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2023年の振り返り「没頭と人間的成熟」「自然資本と環境問題」「マイノリティと人権問題」

雪で覆われた乗鞍高原で過ごす年末。2023年の振り返りもしつつ、今後の人生で達成したい社会課題についても書いてみようと思う。けっこう長いしまじめなnoteです。

2023年の振り返り ~生活と遊びを深める~

今の自身の生活がよいものかどうか判断するときに、自分が重要な指標にしているのは、「没頭」と「人間的成熟」という2つの側面。これら2つが達成されていれば、自分は生活に満足して心身豊かに毎日を過ごせる。

「没頭」という観点から2023年を見ると、非常に遊びを深められた一年だった。夏はカメラと登山に熱中したし、地質と地理に強い関心を持つようになり、山陰海岸ジオパークトレイル200kmも歩けた。あとはガーデニングもやってみたり、料理もちょっと幅を広げたり、note執筆も良いペースで更新できた。関心を絞ってひとつに取り組むよりも、関心を広げまくって分散的にやるほうが楽しいので、「その瞬間の最大の関心ごとに取り組む、飽きたら違うことをする」という軸で遊ぶのが自分にあっている。

来年は農業とかに手を出したいと思っているがどうなるのか。あと子供のころやってたルービックキューブをもっかい極めたいとか、いろいろある。将棋もやりたいけど時間ないっす。でもすべて達成しなくていいんだよね。

長野県・乗鞍高原の善五郎の滝。大きな氷瀑。

「人間的成熟」という観点から2023年を見ると、体調が安定しなかったり不安感が高い時期もあったが、人間的成熟という観点からみると、それらは必要であって、自分へのケアや周りとの関わり方を日々学び、「間違いながらも前に進む」ということができた。

5年前よりも3年前よりも1年前よりも、いま前に進んでいると思えている。とにかく周りに「頼る」ことができない、という長年の課題はばりばりに残っているが、これも長い目で見てケアしていきたい。あと周りの仲間との関わり方も、日々話すたびに「今の言葉は違ったなー」「自分目線すぎるなー」「無意識の偏りが出ちゃったなー」とか反省点多し。まあこれも「間違いながらも前に進む」というマインドで。

ここまでは自分に対しての目標と達成したいことを書いたが、以下からは、社会に対して達成したい課題、関心を2つ書いてみる。


環境問題の解決、自然資本を活かした取り組みを広げる

自然で遊ぶことの楽しみ、癒し、豊かさを知ってから、すばらしい地球全体の自然が失われてはいけない、失いたくないという思いがじわじわと出てきた。

地質の本を見て、目の前にある山々は1億年前に隆起したものだとわかったとき、規模の大きさ、人間の生との時間軸の違いに圧倒された。一方で、たった数十年の間に、日々の生活の脅威になるレベルまで環境問題が迫っていることに恐怖を覚える。

たった数十年で失われたものが、さらに100年経てばどうなるのだろう。1000年経てばどうなる。

問題の深刻さにどうしようもなさを覚えても仕方ないが、長い時間をかけて取り組みたいという心持ちになった。来年から環境問題や自然資本を活かす事業を行う仕事に関わる予定であるので、脱炭素や森林管理の問題などにアクションを起こせるのはうれしい。

とりあえず楽しんで環境に対する課題にぶつかっていきたい。長期的な目線を忘れずに。

渓流を辿ると見られる景色。

社会的マイノリティの問題を解決する

もうひとつ関心の強いテーマとして、ジェンダーや障がいなどが例で挙げられる、社会的マイノリティの問題がある。こっちは正直、関わりかたも課題を前に進める手段もよくわからない。

自分は10代のころからずっとマイノリティな感覚を強く持って生きていた。どうしても周囲とつながりを感じられないし、自分のなかに存在する、表現できないような生きづらさが悩みだった。(現在それらの悩みはかなり解消された。)

その表現できなかった生きづらさは、社会的マイノリティや差別、無意識のバイアスの問題として、多くの人が直面しているテーマであると知った。いま考えると当然なのだが、それらは自分だけの課題ではなかった。

このテーマの解決において、一番可能性を感じ、自分が影響を受けているのは、「マジョリティの特権性」という側面からマイノリティ問題を見るアプローチ。

以下のnoteや書籍に書かれている、「特権に無自覚なマジョリティ」に対して、マイノリティから生まれる課題にどのように関心を持ってもらい、どうアクションしてもらうか、ということがアプローチの根幹。

https://shop.gyosei.jp/products/detail/9320

差別について語らない社会というのは、(たくさん存在する)差別がないことになっている社会であるとし、行動にさえ移さなければ、差別にならない」という考えは誤ったものであることが述べられている。

これは非常に鋭い視点で、もっと積極的に差別について話して、無自覚なものを自覚していかなければならない。

現状は平等ではない。自分の生活のなかで不自由なくできることを思い浮かべたあとに、それが困難となるのはどんな人だろう?と思い浮かべてみたらいい。

例えば、自分は飲食店に入ってメニューを注文して食べてお金を払うまで、全く困難がなく行える。

でも、車椅子なら?ろう者なら?アレルギー保持者なら?母国じゃなかったら?コミュニケーションが難しかったら?まだまだ自分が想像できないような困難があるはず。

他にも、はじめましての人と話すとき、マイノリティな特性に触れる可能性のあるテーマを聞かれたらどうしようと緊張が走る。家族、恋愛、仕事など、マイノリティ性があると、すっと話に入っていけない。否定されるのが怖いと思う。自分が想像できないような困難が必ずある。

現状はまったく平等ではない。

それぞれ個人のなかに、マジョリティの特権を有している側面と、マイノリティの悩みを持つ側面がある。これは自分も含めて全ての人が差別に加担しているし、程度は違えど全ての人が差別を受けているといえる。

大きな変革を起こすアクションとしての取り組みはわからないが、最近自分が大事にしている、かつ効果を感じているのは、「あなたの味方である」とか「自分も既存の当たり前に違和感を持っている」と積極的に表明すること。

ジェンダーや障がいなど、マイノリティ問題や差別に関わることを発信することは、センシティブなテーマであり、どう意見すればいいかわからない。声に出すからには、知識や配慮が完璧でなければならないと思ってしまい、自分のなかに閉じてしまいがちだ。自分もこれらのテーマにずっと関心があるのに、それをどう表現したらいいかわからなかった。

差別を語らないことは今ある差別を助長しているのと同じである、という考えのもと、今ある知識と考えをどんどん出していく。自分はアライであり、マイノリティ問題を前に進めたいと思っていると堂々と言うこと。これが大事だと最近わかってきた。

自分から発信することで、相手も実は関心を持っていることに気づける。そして共有できる、議論できる。これはすごく価値のあるアクションだと思う。

この社会的マイノリティの問題については、死ぬまで関心が消えないテーマであると思う。声を上げることを恐れず積極的に、というマインドでこれからも取り組みたい。


自分に対する振り返りと達成したい社会課題の2つ、自然環境とマイノリティについて書いてみた。3000文字、自分の今ある思考と関心を埋め込めたのでよかった。少々まじめすぎるのが自分らしい。

来年も遊びつつ休みつつ頑張りつつ、ゆるりとやっていこうー。



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Atsushi
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