今だから笑えるホームレスだった話
2019年から改めて良いスタートができるように2018年を振り返っていた。ここまでがむしゃらに突っ走ってきたが、思えば山あり谷ありの年だった。
Sean Kuraokaという一人の大学生はたくさんの人の支えがあって今がある。今年は僕が与える番だ!受け取った恩を次に送る。そんな意味も含めて僕のアメリカでの体験を紹介する。
この話が誰かの人生にヒントを与えることが出来ればいいと思って書くので、少し長くなるが是非一度読んで欲しい。
今だから笑えるホームレスだった話
日本で恩送りが循環する社会を創る!
ただそれだけを思って昨年の8月末、所持金3万円を握りしめて世界一地価が高い地域シリコンバレーに飛び込んできた。
これまで周りの人に支えられてたくさん学びながら生きてくることが出来たが、実は昨年の10月末あたりからこの地でホームレスを経験することになった。
興味本意でなったわけではない。ただ家がなかった。お風呂に入れなかった。そしてそれがアメリカ社会だった。
話はさかのぼって、2018年10月26日の朝
当時の僕は家も何のリソースもなく、様々な人に連絡をして「数日間家に泊めてほしい」とお願いをして回っていた。
そして友達の紹介で、とあるタイのお寺にお世話になることになった。
僕はもともと約束をしていた滞在期間からさらに延長をお願いして住んでいたが、明日からまた新しい人が泊まりに来ると聞き、これ以上迷惑をかけられないと思いそのお寺を出ることにした。
その当時、この留学は自分で選んだ道にも関わらず人に頼ってばかりで迷惑をかけていたので「自分が選んだ道で人に迷惑をかけるのは違う!自立しないといけない!」と強く思うようになっていた。
それが僕のホームレス生活の始まりだった。
金曜日という事でいつものように学校に行き、その後は夜まで近くのスターバックスにこもった。その時点で数日間は野宿を覚悟していたので、24時間営業のファミレスがあるサニーベールに移動した。
深夜12時にファミレスに入り、晩御飯としてサンドイッチを1つ注文。
そのお店の近くにはナイトクラブがあり、朝まで騒がしかったが気がつけば僕は座りながら眠っていた。
すると「満席で待っている人がいるから寝ないで欲しい!」と店員さんが僕を起こしに来た。頑張って目を開いていたが睡魔は限界をむかえ、横になるために午前4時にその店を出ることにした。
店を出たのはいいが行く宛てがない…
しばらく近くをさまよっていると、スーパーの前に絶好の広場を見つけた。
自分のカバンを枕代わりにしてここで寝ることにしたが、治安が悪いアメリカの路上で安眠ができるわけもなく、目はつむっているが聴覚に全神経を集中させて人の気配を気にしていた。
朝晩はすごく冷えるカリフォルニア
午前6時に近くのスターバックスが開いたので凍えながら非難して、昼からは近くの図書館で仮眠を取り、夜になるとまた同じことを繰り返した。
そんな感じの生活が続いたホームレス生活3日目の夜。いつものようにサニーベールに向かうと駅前にいた男性が話しかけてきた。
男性「お兄ちゃん、ライター持ってる?」
僕「ごめん、持ってない」
男性「まじかよ」
僕「すぐそこにクラブがあるから誰かに借りたら?」
男性「もう行ったよ!全員おれを無視しやがった」
僕「なんで?」
男性「俺がホームレスだからだよ!!」
まだ比較的若そうで見た目も普通だったが、自分はホームレスだというその男性。年齢は同い年の22歳で、17歳の頃からホームレスをしているらしい。
当時、僕は初心者ホームレスだったので、その男性に生活面で気になることを質問攻めした。
どこで寝泊まりをしているのかと尋ねると、彼は自分が今話している相手がまさか日本人ではないだろうという調子で、ジャパニーズスタイルのホテルがあるからついて来いと言って歩き出した。
そして連れてこられたのは駅の真横にある大きめのロッカー場。
キャリーケースが5,6個入るほどの大きなロッカーを指さし「これが日本式のホテルだ!今は3人だが、昔は19人ここに住んでいた!」と紹介した。
日本のイメージってもしかしてカプセルホテル?と思っていると彼は22番のロッカーをホテルオーナーのように自信満々に開けて、「今日からここの部屋を使っていいぞ!」と言った。
さすがにここに住むのは厳しいなと思い、話を逸らしてシャワーは浴びれるのか聞いてみた。
僕「シャワー浴びれる?」
男性「もちろん!屋外だけどプールサイドのシャワーが使える!」
僕「それってどこ?住所わかる?」
男性「ただ南に歩くだけだ。今他の奴らが戻ってくるのを待っているから、もう少し待ってろ」
(え、これからもっとホームレスが集まってくるのか)
実は一緒にいるうちに感じていたが、彼はおそらくお風呂に入っておらず体臭がものすごくきつかった。
そして彼はホームレス仲間と思われる人物に電話をし始めた。何を言っているのかはわからなかったが、暴言を吐きながらヒートアップしてそのままどこかに消えていった。
