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UNVの10ヶ月を各月で振り返り(前半)

みなさん。こんにちは。
任期の10ヶ月を終えまして、2024年の5月に日本に帰ってきました。
今回の記事では、UNVとして働いた10ヶ月を、できるだけ詳細に振り返ります。
質問等はXのDMでいただけると、スムーズだと思います!

8月

8月1日から勤務開始とするために、7月30日に日本を出発し、現地には7月31日に到着しました。

初めてのアフリカ系航空会社の飛行機に搭乗

初めての国連機関、初めてのアフリカ行きの飛行機(エチオピア航空の成田発アディスアベバ行き)、初めての仕事としての開発援助、、、
憧れていた仕事に近づける気がしていて、とてもワクワクしながら飛行機に乗ったのを覚えています。

飛行機の中では、修士論文を書きつつ、次の仕事への妄想を膨らませながら、移動時間18時間を経て、任地の空港に到着!

暑い!灼熱!とにかく暑い!
暑い国であることは知っていたので、「あぁ、ようやくこの国に来ることができた」と暑さも喜びの一部に。全身に鳥肌が立っていくのを感じました。

ビザで少しトラブルがあったものの、無事に入国。
配属先のドライバーが迎えにきてくれ、そのままホテルに直行。
ちなみに、配属先のドライバーは、フランス語と現地語を話し、英語は話すことができなかったので、ここからフランス語の洗礼を受けることになります。

ホテルから見た市街地の様子

勤務初日の朝は、同僚がホテルまで迎えにきてくれたので、同僚に乗せてもらって、配属先の機関が入っているビルへ。
国内で一番新しくて、一番高いビルということもあり、とにかく綺麗。
こんなところ、日本でも働いたことない!
(日本では地方工場と、地方の研究所勤務)
思っていた所とちょっと違うけど、セキュリティ万全のビルで一安心。

初日は、勤務先のスタッフに挨拶し、ムスリム圏の名前で、聞いたことない、かつ似たような名前が多すぎて困惑しながらも、メールの設定やシステム登録などをして無事に終了。
2日目には、パソコンが貸与されるという、国連カントリーオフィス名物の「パソコンと席がない問題」は発生せず、スムーズに仕事に合流する準備をしてもらえました。

また、勤務を開始した8月は、とにかく暑い時期かつ学校がお休みの時期だったこともあり、暑すぎてプロジェクトを回すことできず、多くのスタッフや政府関係機関の職員がお休み。オフィス全体として繁忙期ではなかったため、ゆったりとしたスタートを切ることができました。

国内のインターネット事情がよくなく、夜の時間帯はネットがつながりづらかったため、早朝に起きて論文を書き、昼間は出勤して仕事をし、夜は早めに寝るという強制的に健康的な生活を送れていたこともあり、勤務開始後から体調を壊すこともなく仕事ができていた点はよかったです。

また、自分で宿泊先を決める必要がありましたが、大学院時代の同級生に勤務国で協力隊をやっていた経験がある方がいて、その方に紹介してもらった日本人の方に住居探しを手伝っていただき(現地事情に詳しく、フランス語が話せる!)、どうにか住まい(協力隊の方々も住んでいるアパート)を見つけることができ、プライベートも着々と落ち着かせることができました。

仕事の面では、勤務していた調達チームでは、2人のナショナルスタッフが働いていて、彼らで足元の仕事は回っているものの、プラスアルファの活動ができていない状態でした。
そこで、スーパーバイザーと直近の業務は、今まで実施されてきた調達業務の分析と効率化施策の考案とし、勤務先の調達ルールを覚えつつも、調達案件の分析を行い、スーパーバイザーや同僚と相談しながら、改善策を作っていき8月を終えました。

また8月下旬は、同僚2人ともバカンスを取ってしまったため、配属間もないフランス語も喋れない日本人が1人取り残される状態となりました。
この状態のおかげで勝手に仕事が降ってくる状況となり、組織内のスタッフともコミュニケーションを取らざるを得ない状況が多く訪れたので、業務としてはボロボロだったかもしれませんが、色々なことを知ることができたという点では、良いハプニングだったと思っています。

