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「周囲との違い」を見つけてしまうとき

人はどんな欠乏でも経験すると、それに心を奪われる。心は自動的に、否応なく、満たされていないニーズのほうに向かってしまう。

いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学という本に、この言葉が書かれていた。


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月に1回のオンラインカウンセリングを10月から受けている。4回目となると緊張も少なくなって、本音で話せるようになってくる。


毎回カウンセラーさんからいただいた気づきや捉え方は、生活にとても活かされていて、自分の中での複雑な部分がすっきりしていく感覚。

過去の経験が大きいほど、それがエネルギーにもなるし苦しさの原因にもなる。冒頭で挙げたように、何かで欠乏を経験すると、そのニーズを埋めようとしてしまうようだ。この感覚はすごくわかる。


僕にとっての欠乏は「少数派」であること、「孤独感」のようなもの。

「違うのは当たり前だとわかっているけど、どこか同じであって欲しいという想いがある気がする」

月に一回のカウンセリングにて、カウンセラーさんに伝えていたことば。

「違い」というものに対して敏感な自分がいて、「あー違うんだな」と日々気づいてしまう。それをなんとも思わずにスルーすることができない自分もいるので複雑だ。


そんなとき、カウンセラーさんは違いを感じることは特別な感情ではないですよと言う。そんなこと思っちゃいけない、と思わなくて良いですよと言ってくれる。

たしかに、「違うな」という感情を抱いたとき、それを周囲に共有することはこれまで少なかった。自分のなかでどう対処するかという選択肢しか持っていなかった。

周りにこういう感情を共有していないから、自分だけだ、という認識が強まっていくんだなと。
話してみると、きっとみんな思うことで、特別な感情ではないことがわかっていく。

違いを感じることは自然なことだ、という安心を感じる。


そう理解すると今度は「周りに共有していかないと、でも頼るのが苦手で出来ない...!!」となってしまうのが、また自分の複雑で面白いところだけど、少しずつ身体に馴染ませるように進んで行けたらなと思う。急ごうとすると、理想と今とのギャップが大きくなっていくから。

「周囲との違い」を見つけてしまうとき、それを受け入れながら、対処するための選択肢をいろいろ持っていたいなと思う。


(cotreeのサービスに興味を持った方は、こちらから。)

「#わたしのcotree習慣」

今回は、定期的にカウンセリングを受けて、その感想noteを書く企画「#わたしのcotree習慣」に掲載していただく記事です。そのほかのnoteも見ることができるのでぜひ。



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Atsushi
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