冤罪について思う
最近、冤罪をあつかう小説を読んだり、ドラマを見たりすることが多い。
小説「代償 /伊岡瞬」「検事の使命/柚月裕子」「テミスの求刑/大門剛明」
ドラマ「WOWOWドラマ 推定有罪」「イノセンス 冤罪弁護士」など。
冤罪(えんざい)とは、「無実であるのに犯罪者として扱われてしまうこと」を指す言葉、つまり「濡れ衣」である。
定義では、無実者が刑事訴訟で有罪判決を受けることを指す立場もあれば、単に無実者が罪に問われることを指す立場もあり、法学辞典においても定義には揺らぎがみられる。(ウィキペディアから)
小説やドラマから冤罪を生む大きな要因として、「自白偏重」の風潮が挙げられる。警察や検事は、被疑者が自白してくれれば、安易に捜査を進め、客観的な証拠を集めるのを怠ってしまう恐れがある。裁判官も自白があると安心して、犯人は被告人で間違いないといった過信が生まれてしまうこともある。
「疑わしきは罰せず」という言葉があり、疑わしいだけでは有罪にはできないという刑事裁判の大原則があるが、冤罪を産んでしまう背景には「早く犯人を捕まえてほしい」という国民感情があり、捜査機関には「威信にかけても犯人を捕まえなければならない」というムードが生まれてしまう。
そして取り調べにおける虚偽の自白の問題があります。取調官から、何度も「お前がやったんだ」と迫られると精神状態が不安定になり、本当にそんな気がしてくるということがある。
一番印象に残ったドラマは「推定有罪」であった。
冤罪によって12年間投獄された男、その家族、殺害された少女の遺族、冤罪を晴らした弁護士、筆禍を起こした記者、冤罪の判決を下した裁判官、そして冤罪事件の裏に潜んだ政治権力と隠蔽。冤罪事件を見事に描いた社会派人間ドラマで何度も泣いた。
執拗な取り調べのシーンは凄まじいものがあった。あれではやってなくてもやったと言ってしまうなあと思ってしまった。
受刑者は弁護士の尽力により新たなDNA鑑定で冤罪の立証ができた。これも科学の力によるものだ。
冤罪を産んでしまった刑事、それを報道した記者の後悔や謝罪する姿勢がとても心を打たれた。
死刑判決の受刑者の家族の生きづらさ、被害者の家族の苦しみなど、冤罪による影響がどれほど大きいものなのかを強く感じさせる作品であった。
もし、自分の家族の誰かが、殺人事件の犯人と疑われて逮捕され、ニュースやSNSで世の中に知られてしまったら、自分はこれまで通り仕事を続けられないであろう、住む場所も変えなければならないだろう、被害者への補償金など経済的にも破綻するのであろう。
無実なのに自白の強要や捜査ミスで有罪者になり、無実の人間及び家族が全て壊れていくのは、まさに理不尽極まりない。
ドラマ「イノセンス 冤罪弁護士」「らせんの迷宮ー遺伝子捜査」では、自白、証言、証拠だけでなく、科学的な検証やDNA捜査など客観的なアプローチにより冤罪であることを証明していく。
殺人事件だけでなく、あらゆる犯罪の冤罪をなくすために、国・捜査機関・司法機関・報道機関など徹底的に方策を考えていってほしい。
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