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ChatGPTのことばから考える、安心を想起するトリガーとしての絵画

絵画をつくることのひとつに、安心を求めている自分がいるという洞察を、ChatGPT (以下GPT) との対話をつうじて得たことがありました。アートについて思考する際の壁打ち相手になってもらい、何度も問いや解釈を行ったり来たりさせていた日々。その過程で、「感情と記憶の反復」というフレーズが提示され、内省の材料となりました。

このフレーズが出てくる少しまえに、わたしは「何度も味わいたい気分を残すことも、自分が絵画をつくる目的のひとつになりうる」という趣旨のことを書き込んでいました。その文脈を発展させるなら、どんなテーマが掘り下げられるかと問うてみたのです。実際の返答は以下のものでした。

ChatGPT :
「感情と記憶の反復:『何度も味わいたい気分』としての反復性については、記憶や過去の感情がどのように現在の自分の中で再構築され、アートに影響を与えているかというテーマが考えられます。感情の反復は、完全に同じものを再現することはできないという一種の儚さが含まれていますが、それでもなお同じ体験を繰り返したいという欲求が何を意味するのかを掘り下げると興味深いです。」

「安心」の再生産をもとめて

それを読んで真っ先に思い浮かんだのは、「安心」というキーワードでした。同じ気分、とは厳密には言い難いものの、似た気分は人生がつづく限り繰り返し味わうことになるはずです。それにひとつひとつ共感したり否定したり、また善悪の判断に紐付けたりするよりもずっとまえに、ただ身ひとつで感じていたい気分が、わたしにとっては「安心」の感覚だったのです。

それはわたしの精神疾患の影響もあってのことでしょう。不安・緊張・怒りの三点をぐるぐるするばかりでは、情動に隔てられ、ひとや社会が持つもっと繊細なディテールを見失うおそれがあります。何かを知覚する以前に、安心という感覚がベースにあれば、もっと過ごしやすく、物事を観察するゆとりが生まれるのに、という歯痒い想いがあります。

心的なアンバランスを改善させる意味でも、わたしは安心を想起するトリガーをどこかで絵画に求めているのかもしれません。そのトリガーを増やすことは、安心の再生産のようでもあります。

GPTがいつものようにさらさらと、ことばを打ち続けて伝えてきた問いかけをとおして、ある種の洞察を見いだした思いがしました。

さいごに

このエントリーのさいごは、GPTが登場するより一年以上まえ、コロナ禍のただなかにあった2021年に描いたアートワークをお届けします。
心を解きほぐす理想郷を思い描いた本作。暖かそうな風は、現代に欠乏しがちな安心と結びついています。

ことばを通じて思考を深める壁打ち相手として、わたしにとっては日常使いとなったAI。しかしそれでも、絵画制作においては自らの感情と閃き、そして苦労を携えて、自分で手を動かしつくる喜びを味わいつづけたいという想いがあります。AI時代となった今、それをつよく考えずにはいられません。


utopia | Atsushigraph (2021) / digital art, giclee print


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