9月

勤務を開始して1ヶ月くらいしてわかってきた事は、調達スタッフの2人の業務分担に明確なラインはなく、調達の依頼が来たら、宛先になっている人が仕事をやる。(多くがチームリーダー宛で、もう一人のスタッフがCCに入っている)
もし、両名が宛先になっている場合は、調達チームのリーダーが基本的には引き受け、もし忙しい場合は、もう一人に仕事をアサインしている。
つまり、
① 誰も調達の全体を把握できていない(宛先に入っていなければ、どんな依頼が来ているのかわからない)
② チームリーダーがほとんどの仕事を回している、かつ本人は自分でやりたいタイプ
③ 僕が宛先に入らない限り、案件は回ってこない

僕のメイン業務を調達の分析としたものの、あまりにも動いているプロジェクトの動向がわからないため、ミーティングに入ったとしてもちんぷんかんぷん。(フランス語がわからないということも大きな要因ではありましたが、、、)

過去案件の分析はやっているものの、それをどのように今後の活動に活かすかの議論に進むことができずモヤモヤ。
また、過去の分析も一旦は終わりが見えてきて、やることがなくなってきた、、、

ということで、「足元の調達案件の分析も行いたいから、とりあえず全部のメールに僕をCCに入れて欲しい、そして、できそうな業務があったら少しずつやっていきたい」と同僚に伝え、とりあえず足元の業務の把握はできるようになり、少しずつ業務をアサインしてくれるようになった。
そして、足元の業務を進捗表にして共有することにより、①の全体業務の把握もできるようになった。

しかし、チームリーダーとしては自分の仕事の領域意識が強かったため、なかなか業務に入り込ませてもらうことは難しく、どうやって仕事を見つけて取り組んでいくのか悩んだ時期でもありました。

10月

10月頭はアフリカで働くUNV Youth向けの1週間のワークショップがナイロビで実施され、日本人のJSB派遣のUNVも参加させてもらえることに!

初めての海外出張!嬉しい!
ケニアのビザ申請はスムーズにできたのですが、勤務国のビザがなかなか降りず、渡航の2日前にマネージャーのパワープレーでなんとか取得。
ビザ問題大変すぎる。

ワークショップでは、アフリカ各国で働いているUNVで、ナショナル、インターナショナル問わずに参加したため、さまざまなUNVのあり方を知ることができて、とても有意義な時間でした。
何よりも、日本人UNVに会う事ができた点は、個人的にはとてもありがたく、その後もキャリア相談に定期的に乗ってもらったり、とても良い繋がりができました。

ワークショップに帰ってきてからは、今までの調達案件の分析結果を、どのように今後の調達案件に活かしていくのか改善施策を考案し、同僚やスーパーバイザーと相談しながら、実際に実施する改善施策を作成しました。
作成した改善施策を全スタッフに対して、ミーティングの場を設けて共有しました。このミーティングをきっかけに、スタッフから話しかけられる頻度も上がり、信頼関係を構築し始めるきっかけになったので、とても良い機会でした。

ナイロビのUNコンパウンド

10月は、フランス語のコースをスタートさせた月でもありました。
ポストの要件書には、英語が必須で、フランス語ができれば尚可と書かれていたのですが、実際に勤務をしてみると、ミーティングも、取引先との会話も、同僚との雑談もほとんどがフランス語。
オフィスとしてもフランス語を頑張って欲しいと言われたので、Institut Francaisが提供しているA2レベルのグループレッスンを受講していました。
残念ながらUNVは、対面の語学レッスンに対する費用補助を行っていないので、全額自費で受講していました。