このままずっと一緒にいても仕方ないし、たくさん集まってくることをリスクに感じてその場を離れることにした。
時間はすでに深夜1時、明日からまた学校に行かなくてはいけないのでバスに乗り学校がある北に向かうことにした。
途中、バスの乗り換えでパロアルトで降り、次のバスまで時間があったので少し歩いてシャワーが浴びれそうなところを探した。
そしてホテルを見つけては、フロントの人にシャワーだけ浴びさせてほしいとお願いをしたが「あっちいけ」とあしらうように全て断られた。
僕はアジア人なので若く見える。17歳?と言われることもあるぐらいだが、若いホームレスと言えど誰も構いはしない。
それが実力主義社会のアメリカで、街中にホームレスがたくさんいる理由だ。
さらにその時、他に気になることがあった。
話す人皆がさっきのホームレスと同じような匂いがほのかにする。
これってもしかしてアメリカ人特有の体臭か?と思ったがそうではなかった。
そう、その匂いは自分自身から発生していた。
お風呂に入らず3日目の夜を迎えた僕は屋外ではわからなかったが、少し悪臭を放っていたのだ。
心配になり体を軽く擦ると、見たこともない量の垢がでてくる。
そんな時に真っ先に頭の中に浮かんだのは、
「こんな状態で誰にも会いたくない」という感情だった。
この時、ホームレスになった人達がどんどん社会から遠ざかっていく気持ちがわかった気がした。
たぶんあの状況で知り合いに会っていたら僕は逃げていたと思う。
体力的にも精神的にも追い込まれていたが、パロアルトから再びバスに乗り北を目指した。
夜中のアメリカのバスはここもホームレスで満席だ。(深夜のバスはホームレスの寝所とされている)
本来は危険なので夜にバスに乗ってはいけないと言われているが、当時の僕はそんなことが気にならない程すでに抜け殻だった。
しかしそこでも今の現状を回避することは諦めていなかった。
なぜなら、僕がホームレスであっても誰に何も与えられないし、何も生み出すことはできない。
その状態はただしんどくて無意味でしかなかったからだ。
1時間ほどあった車中の時間で、何とかして明日の学校までにシャワーを浴びる方法がないか考えていた。
すると学校の近くに24時間営業のジムを見つけた。サイトを検索すると、なんと無料で3日間お試し体験ができると書いてある。そしてジムには確実にシャワーがある。コレだ!と思いすぐに登録をしてそのジムを目指した。
そこに着いたのは午前4時半のこと。受付の男性に尋ねると8時まで待ってと言われ、5時から開く近くのスターバックスで時間を待つことにした。
そして8時に戻ると、今度は受付の女性が市民しか無料利用はできないと言ってきたが、必死の交渉で今日だけシャワーを浴びていいようになった。
さらにこれだけでは終わらなかった。
じつはここの会員は、月額50ドルでどこの支店でも24時間使い放題だった。つまり1日あたり約1.8ドル払うとサンフランシスコからサニーベールの間に30店舗ほどあるシャワー施設(ジム)が24時間使い放題なのだ。
これを手に入れると、いつでもどこでもお風呂に入ることが出来る。
僕にとって魅力以外の何物でもなかった!ということでその場で契約を即決した!
その後に浴びたシャワーの感覚は今でも覚えている。
体の汚れは心の汚れでもある。この3日間ほとんどまともに寝ていなかったが、それよりも社会から突き放された疎外感が本当に辛かった。
それが全て洗い流されて心が落ち着いたあの感覚は言葉では表すことが出来ない。
その後も図書館やスーパーのイートイン、深夜バスなどに泊まる日々が続いたが、24時間どこでもお風呂を手に入れたお陰でそこまで苦ではなかった。
そしてたくさんの人の支えによって今では何とか再び生活を立て直すことが出来た。
僕は超が付くほど楽観的で行動でしか自分を表現できない性格だったので、所持金3万円だけを持ってシリコンバレーに飛び込んできた。
そしてその結果ホームレスになった。
「絶対にいつかうまくいく」という根拠のない自信で苦しい時も耐えてこれたが、あまりにも危険で無謀だったと思う。
社会では「なんでも挑戦することが大切だ!とりあえずやってみろ!」という言葉が飛び交っているが、大きな挑戦をいきなりしなくていい。
できるかできないかのちょっとした挑戦を繰り返していけばそれでいい。
毎日ひとつづつ小さな成功を作ることで自信がつき、積み重ねることで大きな結果に繋がると思う。
SNSやメディアというのは成功者や人生のイケてる瞬間しか映し出されていない。
その影響で大きく踏み出せない自分に劣等感を感じる必要はないし、自分に自信をもって自分のペースでひとつづつ成功体験を作っていくことが大切だ。
このnoteが少しでも多くの人の人生にプラスになれば、意味のなかった僕のホームレス生活は報われるので、ぜひ今日から自分に自信をもって全力で人生を楽しんで欲しいと思う。