4.高校バスケで私が得たもの🏀💜(前編)
こんにちは☺️
少し間が空いてしまいました。。。
今回は「高校バスケの振り返り」ということで、綴らせていただきます。
思っていた以上に長編になってしまいました😂
(予想はついていたけど、やっぱり色々ありすぎた。笑)
前編後編に分けて更新します。
長々とすみませんが、良かったらお付き合いください🙇♀️
episode1「洗礼」
偶然、東京成徳と出会い3月末に入寮、4月に入学をした2011年。
親元を離れての生活、今までとは違う次元でのバスケットの日々が始まりました。
まず、驚いたのは皆さんデカイ!!!
当時173cmだった私ですが、おそらくチームで6番目だったのを覚えています。
自分より10cmも大きい先輩がいてブロックされるのは当たり前。これまでと同じプレーは何一つ通用しませんでした。
あ、もちろんポジションはコンバートされました。
小中インサイドしかやったことがなかった私ですが、2番・3番に昇格。その時点でプチパニックな毎日でしたが、人生で初めて「大きい」というだけの特別扱いがなくなり、嬉しかったのを覚えています。
当時のHCの先生は「ファンダメンタルの鬼」との呼び名があるほど、基礎基本に忠実。足のつき方、手指の使い方から細かく指導をします。私は、その「ルール」の細かさに必死で、バスケットボールをする上で欠かせない「判断」にまで思考が回らなかった故、「成徳のバスケットは難しい」と表現したことを覚えています。そして何よりも、先生、成徳のバスケットといえばディフェンス。小中とディフェンスをせずに身長だけで誤魔化してきた私にとって最大の難関でした。
オフェンスにおいてディフェンスを観ること、判断することは成徳のバスケットを表現する上では欠かせないこと。いや、成徳に限らずどんなスポーツでも必要な力ですね。その判断一つでドリブルが必要か否か、どのようにどこにパスをするか、どんなシュートを打つか、等、プレーのセレクトが変わってきます。
ディフェンスは判断というよりもまずは足がなければついていくこともできませんが、当時の私は足がなく、全くと言っていいほどディフェンスができませんでした。
1on1から始まり2on2、3on3、、、と大会から逆算して増えていくような練習の組み立てでしたが、どれもディフェンスができないとハマる(負け続ける)ので、私は毎日ハマり続ける懲りない奴でした。学習能力もなかったようで、「成徳始まって以来の馬鹿」と呼ばれておりました。。。
1年生の秋田インターハイは正直記憶がありません。。。残っているのは、横断幕を忘れて怒られた記憶のみ。どこに負けたかすら思い出せないのです、、、。
ウィンターでは、札幌山の手に負けてベスト8。2回戦目までは出してもらえた記憶があります。
新チームになり、出場機会が多少増え、何とか成徳バスケットにも喰らい付いていけるようになってきたところで、チームは東京3位。
関東新人には出場できず。何ならこれもまた新人戦の記憶がございません。
そんなこんなであっという間に下級生が入ってきてしまったのでした。。。
episode2「挑戦」
2年生になり、春季の関東大会。なぜかここから記憶があります。2年生になり、少し成長したのかほんの少し先生のバスケットにフィットしてきた記憶があります。そして、この頃から私の得意とするプレーに変化が生まれました。
中学時代はスコアラーとして生きていた私でしたが、高校生になり、自分の得意なプレーですら得点につなげる事ができないと燻った私が、ようやく自分の道を見つけました。それが、「リバウンド」でした。発端は、得点意欲。ずっと自分が点を取ることで楽しいと思っていたバスケットで、点を取れない。じゃあどうしたら、自分のリズムを作ることができるか。どうしたら点に絡むことができるか。と考えた時に見つけた道がリバウンドだったのです。
私は本当に単純なので、思考としては『だって、リバウンド取れて、ディフェンスとズレができたらそのままシュートに繋げられるかもしれないでしょ?それに、相手から1番簡単にシュートファウルを誘えるのってリバウンドシュートで、誰にも邪魔されず点を取れる「フリースロー」までもらえるじゃん!!』っていうスーパー単純思考。が、これが私の生きる道を切り開くことになりました。
途中、捻挫(多分折れてた笑)を挟みつつ、石川インターハイ。
2回戦で星城に負けたけど、あの試合は今でも鮮明に覚えています。前半は出場なし。後半始まってすぐに交代で出た私は、何となんと大活躍!(自分で言うな。笑)その頃から、ゾーンアタックは好きだったのかな。普段、2・3番ってなるとゴールに向かって正対した状態でのプレーになるけど、相手がゾーンを敷いてくれたおかげでゴールに背を向けた状態でプレーに入れたことが私にとっての追い風となり、リバウンドやら合わせやらなかなか良かった覚えがあります。
試合後、当時のチームトレーナーさんから先生が褒めていたと伺いました。その言葉の内容も今でも鮮明に覚えているくらい、自分の中で何か掴めた感触があってすごく自信につながったのを覚えています。
そして、ウィンター予選。これまた3位で本戦出場ならず。この時も、大した活躍はできなかったけど、それなりにはやれていたような。先生の考えも理解できるようになってきて、チーム内でもプレーがフィットしてきていて、ああ楽しい!と思えた試合でした。。。
episode3「HC交代」
このウィンター予選後、目の前が真っ暗になりました。
負けてワンワン泣くことはあったけど、この時ばかりは違う涙でした。インターハイの直後にも同期(私らの代のcap)と会場で人目を憚らずに泣いたけど、今回もそう。いや、それ以上だったかもしれません。「今大会で、先生がHCから下りるかもしれない」という話を先輩から聞いてしまったのでした。
ここまで読んでくださっている人は、お察しかもしれませんが、当時の私はここでやっと先生のバスケットに自分の理解が追いついてきている状態。ここから、さらに成長できるだろうと、自分でも期待を膨らませていました。そんな状態での、その情報。気持ちの整理ができず、不安で不安で仕方がなくて、次の日のオフはそれを忘れるくらい遊んで、ついにその日を迎えました。
9月11日。普段の練習通りに集合し、新チームをスタートさせる日。
になるはずだったその日の練習は、なかなか先生がコートに現れませんでした。じゃあ、「受け身」だとまた先生に言われるのは嫌だから、ひとまず練習を始めていよう!とサークルに集まって始めようとした瞬間、先生が教官室から出てきて、ストップがかかり、、、
私たちの生きる世界が変わることになったのでした。。。
「HCの交代」私たちが恐れていたことが現実になりました。崩れるように泣いて泣いて泣きまくって、怒られるんじゃないかってくらい泣いて。それでも先生は怒ることなく、私たちの背中を押してくれました。いや、今思うと、それしか先生にもできなかったんじゃないかな。「なんで」「どうして」そんな言葉ばかりが頭に浮かび、何もできなかったことを覚えています。
何よりもその時その日、1番酷だったのは使用する体育館が変更になる故、HC交代を告げられた直後に行った部の荷物の引っ越しでした。
そんな数分で切り替えて行動に移せるわけがないのに、、、
高校生とはいえ、子供ですから、、、
あれが本当にしんどくてたまらず、放心状態とはこのことをいうのかと学んだ瞬間でした。😅
…てなわけで、前編は以上になります🙋♀️
この勢いで綴る後編は一体どうなってしまうのか?!
かなりの暴露大会になってしまいそう(笑)
どうぞ暖かくお見守りください。。。
では、高校振り返り前編は以上です☺️
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