不老不死と長寿社会
この記事【若返りクラゲ研究 不死の夢、脳のデジタル移植も】は、話題が『不老不死』なだけに、妖しい余韻を漂わせながら、最後まで一気に読ませてくれます。『不老不死』という話題には人を引き付けて離さないものがありますが、同時に、夢物語あるいは未だ実現していないテクノロジーに特有の素朴な疑問も浮かんできます。
例えば、記事にある「脳のデータを丸ごとデジタル空間に移植することができれば、人間の意識はデジタル空間で生き続け永遠の命が実現する」という『脳のデジタル化』は、一見もっともらしく筋が通っていますが、実はいくつもの落とし穴がありそうです――
【1】意識は本当に脳に宿っているのか? 『脳のデジタル化』という考え方は、無意識のうちに『人間の意識は脳に宿っている』事を前提にしていますが、本当に人間の意識、自我、自意識、心といったものは、脳にだけ宿っているのでしょうか?「胸の内」という表現がありますが、人間の思考というものは、脳だけでなく、胸を含めた体全体で機能しているのかも知れない。つまり、『脳のデータ』を移植するだけで、人間の意識を丸ごとデジタル空間に移せるのか、違っていたら後の祭りです。【2】脳のデータを移植しても不老不死を獲得したことにはならない? 百歩譲って『脳のデータ』=『人間の意識』だとしても、当然のことながら、『脳のデジタル化』は不老不死をもたらしません。何故なら、『脳のデータを移植する』=『脳のデータをコピーしてデジタル空間に転送する』だからです。脳という有機体に宿っている特殊な形式のデータを、そのまま切り取ってデジタル空間に持っていく事が出来ないとするなら、まずは、『脳のデータ』をスキャンして『デジタル空間のデータ』に変換しなくてはなりません。つまり、デジタル空間に自分のコピーが出来るだけで、自分自身は依然としてもとの肉体に縛り付けられている訳です。 デジタル空間にコピーされた存在は、デジタル空間に息づいた瞬間から、もとの人間とは別の人格として存在し、もとの人間とは違う人生(?)を辿ります。『脳のデジタル化』を望む人は、それでも構わないのでしょうか?そもそも、デジタル空間に人格を形成することは、スーパーインテリジェンスと同じくらいリスクのある冒険に思えます。【3】人間の意識は脳という有機体に特化したアルゴリズムで動く? 『脳のデータ』をコピーできたとしても、それを移植するデジタル空間に脳の代わりになる受け皿が必要です。脳にあった時と同じように『脳のデータ』を動かさなくては意味がありません。断片的なデータの集合が記録されているだけでは、生きているとは言えないのです。つまり、『脳のデータ』は、正確には『人間の意識』とイコールではありません。『脳のデータ』が何らかの形で相互作用して初めて『人間の意識』と言えます。脳のニューラルネットワークと同等のものをデジタル空間に構築しなくては、うまく機能しないかも知れません。【4】肉体のない意識だけの存在はもはや人間ではない? 仮に数々の難関を突破して、単なるコピーではない、精神そのものの移動としての『脳のデジタル化』のテクノロジーが確立したとしても、最後の決定的な問題が控えています――『肉体のない意識だけの存在』は、もはや人間とは言えないのではないか――。『肉体のない意識だけの存在』が人間と同じ価値観、喜怒哀楽を共有できるとは到底考えられないからです。例えば人間性の最良の果実の一つである『愛情』――『肉体のない意識だけの存在』に『愛情』という概念は必要でしょうか――。『愛情』というものが『はかなさ』と密接に関連しているとするなら、不老不死を獲得して『はかなさ』から超越したデジタル化した存在にとって、『愛情』は急速に希薄化していく概念なのかも知れません。 『脳のデジタル化』は、人間が人為的に起こす究極の突然変異と考えられます。その先にどんな進化が待ち受けているのか予断を許しません。もとをただせば『脳のデジタル化』であった存在も、どんどん進化して、人間とは全く別の価値観を持った生命体(?)に変化するのではないか……その時、自分がかつて人間という動物であったことを覚えていることが出来るでしょうか…… (さらに言うと、『肉体のない意識だけの存在』になった時、正気を保っていられるか、という疑問もある。)
――『脳のデジタル化』の概念には、あいまいさが付きまといます。不老不死という、本来はありえない、自然の摂理に反した事を実現しようとすると、いろいろと矛盾が起きてくるようです。
まるでSF小説の設定を考えるような考察になってしまいましたが、この記事の中で一番現実的な可能性がありそうな部分は――
久保田さんは1992年から白浜町にある京大の実験所で海洋生物の研究を続けてきた。……18年3月に京大を定年退職したが、研究所を立ち上げてライフワークとしてクラゲ研究に打ち込む。「クラゲも人間も遺伝子構造はあまり変わらない。遺伝子分析などが進めば、人類の夢である不老不死のメカニズムのヒントが見つかるかもしれない」その遺伝子分析を担うのがかずさDNA研究所(千葉県木更津市)主任研究員の長谷川嘉則さん(47)。16年に発表した研究結果ではベニクラゲの遺伝子の約4分の1が未知の物と判明した。長谷川さんは「若返りの秘密が隠されたオリジナル遺伝子が存在する可能性がある」と話す。
――100%の『不老不死』は無理でも、若返り、寿命延長の可能性は残ります。ただし、それさえも問題なしとは言い切れません。寿命が大幅に伸びて、一つの世代と次の世代の間隔が拡がると、進化のスピードも遅くなって、突然の自然環境の変化などに対応できなくなるかも知れません……
それはさておき、やはり喫緊の問題は、テクノロジーの進歩がもたらす人間の長寿化に対応した、社会組織や制度の変革という事になりそうです。日本は、夢のような不老不死より前に、長寿社会という課題に世界で真っ先に直面しています。記事の締め括りにもあるように、「課題は一人ひとりに突きつけられている」のです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33397560V20C18A7I00000/