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【物書き部企画】ゆき先生はどうしてゆき先生になったのか 4期生 ゆき先生さん(着付け講師・着物スタイリスト)
こんにちは。物書き部が第三章となって最初のインタビューは4期生ゆき先生です!
言わずと知れたBIG BOSS、関西弁で校長にもガンガンいくよ、文化祭のリーダー!着付け教室を主宰、また着物スタイリストとして世界中を駆け回るパワフル元気なゆき先生、世界は近所!!
・・・でも同期で一緒の時間を過ごす中で違う一面も見えるようになりました。
『ゆき先生はどうしてゆき先生になったのか』
それ語るのは三日三晩かかるで~と言われましたが、まさしく!?でした。どこまで掘れたか、まずはこちら!!!
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●なぜゆき先生を?●
インタビューでは目が飛び出るようなエピソードの連続に、どこまで書いていいのか聞いたところ、『私フリー素材やからなんでもええよ』との了承をいただきましたので遠慮なくいかせていただきます!
今回インタビューをしようと思ったのは、ゆき先生と野球の試合を見に行った時。とても細やかな心遣いをしてもらい『もしかして、私ゆき先生に大切にされてるかも?』と思ってしまったことがきっかけです
(そのくらい自然で温かい気配りをしてくださったのです)
そういえば別の機会に、ある児童の方の辛い出来事に思いをはせて涙ぐんでいたことを思い出しました。花嫁花婿さんと3人で手をつないで歩くあたたかな動画をみて、感動したこともありました。
繊細で優しいブルドーザーゆき先生は、どうやって今のゆき先生になったのでしょうか!?
●こども時代●
体の弱かったごきょうだいにお母さんがかかりきりだったため、ゆき先生はおばあちゃんに育てられました。とてもとても大切にされたそうで、一緒に寝るのも、一番最初に成績を見せるのも、おばあちゃんだったそうです。
そんな大好きなおばあちゃんが、小学校卒業直前の冬に亡くなり『どうしていいか分らんかった』というのが、このインタビューで唯一の心細そうな言葉でした。
そして・・・ほとんど学校へ行かずに『悪いことばっっっかり!!』していた中高時代がやってきます!中学校は3年間のうち1週間しか行かなかったとのこと(どうやって卒業するの?)
40歳まで吸っていたタバコは中学から一貫してセブンスター。悪いことしては停学、の繰り返し。
ある時、駅前で学校からの停学に関する書類を見ながら、制服姿でタバコを吸っていたら階段の上から名前を呼ばれました。見上げるとおまわりさん(書類の名前を上から見て呼ばれたよう)!!
やば!と思いダッシュで逃げましたが『その子つかまえて~~~~!』というおまわりさんの叫びに応えた一般人に取り押さえられて御用になったことも・・・。
無期停学の中で迎えた高校の卒業式は、別室で卒業式のモニターを見ながら参加という形だったそうです。時代を先取りしたオンライン卒業式、さすがですね。この中高時代、一言でいうと『楽しかった』そうです。
●アメリカ時代●
15歳の夏休みにゆき先生はアメリカに渡ります。あまりの暴れっぷりに、お父さんの知り合いのいるフロリダへ行くことになったのです。
衣食住は保障されていたものの、あとは『身を売ってでもなんとかしてこい』とお父さんからアメリカへの片道切符と日本円で5,000円の現金だけを渡されての渡航で、帰りは自分の力でなんとかしなければいけませんでした。
1年半のアメリカ時代のエピソードは強烈なものばかりで、正直紹介しきれませんがひとつだけ。
16歳になったゆき先生は車の免許を取り、居候先の方の車を借りて、単身でフロリダからニューヨークへ1日かけて向かいました。
『ニューヨーク行ってみたかったから車で1人で行ったけど、景色もずっと変わらへんし、ナビもない頃やし、帰り車で帰るの嫌やったから、ボロ車はニューヨークで売り払って(!!!)そのお金で飛行機で帰ったわ。』
・・・勝手にですよ。1日で帰れる距離がイヤで?
お世話になってる方の車を勝手に売ってお金に換えて飛行機に乗る16歳・・!?
ちなみに持ち主に殺されるほど殴られて、その後その方が手に入れていたピカピカの新しい車は、おそらくゆき先生のお父さんがお詫びに購入したもの?でゆき先生『殴られ損やん』と思ったそうです。
●やりすぎた●
帰国、高校卒業していざ短大に進もうという時、お父さんからあるものを見せられました。
それはこれまでゆき先生が働いた『悪事』の後始末にかかったお金の事細かな記録でした。そしてなかなかの総額と同じ額の貯金が、他のきょうだいのために用意されていたのです。
『お前にはこれだけのお金がかかっている。他のきょうだいには同じだけのことをしてやらないと不公平だ。この通帳のお金は全部きょうだいのものだ』、
記録で可視化された自分のやってきたこと、自分が暴れたおかげで何もしなくてもこの大金をきょうだいが手に入れるということを目の当たりにして、ついに浮かんだ気持ち。
『やりすぎた?』
そこからは真面目に短大で勉強、無事卒業。
20~30歳は免許をたくさん取ろう!と勉強しては資格を取りました。
30~40歳は4か国語話せるようになろう!と頑張って、韓国語を話せるようになりました。
そしてロッテ観光に採用され、4年間日本と行き来しながら韓国でお仕事。
お琴をしていたゆき先生は着物の着方を知っていたので、韓国で日本のゆかたを着せてあげたりしていました。
仕事を辞め日本に戻ってからは、それがきっかけで着物の世界に入り、仕事に邁進する『ゆき先生』が誕生したのです!(仕事以外はポンコツといわれるほどに・・)
●ゆき先生とは●
やっと、『ゆき先生』になりました。
これまでのインタビューの中で、破天荒でパワフル、かつ接する相手に『大切にされてるかも』と思わせてしまう懐と温かさはどこから来るのか?を考えながらお話を聞いていました。どこかに大きな転機があるのじゃないかと。
しかしたくさんお聞きして、破天荒はお父さんから、包み込む温かさはおばあちゃんからもらった、奇跡のバランスをもち続けているのではないかと感じました。
『周りの人は自分のうつし鏡』。たとえばスタッフの仕事ぶりにイラッとしても、それは自分がしていることなのかもしれないと思うのだそうです。ゆき先生のZOOMに映りこむワンちゃん猫ちゃんは保護犬、保護猫です。リラックスしきってゆき先生にくっつく猫ちゃんをみているとどれだけ愛情を注がれているか分かります。
どんなことも決して人のせいにはしない、
愛は注ぐもの。
それがゆき先生だと思いました。
これからやりたいことは、着物をたくさん持って着付けをして回りたい、日本文化を知ってもらい、ゆくゆくは『たむ小サンバを世界中の人に踊ってほしい、そのために世界を回る!』だそうです。
前しか進まないゆき先生の行き先が本当に楽しみです!!
「インタビューを受けた人」
【4期生】ゆき先生さん
「インタビューをした人」
【4期生】わさびさん