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やっぱり山が好き。

祭りがなくても、能登が好き。

そう実感したこの2年。

やっぱり、祭りがある能登はもっともっと好き。


3日間、鍛冶町のでか山を曳かせていただいた。結構引っ張ったけど、何ひとつ筋肉痛にならなかったのは、日々山で鍛えているからかな。楽しすぎて、興奮しすぎて、宙に浮いていた三日間だった。(宙に浮いていたので、ありとあらゆるものを忘れた。)



林業という道を選び、実際に山で仕事をするようになってから、はじめてのでか山巡行。

でか山には、たくさんの木材が使われる。それも適材適所に。大径木から、細い木も、竹も。林業者には煙たがられる、藤蔓もでか山には重宝される。山を生かすことがどういうことか。でか山が教えてくれる。

1000年以上の歴史のある青柏祭、そして600年以上続くでか山。

忘れられつつある"適材適所"、人力で重さ20tのでか山を動かす技術、農林漁業、大工、人形、着物、鍛冶、漆工芸、唄、お囃子などなど、このまちを支えてきた産業や文化。このまちがずーっと大事にしてきたものが、でか山に詰め込まれているように見えた。



数値化できない人間の感覚、技術、知恵、思想が脈々と受け継がれてきたから、文化は続いている。



経済優先、効率優先で成長していけば、忘れられてしまう"大切なこと"。

機械化IT化が進み、人間の能力を最大限に活かさなくても、いろんなことができるようになった。効率的かつ身体の負担も軽くなった。けれど、数値化できないことを知っている上で機械やITを使うのとそうで無いとでは雲泥の差があることを目の当たりにする日々。便利な時代に生まれた私が、なかなか上の世代に敵わないのはそういうことだと思う。肉体労働といういい方はやめて、身体も頭も使う知的労働として、人間にしかできない身体性のある仕事を残していけないか。もちろん労働でなくても、祭りで受け継ぐこともできる。

そして、今は大径木も細い木も竹も藤蔓も活用し切れていない。工業製品のように、扱いやすいサイズの木材が高く売れる。人間がコントロールしやすい森林を育みつつある。ちがう。人間は"自然に生かされている"。忘れちゃダメだ。人間の都合で作られた山。お金にならないと放置される山。人間が作った山は人間が手を入れ続けないと、簡単に壊れる。せめて、手を入れ続けることで、守れるものを守りたい。だから、私は林業を選んだ。机上の空論がいくらあっても、山の仕事をする人がいなければ、山と共に人は生きることはできない。でか山も作れない。

きっとでか山を作り続けることのできる森づくりが、ずっと続く森づくり。担い手は数値化できないことも身につけていく技術者に育つこと。見えつつあるのに、まだまだ何もできていない自分。がんばれ、わたし。

でか山は、大切なことを気づかせてくれる。
山は、日々大切なことを学ばせてくれる。

守るために何かを変えることもある。けれど、変えたことで失うものがある。その失うものは、本当に失っていいものなのか。

宙に浮いてから、地に足ついて、山を歩いて、暮らすまちにかえって、なんともいえない寂しさに包まれていますが、血が騒ぐ映像を見返して、平穏を取り戻したいと思います。

来年は、組み立てるところから解体するところまでもっと見ると決めた。はやく、来年になって欲しい。

青柏祭でまちが一つになる。誰しもに役割がある。人と人との間の距離が広がってしまった今の時代にぴったり。この上ない政(まつりごと)だ。最高だった。

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