フロー体験と娯楽について
「フロー体験」とは、自分のレベルに適した挑戦(簡単すぎず難しすぎず)であり、それを行うことによるフィードバック(何らかの報酬)もある状態で行うことにより、集中が研ぎ澄まされ、時間を忘れて行為に没頭するような体験を言う。またその後、より自分が成熟したと感じられて喜びに変わる。(スポーツなどでは「ゾーン」という表現も部分的にある)
たとえば自分の場合、趣味の登山がフロー体験にあたる。
まず目標とする山を決めて、計画を立てて山頂までの歩みを進める。登っている間、難易度が高いルートや、身体的にしんどいシーンがたびたび訪れるが、常に進んでいる、素晴らしい景色が現れるというフィードバックがある。
登山をしている間に、日常の悩みを思い出したり、ネガティブな気持ちになることはほとんどない。完全に登山に没頭しており、登頂するというゴールだけを考えている。そして、その目標が達成されたときだけでなく、はじめから終わりまで、流れるような楽しさがある。フローとは、その流れるような喜びが由来である。
数年前に、フロー体験 喜びの現象学という書籍に出会って、これまでの生活における、言葉にできない楽しさや喜びはこれだったのか、と感銘を受けた。時間を忘れて、ただ目の前の行為に没頭するあの感覚に言葉と理論があったのかという気持ちになった。身体とフロー、仕事とフローなどの項目があり、何度読んでも興味深い内容になっている。
それ以来、自分の意思決定の軸として、フロー体験であるかどうかが大きく関わるようになった。
登山のほかに、将棋も好きな娯楽の一つなのだが、これもフロー体験の条件に完全に一致する。自分の今のレベルで勝てるか勝てないかの相手と対局する。一手一手に思考を巡らせて、相手の玉を詰ますこと以外は何も考えていない。そして勝ち負けに関係なく、その没頭している時間こそが楽しい。また実力がつくと、相手のレベルを上げて、より複雑で深い体験になる。
条件が揃えば、どんな物事でもフローに近しい体験ができる。料理であったり、読書であったり、ランニングであったり、芸術であったり。人と話すことも非常に楽しいフローとなる。
能動的な活動が当てはまりやすいが、音楽鑑賞なども、精通している人ほど、繊細な音の違いや、音楽の歴史などをそれに感じて、没頭できる行為となるだろう。
ただ、そんな簡単に没頭できるわけではないし、多くのエネルギーも必要とする。それでもあの時の楽しさが忘れられなくて続けてる、という趣味や娯楽がある人は多いのではないだろうか。うまくいかないしんどいときに、このフロー体験という概念は後押ししてくれる。
まあ日常で、フロー体験などと怪しい言葉を出しても、ぽかんとされるだけなので隠しておいて、これからも自分のなかでフローを楽しんでいこうと思う。
この書籍とフロー体験という概念が少しでも広まれば嬉しい。
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