駄にしてしまっているか。そんな思いがわく瞬間が増えました。

(絆氏から門脇へ、2024年12月11日)
拝啓
はや一年の締めくくりの月を迎え、理事長はじめ皆様には諸事ご多用のことと存じます。
組織内の意思を統一することができず、1月の開催は難しい状況との事を知り、私は大きく落胆しています。(…)
障がいのあるスタッフの方々には、私の描いた背景の黒色の作品は確かに刺激が強過ぎて展示してあると落ち着いて過ごせないと思います。私の配慮がたりませんでした。展覧会用としてこれからめでたい絵「縁起もの」を明るいタッチで描いた絵を16作品程描き進めますので、背景の黒い作品を写真に撮って頂いて、その写真を私の作品の角に貼って展覧会を実現させてください。写真を見て購入したい人もいるかも知れませんので、その時は販売してください。
理事長のご心中を思いますと、私と職員の方々との間に挟まれ、ご心痛の思いを私は理解しております。展覧会を諦めず、この先も職員の方々の説得にお力を尽くしてくださること、心より深く感謝しております。私はヤクザでもなく、反社会的な人とも交流はしておりませんのでご安心下さい。仮に新聞、テレビ等で報道され、反社会的な人が展覧会場に来たところで何事も起きたりはしませんので、職員の方々にも危惧されないよう理事長からもお話し下さい。(案ずるより産むが易し)です。社団法人まちとアート研究所では反対される人もなく展覧会を実現できるようですが、私はやはりこれ迄どおりインクルージョンの職員の方々の理解を待って一番町で開催することを強く望んでいます。(…)
私は社会貢献がしたいのでインクルージョンでの開催を心待ちにしております。障がい者の人々の支えとなり、応援したい気持ちが私には強くありまして、アートで繋がりを持って交流をはかり、障がい者の手助けとなり、障がい者に絵を描く技術を教えたり、精神的にも助けてあげたいと思っています。私のような境遇にいてもめげないで前向きに絵を描き続けていることを障がい者の人々に知って頂いて励みにして欲しいのです。インクルージョンの職員の方々が理解して下さるために、職員の方々が私と文通して私が優しい男で危険な男ではないことを理解して頂く方法の1つでもあります。
私が理事長に送っています絵は私宛に刑務所に絶対に送ったりしないで下さい。刑務所は絵は受け取りませんし、私の手元に入りません。廃棄されるのです。
職員の方々と私との信頼関係を築きたいと思っています。この手紙などを職員の皆さんに見せて下さい。どうすれば信頼されるのか方法を知らせて下さい。職員の皆さんの前で私の考えや気持ちそして人間性をトークしたい気持ちでいます。職員の皆さんも私を偏見の目で見たり、差別をしたりしないようにお願いしたいのですが、犯罪を犯した受刑者なので、差別をしたり、偏見の目で見られるのも無理もないと思います。刑務所の受刑者と聞けば怖い、危険と連鎖的に思ってしまうのも無理もありませんが、根っからの悪ではありません。人一倍情にもろくて涙もろい私なのです。私の人間性をどうか職員の方々もご理解して頂きたいのです。障がい者の人々のことを思う時、可哀想で私は涙が出ます。私は子供も障がい者の人も大好きで、守ってあげたいといつも思っています。障がい者の人たちと交流できる日を指折り待っています。
理事長が「1月に個展を開けますよ」私に約束してくださっていたのに、今の時期になって急に開催は難しいとの知らせがあり、大きな期待を持っていた私なので、裏切られたものとして私が悪い男なら怒って何をするか解りませんよ。しかし私は悪い男じゃないので理事長を責めることはしません。約束します。
理事長と初めてお会いしたのに私は涙を流しました。覚えているでしょう。悪い男から初めて会った人の前で涙なんか流さないものです。真実な私の気持ちを解っていて下さい。
女性から「なぜ仏像の絵の背景は黒なのでしょう?黒くない絵も見てみたいです」との感想があり、刺青の場合、背景は必ず黒と決まっていますので、黒色を使い、仕上げたまでにございます。その内に黒でない仏像を描いて送ります。黒だとすごみが出、怖いイメージを与えます。絵に集中しすぎ、障がい者の人の感覚のことをないがしろにして本当に申し訳なく、深く反省しております。お許しください。これからは人の心を暖かく明るくする絵を描いてまいります。どうか私の絵を通じて刑務所の中と外を繋ぐ取り組みをこれからも呉々も宜しくお願い申し上げます。(…)
面会の時にも理事長は佐藤代表の前で展覧会を一月に開催しますと発言されました。なのに今の時期になって延期にされることは佐藤代表もこれでは話がおかしいと思われるのではないでしょうか。理事長という立場は一番のトップであり、威厳がある訳で、部下あるいは職員も理事長の方針に耳を傾け、方針に従うのが常識だと思うのですが、職員の人達を初めに説得してから私に一月に展覧会をやりましょうと話をされれば延期されることもなかったはずです。他の人なら理事長に対して激怒すると思いますが、私は決して怒ったりしていませんのでご安心ください。

(つづく)

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