10月にあった個人的ビッグイベントの一つが、大使館主催のパーティでした。
大使公邸にご招待いただき、約100人ほどが集まるパーティに参加したのですが、日本人はほとんどおらず、仕事でも政府関係の高官と交流する機会が少ないので、知っている人が全くおらず、話す人がいない!
事務所の代表と副代表も来ていましたが、そこにずっとくっついているわけにもいかず、端っこの方で静かに時が経つのを待つ3時間。苦い外交パーティデビューになりました。。。

11月

業務を開始してから4ヶ月目。
そろそろ一通りの業務内容は理解してきたけれども、果たして自分が貢献できる領域はどこなのだろうと悩み始めた時期でした。

調達業務では、取引先とのコミュニケーションも大切な要素の一つなのですが、現地のことをよく知っていて、現地語とフランス語を話せる、ナショナルスタッフの同僚と比べると、日常業務を上手くこなすことができていないように感じ、インターナショナルスタッフとして、どのようにオフィスに貢献していけばいいのか苦しみました。

また、調達業務は今まで経験としてはあるものの、修士号をとった貧困削減の領域とは直接関与しているわけではなかったため、今後のキャリアについても悩みを抱えていました。

そこで、UNVが提供しているコーチングを受けることにしました。
コーチングセッションでは、「そんな大変な環境で働いていることが偉い」という、???なコメントもありましたが、キャリアに関しては今まで考えたこともなかったようなコメントもいただけたので、日常業務に関しては悩みは消えませんでしたが、キャリア構築については新しい光が見えたような気がしました。

11月は暑さも和らいできて、スーパーバイザーに連れられて、国内の観光名所に小旅行に連れて行ってもらいました。
普段、なかなかしっかり話す機会がなかったのですが、業務の話も、業務以外の話も、ゆっくりと話すことができ、知らなかった話も多く聞くことができたので、楽しい時間でした。
一方で、普段からきちんとコミュニケーション取らないとダメだよなぁと痛感した時間でもありました。

12月

12月は調達部門にとっては、繁忙期となります。
多くの国連機関はファイナンシャルイヤーを1月から12月としているため、その年に納入が完了している物品やサービスについては、支払いを完了させる必要があるかつ、年間予算で実施しているプロジェクトについては、翌年への予算繰越ができなくなるので、予算の使い切りが始まります。(年度末に道路工事をする日本の公共事業と同じ構図)。

私は、支払い処理の責任者にアサインしてもらえたので、今まで実施してきた全案件の納入状況と支払い状況を確認して、納入を急いでもらったり、翌年度に繰り越せるものは、翌年の予算に付け替えを行なって、増えた今年度の予算を別用途に使ってもらったりと、ひたすらシステムと睨めっこしながら、スタッフとミーティングを繰り返す日々でした。

12月中旬で、システム処理ができなくなるので、12月中旬までに全案件を怒涛の勢いでクローズさせ、最後はファイナンス部門が支払い処理を行なっていくため、業務の引き継ぎを行なって、私の任務はひと段落しました。

そして、12月はスーパーバイザーと調達部門の同僚の1人が退職する月でもありました。
国連に入ってから初めてのスーパーバイザーと同僚とのお別れ。
国連はそもそも長期間働くスタッフは少ないので、出会いと別れは多いのですが、やはり別れは悲しいものです。
また世界のどこかで会おうね。という言葉を交わし、世界をフィールドに働くんだなという思いと、一つ一つの出会いを大切にしていきたいという思いを抱えました。

エチオピア料理屋さんでフェアウェルランチ

12月中旬で任務がひと段落したので、12月20日からフィリピン旅行と、日本に一時帰国をしました。
フィリピンへの旅行では、大学院時代のフィリピン人のクラスメートと再会して、一緒にご飯(ポーク)を食べながら、キャリアについてお話をしたり、代表を務めているNPO団体が支援する児童養護施設でクリスマスを一緒に祈ったり、ムスリムの国から一転、キリスト色満開のフィリピンで楽しい時間を過ごしました。

そして、日本に帰国し、年末年始の美味しいご飯と、友人との時間を思う存分楽しみました。

次回

次回は、後半戦の1月から5月の5ヶ月間を振り返ります!

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