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『まるで機械仕掛けのようなナナフシ』~自然を大切に思う心~

 私は、自然の撮影が好きで、よく白金台の国立科学博物館附属自然教育園へと出かけるのだが、自然の撮影は文字通り一期一会、こちらがどんなに意気込んでいても、相手になる昆虫や鳥、花が現れてくれないとどうにもならない。例えばタマムシならエノキの木、あるいは、樹液の出ているコナラの木に集まる様々な昆虫、等々、ある程度の目星は付けられても、確実とは言えない。一回や二回、さらっと教育園を訪れたぐらいでは、なかなか珍しい生き物には出会えないのである。自然が好きで、何回も何回も習慣的に通い詰めることで、初めて様々なものが見えてくるようになる。
 冒頭の写真で紹介したナナフシ(ナナフシモドキ)は、まさにそんな一例である。撮影したのは7月23日だが、その日、たまたま、教育園の園路の右側を見ていたから見付けられた。左側を見ていたら簡単にあっけなく見落としていただろう。

 実はこのナナフシ、結構生息数は多いそうなのだが、枝そっくりに擬態しているためなかなか見付けられない。今回は、緑色の葉っぱの上にドンと乗っかていたのが幸いした。
 じっとして動かないので撮影は簡単そうにも見えるが、動き出すと速いので注意が必要だ。脚の回転は遅くとも、その長い脚でスッ、スッと移動し葉の下に隠れてしまった。いきなり動き出したので慌ててしまい、カメラを連写モードにする暇もなかった(電気を食うが、普段から連写モードにしておいた方がいいのかも)。

ナナフシは動き出すと結構速い。
この状態のナナフシを
見付けるのは至難の業。


 私は、教育園でもう一種ナナフシを撮影しているので紹介しておく。こちらはトビナナフシと思われるが、何のことはない、熱心に何かを撮影していた老人に近付いていったら「ここにいるよ」と教えてくれたのだ。

ニホントビナナフシ
(7月9日撮影)

 こちらのトビナナフシは緑色で、緑色の笹の上に乗っており、しかも最初に紹介したナナフシ(8センチ位)よりずっと小さく(4センチ位)、これを見付けた老人には正直言って脱帽だ。私も鍛錬して観察眼を磨きたいものである。
 このトビナナフシ、最初から最後までピクリとも動かなかったので、最初に紹介したナナフシのようなまるで機械仕掛けの、ロボットのような動きは楽しめなかったが、注目したいのはその表情である。正確には、その表情のない親爺のようなボヤっとした不気味な目(おっと失礼!)に実に味わいがある、と思いませんか?……よくよく考えたら、ナナフシは植物の枝葉に擬態しているのであって、ここに顔(頭部)があると分かってしまうような目力はかえって邪魔でしかないのであろう。事実、冒頭のナナフシモドキの頭部など全く目立たない。

 さて、ここまで記してきてつくづく思うのは、こういった珍しい昆虫との出会いは、大人以上にに子供が喜ぶ、子供の心に新鮮にささる体験となるに違いない、ということだ。妙な先入観がついてしまっていわゆる『虫嫌い』なんかになってしまう前に、子供はどんどん自然と触れ合うべきで、そんな体験を親は持たせてあげなくてはならない。
 生き物との触れ合いという点ではペットも大切な人間のパートナーだが、ペットは愛玩動物としてあくまで広義の家畜であって、自然の、野生の生き物とは違う。子供の頃から自然に触れあい、新たな発見に無心に喜び慣れ親しむ、そして同時にその危険、リスクを知ることは、自然を大切に思う心へと繋がっていくのではないか。
 人間の肉体は否応なく、たとえ大都会で暮らしていたとしても自然の一部であるが(台風などの自然災害が都会を避けてくれる訳ではない)、その精神、人間の精神の方はどうであろうか?生の体験が基となって、自然の一部としての自覚をしっかりと心に宿しているだろうか?自然という『地』に足の付いた心でありたいものだ


 昆虫の世界を見ていると、人間の社会が見えてくる。まさに、昆虫すごいぜ……おっと、これは某人気テレビ番組のパクリだ……「昆虫アッパレ!」とでも言っておこうか。
【以上、『随想自然』第11話】

(インスタグラムhttps://www.instagram.com/angelwingsessay2015/で、主に東京都心で見れる自然の写真を紹介しています。)


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