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日記には答えが書いてある。

長いようで短いようでやっぱり長かったシリコンバレー留学も、もうすぐ終わろうとしている。

この半年間で何が学べたのだろうか。日記を読み返していた。

僕には「恩送りが循環する世界を創る」というビジョンがあり、その解がシリコンバレーのエコシステムや、Pay It Forward(恩送り)の文化だと信じてこの土地に来た。

右も左もわからない状態で片言の英語でひたすらミートアップに参加して、恥をかきながらも笑ってごまかしたり、必死になって「家に泊めてください」と様々なコミュニティを荒らしたことも今では懐かしく感じる。

そして一度はホームレスになったが、そこから見えた世界や助けてくれた人たちへの感謝は忘れない。

あの空腹のときに食べたご飯のありがたみや、家がある喜びを改めて感じられるのはすべてを失った者だけの特権だとプラスに思っている。

そして「人は一人では生きていけない」という事を痛いほど理解できた半年間だった。

そんなことを考えていると、ふと思い出したことがある。

それは一昨年の夏に圧倒的な成長を求めてロサンゼルスに行った後のこと。

初めてのアメリカで価値観が大きく変わり、アメリカ被れした僕は「日本の社会はここがダメなんだ」とか、「日本人はこういうところがダメだ」などの批判を言っていた。

そしてロジックや合理でしか物事を考えられなかった僕は、この留学の出国3日前まで保守的な母と口論を続けていた。

時には「一人で育ってきたと思っているやろ」という母に対して、「そうや!」と言って泣かせてしまったこともあった。

しかし一人で生きてこれたなんて絶対にありえないし、これからもそうだ。孫正義でもスティーブジョブズであっても一人では生きていけない。

もしかしたらホームレスも含めてこの経験は自分自身が一番学ぶべきことだったのかもしれない。

また今回の留学は以前と違って日本の良さをたくさん学ぶことができた。

こんなに安全で人が優しくて住みやすい国は他にないと思う。

シリコンバレーとは別で、サンフランシスコにも新たなエコシステムが存在しているのだが、そこの経済は人為的に急速成長させた結果、地価の上昇に市民がついていけず、ホームレスの数が増える結果となっている。

僕がまだホームレスだった頃、サンフランシスコでシェルターを探していて、あるホームレスに助けられたことがある。

彼は僕のためにブルーシートと毛布を貸してくれ、朝まで様々な話をしてくれた。

その話は急激な経済成長をする社会には淘汰されるものがいるというものだった。

テクノロジーの発展は人を幸せにする手段のはずなのに、不幸になる人が増えている。現代のSNSも同じことが言えるかもしれない。

そういえば以前に見た、元ウルグアイ大統領のホセムヒカのスピーチの中で「貧乏な人とは少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」という言葉があった。

アフリカに留学に行っている僕の友人は、現地の人は今ある情報の中で十分に幸せに暮らしていると言っていた。

もしかしたら実はすでにほとんどの人は幸せな状態だけど、存在しない何かに劣等感を感じて不幸になっているのかもしれない。

そうなると、声高々に日本を批判していた以前の僕は様々な人に不幸を与えていたのだと思う。今更ながら反省している。

結局すべての人が求めている理想は、幸せを感じられる平和な世界だ。その他のものはすべて手段に過ぎないと思う。なのでYes Andのコミュニケーションのようにプラスのことを口にするとか、恩送りというのはあながち間違っていないのだろう。

この留学では本当にたくさんの出会いと経験ができ、これからはその経験からいい世界を作っていく側として取り組んでいく。

パナソニック創業者の松下幸之助さんは「死を恐れるよりも、死の準備がないことを恐れたほうがいい」という言葉をくれた。

これは人生は有限であり、その限られた時間の中で後悔が残らないように全力で取り組めということだ。

僕が人生を捧げて全力で取り組めることは、全ての人が幸せを感じられる平和な世界を創ることであり、たくさんの人からもらった恩を次に送ることだ。なので、この半年間で鍛えられたタフさでこれからも頑張っていこうと思う。


ただ殴り書きで自分の考えを書いたので、読んでいただいた人それぞれの解釈や意見があると思う。

もし、どこかの一文でも共感を持てるものがあれば、恩送りが循環する世界を創るために自分自身が幸せだと思い、身の回りの人にその幸せを分けてあげて欲しい。

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Sean Kuraoka
貴重な時間を使って読んでいただけるだけで嬉しいです!!ありがとうございます!