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人間のデータ

どこにいっても重宝される人というのはいる。経験豊かなベテラン、頭の回る新人、元気のある若者、寛容な老人、色んな種類はあると思うが、そういう人たちが一定数の割合でいる。

ところで、ぼくはカメラをよく使う。だから、データを記録するSDカードを何枚か所有することになる。実際に使っているものもあれば、スペアとしてとっておくものがある。それらのカードを管理していて感じたが、自分にとって貴重なデータが詰まっていればそのSDカードは貴重な価値を持つ。逆に、あまり貴重なデータが記録されていなければ、そのSDカードの重要性は低く感じる。ほかにも重みという点では、データの入っていないカードは貴重だ。容量の余白が大きい。これからデータを書き込んでいける。つまり、この場合も自分にとって価値が高い。

本も同様。読み終わって素晴らしい内容が書いてあったな、と思った本は本棚に置いていても何度か手に取りたくなる。逆に、もういいかなと思った本は捨てようかと考える時がある。また、買ったばかりの本にも期待の視線を向ける。大抵、概要は把握していることが多いが、中身はまだ知らない。これから自分で読んで埋めていく。

そう考えると、若者の価値というのはこの余白にある。企業が研修生にお金を払うのも、この余白に期待しているからだろう。もちろん、若者の中でスペックの差はあるだろうが。それに対して、歳を重ねると、その人の価値の判断基準はその人の中に何が詰まっているかにシフトしていく。余白が少しづつ少なっていくのはきっとみんな同じであろう。

貴重なデータが詰まっていれば、経験豊かなベテラン、まだデータの書き込まれいないカードは、これから成長が期待される若者。
書き込まれてるデータの重みは人によって違う。それに、その時々で空のカードがほしいのか、記録されたデータを引き出したいのか、その人が欲するものは変わってくる。一概にどのカードがよいかなんて分からないが、そう考えると、色々な場所で求められるデータが変わってくる。自分にとって価値の低いものも、違う人が見れば貴重なデータに見えるかもしれない。目の前にいるひとのことはそんなに簡単に分かるものではないのかもしれない。

あとは、基本的に、容量がもともと大きい人がいる。僕が2GBだとしたら、もともと320GBあるひとなど?
ちなみに、SDカードの容量って最大でいくらになるのだろうか。

ただ、基本的には自分にとって貴重なデータを書き込んでいければそれでいい、ような気はする。

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