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子供が物乞いを前にしたとき
マニラで子育てと子供の放課後について考えている谷です。
マニラは、一部の地域はものすごく発展しているとはいえ、多くのスラム街があり、貧しい暮らしをしている人々が大勢います。
僕が住んでいる地域は、横浜で言えば「みなとみらい」のようなところ。
外国人が多く住み、治安もよく、きれいです。
ここに住んでいると、マニラやフィリピンの実態を誤って理解しそう。
いや、子供は既に勘違いしているんじゃないか。
そんな風に思っている中、子供たちが初めて物乞いに会いました。
マーケットにて
日曜日のマーケット。
歩き疲れて道端でタクシーを待っていた時のこと。
痩せた女性が小さな子供を抱いて近づいてきました。
裸足、汚れた服、そして何より、悲しそうな瞳。
うちの子供たち(4歳と7歳)はぎょっとして凍り付きました。
女性は僕らの前に座り込み、その悲しそうな瞳でじっと僕らを見つめ続けました。
親として、大人として
こんなとき、僕はどう対応していいか、いつも迷います。
お金を渡したことはありません。
でも、信念をもってお金を渡さないわけではないのです。
いつも迷っています。
お金をあげた方がいいのかな?
でも、あげたら他の人も来ちゃうんじゃないか。
もっと要求されるんじゃないか。
そんなことを考え、結局渡さないのです。
そんな大人の迷いは、子供にも伝搬するのでしょうか。
子供たちもどうしていいかわからず、ぎゅっと僕に抱き着いて、その女性を眺めていました。
どんな子供になってほしいか
もし、僕が迷わずその女性にお金を渡せば、子供は道徳心から、人に施しを与える人間になるのでしょうか。
もし、僕が信念をもってお金を渡さないという態度をとれば、子供は困った人に直接お金を渡すのではなく、別の解決方法を探る人間になるのでしょうか。
そして、今の僕のように、どちらにしようか迷っている姿を見たら、子供も困っている人を前にして、やはり迷うのでしょうか。
子供にはどうなってほしいのか。
これまでは僕だけの問題だったのが、今は子供がどういう人間になってほしいのか、その問題にもなっているように思いました。
子供とはいろんな話をします。
自分が迷っていることも含め、正直に話し、マニラの実態や貧困、困っている人のこと等、一緒に考えていければと思っています。
フィリピン人に聞いてみました
<2月11日追記>
このことをフィリピン人の知り合いに話してみました。
あなたならどうする?と。
答えは即答。
絶対にお金は渡さない。
理由は、騙されるかもしれないから。
お金を渡している隙に、別の人から物を取られるかもしれないから。
彼女は決して裕福ではありません。
住んでいるところもマニラから離れた村です。
もちろん、彼女の意見が一般的かはわかりません。
でも、少なくとも彼女は彼女の意見をしっかりと持っているようでした。
そこに住む人と意見を交わすこと、大切だなと思いました。
息子に聞いてみました
息子に意見を聞いてみました。
「えー、わかんないよ」
と、残念な回答。
でも、それも正直な意見なのかもしれません。
だって、僕自身がわかっていないのですから。
でも、話している間に、
「やっぱりお金はあげない方がいいと思う。
だって、学校へ行って勉強して、頑張って働くっていう気がなくなっちゃうでしょ?」
なるほど、息子らしい。
でも...
学校へ行きたくても、行けない環境だったのかもしれない。
頑張って勉強したけど、仕事に就けなかったのかもしれない。
仕事をしていたけど、うまくいかなかったのかもしれない。
そういう想像も欲しかったけど、僕からは、
「なんで仕事をしていないのかな」
と聞くに留めておきました。
きっと、僕の狭い想像なんかでは、まだまだフィリピンの実態はつかめないと思ってしまったので。